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それはまだ 私が神様を信じなかった頃
九月のとある木曜日に雨が降りまして
こんな日に素敵な彼が現れないかと
思ったところへ あなたが雨やどり
出逢いはいつでも 偶然の風の中…。
さだまさし 「天までとどけ」
運命的な出逢い…というものが、やはりあるとしても、それはあくまでも結果論であって、やはり出逢いというものは、なんらかの偶然の積み重ねであると、ぼくは思います。
あなたは、神様を信じますか。
…って、問いかけしても、べつに、このサイトは、特定の宗教に勧誘するようなサイトではありませんので、ご安心ください。(笑)
もっとも、こんな館長のマインドコントロールには、要注意かも知れませんが。(笑)
神様を信じる、信じない…。
つたの絡まるチャペルで、祈りを捧げた日があったようには、もはや、とうてい、どうしても、想い出をたどっても、辿りつけない。
そんなあなたにも、夢多かりし青春時代には、神様がいるか、いないか…、神様を信じるか、信じないか…、そんなことを、友と語らった記憶は、かすかに残っているかもしれませんね。(笑)
でも、そんなあなたに、そのような青春時代があったことを、あなたの今のみを知る人たちから見れば、それこそ、神の奇跡といわれるかも知れません。(笑)
ともかく、人は神様のもとから、この人間界に降りてきて、それこそ天使のまなざしで、世の中を見つめると言います。
それこそ、その頃は、握った小さなこぶしに、幸せを握りしめて、あたかも、天使が見えるかのような微笑を添えて…。
しかし、やがて、そのまなざしは、長ずるにつれて険しくなって、そして、大きく、逞しくなったこぶしを握りしめて、神なんていないさ!と、うそぶくようになってきます。
たしかに、神様がいるとしたなら、なんで、こんな理不尽な、不条理なことが世の中で、まかり通っているのか…。
神様がいるとしたなら、どうしてこんな善良な人たちに、こんなひどい仕打ちを、苛酷な運命を、与えたまうのか…。
神の世や仏の国は、理想であって、理想は現実と永遠に乖離(かいり)していくデスティニー(destiny・運命)にあり、所詮は、神も仏もあるものか…、なんて思うことも、しばしば経験することです。
でも、そんな無神論者たちが、人生の年輪を重ねていくうちに、また不思議にも神や仏の存在を信じるようになってきます。
人生の真理を、哲理を、身をもって経験するうちに、やはり、超越した存在のものがあるような気がする…、それを神と呼ぶのか、仏と呼ぶのかはともかくとしても、そんな風に思えてきます。
そうすると、いずれにしろ、出逢いは、偶然のなせるわざと思いつつも、やはり、運命的な出逢いというものも認めざるをえません。
しかたがないので買ったばかりのスヌーピーのハンカチ
貸してあげたけど 傘の方が良かったかしら
ほのぼのとした、世界的な人気キャラクター、スヌーピーが生まれたのは、1950年(昭和25年)ですから、人間なら、もはや、孫のいる世代、ちなみに、生みの親、作者のチャールズ・M・シュルツさんも、すでに故人となり、神様のもとに帰られました。
そこは苦しい時だけの神だのみ
受験や縁結び、そして、癌ふうじに、浮気ふうじ。(笑)
別に西洋の神様だけでなく、日本の神様だって、人気者です。
いや、ぽっくり寺にいらっしゃる仏様なんかも、同じ扱いですよね。(笑)
苦しいときには、やはり、神様、仏様なんでしょうね。
気がついたら あなたの腕に 雨やどり
本降りになって出て行く雨やどり
これは、誹風柳多留に収録されている有名な古川柳ですが、雨やどりとは、文字どおり、雨を避けるために、軒下などにしばらく身を寄せることであって、やがて、雨が止めば出て行くのはあたりまえで、止まない雨と見切りをつけても、また出て行くものです。
…ということは、雨やどり的な恋愛ということならば、この雨やどりの二人の恋の行く末は…なんて、この歌がヒットしたときに、心配性のぼくは、考え込んだものです。(笑)
しかし、作者のさだまさしさんは、それ以上に心配して、考え込んだのか、「もうひとつの雨やどり」というのを作りました。
あるいは作品的には、「もうひとつの雨やどり」が先に完成していて、そのパロディ的なものが、「雨やどり」かも知れません。
いずれにしろ、そのさださんの心配性が、きっと、さださんの神様ならぬ髪様が、天国に召されてしまった原因なんでしょうね。
ほんと…さださんの髪様、薄くなりましたね。(笑)
娘は器量が良いというだけで
幸せの半分を手にしていると
誰か云った意地悪なお話
でもこっそりうなずいている自分が悲しい
「もうひとつの雨やどり」は、「雨やどり」のコミカルなフレーズから一転してのシリアスなフレーズが続きます。
でも、シリアスですが、決して、シニカル(皮肉)ではありません。
ロジカルにしてリリックな表現技法とあいまって、女性へのフェミニンな視点からの優しいフレーズです。
このフレーズに、シンパシー(共感)を感じる女性も、決して少なくはないと思います。
でも、「雨やどり」と、「もうひとつの雨やどり」に描かれた女性は、まったく別の女性なんでしょうか。
鬼子母神などの仏教説話に由来するのかどうか知りませんが、外面女菩薩(げめんにょぼさつ)内心女夜叉(ないしんにょやしゃ)という、女性の一面を示す言葉があります。
流行の二重人格、多重人格を持ち出すまでもなく、多分、この二つの歌の二人の女性は、結局、同一人物だとぼくは考えます。
案外、そんな女性も多いと思います。
貧相な私的な経験からの推測なんですが。(笑)
だってまさかあなたが選んだのが
こんな小さな私の傘だなんて
そう、雨やどりするのは、軒下ではなく、傘だったんですね。
傘での雨やどりは、そんな一時的なものではない。
それで、レ( ̄ー ̄)ナットク!!( ̄^ ̄/)しました。
あなたの選んだ傘は、お元気でしょうか。
置き傘にして忘れてませんか。(笑)
たまには、傘を見上げて、傘に感謝しましょう。
自戒を込めての言葉です。(笑)
雨の降る日は 傘になり
お前もいつかは 世の中の
傘になれよと 教えてくれた 森進一 「おふくろさん」
「雨やどり」は、グレープ解散後、ソロになって最初のさだまさしさんのヒット曲で、精霊流しの暗いさだまさし…という世間のイメージを払拭するに、あまりあるコミカルな歌で、その後の「関白宣言」に引き継がれる路線でもあります。
「もうひとつの雨やどり」は、アルバム「風見鶏」に収録されていますが、シングルカットは、「吸殻の風景」のB面でした。
ちなみに、「吸殻の風景」には、
だからそんな風に悲しい顔
今夜だけは止して頂戴
わかるでしょ雨の日には
誰だって傘をさすものよ
という、通常の意味の雨やどり的な恋愛も取り上げられていて、なかなか、このカップリングの選曲は、興味深いものがあります。
なお、「雨やどり」には、さださん自身の「雨どりや」なるパロディ(替え歌)もあり、さらには、元アリスの谷村新司さんとの合作「雨昴」なるのも、ライブアルバムにはあります。
(初稿2003.6 未改訂) |