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既視感って言葉を知ってますか。
はじめての場所や、はじめて見る光景のはずなのに過去に見たことがあるように思うこと…。
既視感は、デジャ・ヴュ(deja vu)というフランス語のすでに見たという意味の訳語で、19世紀半ばから医学的にも研究されているようです。
あれがあなたの好きな場所
港が見下ろせるこだかい公園
ぼくは、港というか、海が眼下に見下ろせる、こだかい場所に登ると、なぜか、既視感を感じます。
その既視感は、みょうな懐かしさです。
長崎や函館などの街を旅したときにも感じました。
写真でしか見ていないけど、有名な尾道などで、下り坂の向こうに見える海などを見れば、やはり、そう感じるのでしょうか。
でも、ぼくは、大阪市内の中心部に生まれ育って、知る限りにおいて、幼児体験的にも、そんな場所とは、まったく無縁です。
既視感については、死者の魂が憑依して、生前の記憶が自分の記憶のように感じる「霊魂憑依説」とか、人間は輪廻転生するため前世のかすかな記憶が残っているという「前世因果説」があります。
また、人間は本来予知能力をもっていて、無意識のうちや夢の中で行った予知のため初めて来た場所でも以前来たことがあると感じる「予知能力説」であるとか、共鳴という現象によってある人間の体験が別の人間へと伝わっていくという「人類共鳴説」というのもあるようです。
これらの説によると、ぼくなどは、きっと、前世は船乗りとして、全国を旅して、そして港港に女がいて…、って、みずから、墓穴を掘ってどうすんねん。(笑)
いずれにしろ、これらの説は、「あなたの知らない世界」のようなオカルト的な仮説に過ぎず、実証に足る科学的根拠がありません。
現在のところ、医学的なアプローチによる人間の記憶のメカニズムの解明から、現在の情景と部分的に重なりあった意識されない断片的な過去の記憶が、一瞬にして呼び起こされる人間の記憶の不確かさからくるものであると説明されています。
しかし、霊魂や前世を持ち出されるのも納得いかないけど、この説明もなんか納得いかんなぁ〜。(笑)
あなたの声が小さくなる
ぼくは黙って外を見てる
ただ、記憶というのは、確かに曖昧で、忘却の水で薄められた記憶は、さらに不確かなのは事実です。
恋を失ったときの経験という記憶は、月日の経過による美化作用と、防衛本能による自己弁護作用により、さらに、複雑化していきます。
眼を閉じて 息を止めて
さかのぼる ほんのひととき
二人の間に流れる沈黙の時間…。
聞こえるのは、ただ二人の恋のレクイエム…。
二人して、微笑みあったこと、笑いあったこと、言い合ったこと、語り明かしたこと…、すべてを過去と言う名の宝箱にしまいこむ旅支度…。
おそらくは、どんな恋でも、いちどは必ず、こんな同じ情景が繰り返されるのでしょうね。
みなさんも、デジャ・ヴュ感じます?
それは、単なる苦い想い出かもしれませんが。(笑)
こんなことは今までなかった
ぼくがあなたから離れてゆく
ぼくがあなたから離れてゆく
恋愛というものは、人と人との出逢いの中から生まれて、人と人とのあいだで育まれるものです。
そして、また、消えていくものです。
こんなことは今までなかった…。
おそらく彼は今まで、自分から別れを告げることなど、決してないと思っていました…。
いや、そう信じていたに違いありません。
彼は、相手が離れていくことはあったとしても、自分から、離れていくことがあるなんて、絶対ないと思っていました。
たそがれは風を止めて
ちぎれた雲はまたひとつになる
夕凪の穏やかな風の流れにのって、染まりゆく空に浮かんだちぎれ雲が、また寄り添うようにして、ひとつになっていきます。
でも、心離れた恋人たちが、ふたたびめぐり合ってひとつになることはないのです。
「あのうただけは ほかの誰にも
うたわないでね ただそれだけ」
もはや、彼女も、過去と言う名の宝箱にしまいこむ旅支度を終えていました。
それも、彼より、ずっと、前から…。
いや、もちろん、別れを告げたのは彼です…。
彼女の言い分、彼の言い分はあるにしても。
ともかく、あのときに、君のために、って言ってくれたうた…そのときの君は、いつまでたっても、私。
大いなる河のように
時は流れ 戻るすべもない
どちらが、どれだけ、相手に恋して、愛したのか。
右手と左手、両手を合わせたときに、パンと鳴った音が、右手と左手のいずれから鳴ったのか、もはや鳴ってしまえば、分からないのと同じように、もはや時の流れに乗ってしまえば、流れていくしかないのです。
こんなことは今までなかった
別れの言葉をさがしている
別れの言葉をさがしている
恋人同士が別れるときに、どちらが別れを言い出すのか、どんな場面で、どう言い出すのか、これを間違えてしまうと、それこそ、せっかく二人で築きあげたこれまでの花園が、一瞬にして泥沼化してしまいます。
ときとして、すべてを正直にさらけ出して表現することが、誠実でない場合もあります。
心の中では、怒り、嘆き、悲しみ、うらみ、つらみの感情が渦巻いていたしとても、それを隠して、ほほえむことが、必要な場合もあります。
そして、それが別れいく恋人への感謝の意を込めた最後のはなむけ…、最後のやさしさとなるのです。
あゝ嘘でもいいから
ほほえむふりをして
ぼくのせいいっぱいのやさしさを
あなたは受けとめる筈もない
明日への旅立ちに不安を隠し切れない彼女。
でも、もうとどまることは許されないことに気がついてしまった彼。
ゆるやかに、確実に、他人になっていく二人。
夏が過ぎ、そして、秋の気配…。
こんなことは今までなかった
ぼくがあなたから離れてゆく
こんなことは今までなかった…。
季節が、ふたたびめぐり来て、めぐり去ることを知らない青春時代には、よく思ったものです。
でも、季節がめぐることを知る年代になっても、分別はもちつつ、既視感にとらわれることなく、みずみずしい感性を保ち続けたいものです。
この曲は、オフコースの前期、清水仁さん、大間ジローさん、松尾一彦さんがメンバーとして加わる以前の小田和正さんと、鈴木康博の二人だけのコーラスデュオ時代の曲です。
オフコースが、「さよなら」で、メジャーになる前の下積みの頃の、と言った方がいいかも知れません。
小田さんのソロで、「自己ベスト」というアルバムにも、この曲が収録されていますが、ここは、やはり、当時の小田さん、鈴木さんの二人のハーモニーバージョンが秀逸なので、ぜひ、聞き比べてください。
(初稿2003.9 未改訂) |