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「赤ちょうちん」―かぐや姫

1973年(昭和48年)10月、第4次中東戦争をきっかけにして、アラブ産油国が、突然、石油生産の削減と、原油価格の大幅引き上げを図りました。

この原油価格の高騰により、石油依存度の高い日本経済は、それまでの華やかな高度経済成長から、地味な低経済成長路線への転換を余儀なくされました。

いわゆるオイル・ショック(石油危機)です。

ガソリンスタンドの休日休業や、就職内定の取り消し、深夜放送の自粛、トイレット・ペーパーや洗剤等の日常家庭用品の買いだめ騒動など、やや過剰反応と思われるような当時の世相でした。

その当時、流行していたものに、「漫画アクション」という週刊誌に、1972年(昭和47年)から翌1973年(昭和48年)にかけて連載された、上村一夫さん原作の劇画、「同棲時代」があります。

そして、それを映画化したのが、由美かおるさんの大胆な全裸ヌード写真の映画ポスターが話題を呼んだ「同棲時代−今日子と次郎−」という映画です。。
そして、その映画の主題歌を大信田礼子さんが「♪二人はいつも傷つけあって暮らした…」という印象的なフレーズで歌っていました。

「同棲」というのが、この時代のひとつのキーワードだったんですね。

ちなみに、「同棲時代」の原作者である上村一夫さんは、1986年(昭和61年)、45歳で逝去されています。

   あのころふたりの アパートは
   裸電球 まぶしくて

裸電球…。
…と言っても、由美かおるさんが脱いだから、電球も対抗して、裸になったわけではありません。(笑)
まあ、裸電球が脱いだとしたら、週刊誌記者は走らなくても、電撃は走るでしょうが。(笑)

裸電球とは、最近は見かけることも少なくなりましたが、笠(カバー)などの被いのない、電球むき出しの、いかにも粗末で貧相な照明装置です。
ですから、裸電球が、由美かおるさんの裸のように、まぶしい…とは、決して思わないでください。(笑)

でも、いまでも、電球色として蛍光灯の配色にも使われているように、明るさはなくとも、温かみのある、穏やかな、柔らかな光を裸電球は与えてくれました。

   貨物列車が 通ると揺れた
   ふたりに似合いの 部屋でした

貨物列車は荷量が重くて、しかも車両編成が長いので、沿線に住んでいると貨物列車が通るときに、その振動と衝撃で、住居が揺れるのがよく分かります。

それも、貨物列車の多くが、静かな深夜に走りますから、深夜に揺れると、特に感じます。
もっとも、深夜に、その他の原因で、部屋が揺れるようなことをしていたら…べつなんですけどね。(笑)

なお、これは、東海道沿線のアパートで下宿していた大学時代の友人宅に、コンパ帰りにとめてもらった時の体験に基づくものであって、部屋の主は、もちろん男性でしたから、部屋が揺れるようなことはしてませんので、念のため。(笑)

   覚えてますか 寒い夜
   赤ちょうちんに 誘われて

ぼくは、ビールをコップ一杯飲んだだけで、顔が真っ赤になるほどの下戸ですから、ひとりで飲みに行くことは、まずありませんから、赤ちょうちんに誘われて…、というのは、あまり実感はありません。

しかし、血液検査の肝機能検査の中のGOTやγ−GTPの上昇などにより、医者からアルコール性肝障害に注意されて、休肝日を設けるように指導されているような方は、あの赤ちょうちんの色が、なんともいえない、かなり誘惑の危険な色らしいんですね。

その誘惑する赤ちょうちんを避けるために、わざと遠回りして帰るというほどです。
もっとも、遠回りして、また、新しい赤ちょうちんを見つけたりして。(笑)

   おでんを沢山 買いました
   月に一度の ぜいたくだけど
   お酒もちょっぴり 飲んだわね

おでん…、いまでは関西、大阪でも、おでんと言いますが、ぼくが子どもの頃には、まだ「関東煮(かんとだき)」と言う人が多かったように思います。

ですから、大阪人が、もうかりまっか〜、ぼちぼちでんな〜と、言いながら、毎日、たこ焼きをハフハフ食べていると思われているのと同じく、関東の人は、毎日、「関東煮」を、これイケルじゃん、と食べているのだと思っていたほどです。(笑)

おでんという言葉を知ったのは、赤塚不二夫さんの漫画「おそ松くん」に登場する「ちび太」が持っている串刺しのおでん、だったように思います。

調べてみると、おでんは、本来、田楽を指す言葉で、串に刺して焼いた豆腐に味噌を塗りつけた食べ物が、伝統芸能である田楽舞のいでたちに似ているところから名づけられたようです。
そういえば、今でも、豆腐やこんにゃく、茄子などの味噌田楽がありますよね。

この味噌田楽が、江戸時代になると、焼くのは面倒というわけか味噌で煮込まれるようになって、煮込みおでんに進化していったそうです。

その後、関西では、味噌の代わりに濃口醤油を使って煮込むようになって、これが濃い色合いと味付けのために、「関東煮」と呼ばれました。
その「関東煮」の汁を、今のおでんのように、飲める程度にまで薄くしたのは、東京のおでん屋と言われています。

したがって、こと、おでんに限って言えば、淡口(うすくち)の一見、関西風にみえるおでんが、実は関東風おでんであって、どちらかといえばそのさきの「関東煮」の流れを汲んで、かなり濃口の味付けであるのが関西風おでんであったわけです。

かなり、ややこしい、おでんのうんちくです。(笑)

おでん種の違いで言えば、関西では、むかしは鯨の皮であるコロが入ってましたが、鯨が貴重となって、牛すじが入るようになりました。

また、がんもどきは、関西では、「ひろうす(飛龍頭)」と呼ばれて入っており、はんぺんは、白いものではなく、揚げて、てんぷらにした「ひらてん」が入ります。
あとは、全国共通だと思いますが、じゃがいも、こんにゃく、大根、ゆでたまご、厚揚げ、ごぼてん、ちくわ…。

そうそう、「ちくわぶ」は、関西では、おでんに入れないというより、「ちくわぶ」という食材そのものが手に入らなかったように思います。

   雨がつづくと 仕事もせずに
   キャベツばかりを かじってた

大阪人であるぼくは、キャベツと聞くと、まず、お好み焼きを連想してしまいます。
それも、メリケン粉とタマゴ、そして薄い豚肉が張り付いてるような、庶民的なお好み焼き。

それから、二度付けするな、と書かれたバットに入れられたソースが置いてあるような串カツ屋のそのソースに浮かんでいる食べ放題のキャベツ。

いずれにしろ、キャベツというのは、貧乏の代名詞だったのでしょうか。
春キャベツなどは、確かに生でかじっても美味しいのでしょうがね。

   そんな生活が おかしくて
   あなたの横顔 見つめてた

そんな生活(くらし)でも、若さゆえに、いっときは、許せる時代があります。
でも、やはり長くは続きません。
若さも、時の流れに、流されていくものですから。

     三畳一間の小さな下宿
     貴方は私の指先見つめ
     悲しいかいって聞いたのよ  「神田川」

横顔を見つめていた彼女の視線に、ふと気がついた彼は、なぜか彼女と視線を合わせられずに、彼女の指先を見つめて、そうつぶやきます。

     若かったあの頃 何も恐くなかった
     ただ貴方の優しさが恐かった  「神田川」

ただ愛しさで、彼の横顔を見つめていただけの彼女なのに、彼のその言葉に、ふと、いまの暮らしに不安を感じとってしまいます。

そう、貴方は優しい…そして、優しすぎる…。

   あなたと別れた 雨の夜
   公衆電話の 箱の中
   ひざをかかえて 泣きました

公衆電話の電話ボックス、かっては公園の片隅に必ずあったものですが…。
携帯電話が普及して、公衆電話の需要も減り、かなり撤去されて、今では探すのも難しくなりました。

でも、別れはいつの時代にもあります。

携帯電話を耳にあてながら、涙ぐみながら、歩いている人を見かけることがあります。
そんなとき、ふと、うずくまり、ひざをかかえて思い切り泣ける場所があった時代の方が、良かったのかなとも思います。

   生きてることは ただそれだけで
   哀しいことだと 知りました

いずれにしろ、どんな時代であっても、別れはつらくせつないものです。

   背中丸めて サンダルはいて
   ひとりで いるような気がします

別れのときの情景。
遠い日の思い出となってしまっても、ふとしたときに、それがよみがえるときがあります。

二人で見た景色、ふざけて追いかけっこした日、笑い転げた日々、甘いささやき、そして、やすらぎ。
ゆがんだ表情、怒りと泣き顔、諦めと疲れた様子、とげさす言葉…、そんな情景をたどりつつ…。

そして、たどりつくところは、いつも同じ。

   今でも時々 雨の夜
   赤ちょうちんも 濡れている
   屋台にあなたが
   いるような気がします

そう、あの人は幸せに暮らしているのだろうか…。
幸せに暮らしていたらいいけど…。

そんな願いというか、祈りにも似た想いが心の中からこみあげてくるときに、ふと、遠く離れたふるさとに似たような、懐かしさを感じるのです。


かぐや姫のこの曲で、フォークギターのスリーフィンガーをマスターし、「神田川」でアルペジオを練習した思い出のある人も多いかもしれません。
そして、メロディと掛け合うようなエレキーギターと、さみしげなハーモニカの音色をくわえて、コッココン、コッココンという列車が走っている音のようなパーカションは、バンドにドラムが加わらないときは、ギターの胴をたたいたりして、真似したものです。

この「赤ちょうちん」を原案にして、邦画の青春映画としての「赤ちょうちん」が製作されました。
藤田敏八監督、中島丈博脚本、石川鷹彦音楽、出演者は高岡健二、秋吉久美子、長門裕之、河原崎長一郎、石橋正次と、そうそうたるメンバー。
しかし、如何せん、日活ロマンポルノ全盛期の日活映画ですし、全体的に暗くて、この曲が好きな方には、イメージが離れすぎるストーリーのような気がして、ぼくはあまりお勧めできません。

かぐや姫は南こうせつ、山田パンダ、伊勢正三の3人からなるフォーク・グループで、「神田川」「赤ちょうちん」「妹」などはミリオンセラーとなり、1975年に、解散しました。

「明日に もし何か見失うことがあったら、
 思い出して下さい。かぐや姫の世界を…」
             アルバム「かぐや姫フォーエバー」より

(初稿2003.12 未改訂)


赤ちょうちん

作詞 喜多条忠
作曲 南こうせつ

あのころふたりの アパートは
裸電球 まぶしくて
貨物列車が 通ると揺れた
ふたりに似合いの 部屋でした
覚えてますか 寒い夜
赤ちょうちんに 誘われて
おでんを沢山 買いました
月に一度の ぜいたくだけど
お酒もちょっぴり 飲んだわね

雨がつづくと 仕事もせずに
キャベツばかりを かじってた
そんな生活が おかしくて
あなたの横顔 見つめてた
あなたと別れた 雨の夜
公衆電話の 箱の中
ひざをかかえて 泣きました
生きてることは ただそれだけで
哀しいことだと 知りました

今でも時々 雨の夜
赤ちょうちんも 濡れている
屋台にあなたが
いるような気がします
背中丸めて サンダルはいて
ひとりで いるような気がします

1974年(昭和49年)
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