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「ANAK (息子)」―杉田二郎

平成元年八月十四日未明、ぼくに息子が生まれました。
妻は、十三日午前に破水して、午後に入院。
折りしも、高校野球で妻の故郷である青森県勢の弘前工が、太田幸司を擁した三沢高校以来の初戦突破をしたときでした。(笑)

深夜になって、見舞いに行き、陣痛室にいた妻と電話で話をすると、「痛い、痛い」と叫んでいましたが、ナースは、これから、まだまだ時間がかかるので、また朝方に来るようにと言われました。
自宅と病院は、車で十分くらいの距離なので、ひとまず帰宅。

携帯電話はおろか、コードレス電話もまだ普及していない時代、電話線を延ばして、電話機を枕もとまで引っぱってきて、そして、いつでも電話があれば、すぐに走れるように、服を着たまま、布団の上に、寝ころがりました。

しかし、寝付かれずに、枕もとの高校野球の雑誌を、読むともなく眺めているうちに、まどろみ、誰かとキャッチボールをしている夢を見ました…誰としているのだろう…夢の中でぼんやりとそう考えているときに、電話の音で目が覚めました。
もちろん、病院からの電話でした。

   お前が生まれた時父さん母さんたちは
   どんなによろこんだ事だろう

新生児ベビー室でのガラス越しのはじめての対面。
周囲のみなから言われていたので、しわしわの猿みたいな顔を想像していましたが、思いのほかに、人間らしく、また父親であるぼくの幼い頃にどことなく似て、可愛いらしかったのです。(笑)

   私たちだけを頼りにしている寝顔のいじらしさ

しかし、深夜と言うのに、我が子は、目をぱっちりと開けました。
まるで、ぼくと会うのを待ち構えていたように。
そして、生まれてまもないくせに、退屈そうに大きなあくび。(笑)

結婚して、四年くらい子供ができませんでした。
ひよっとして出来ないのかも知れない…という懸念が、よぎりはじめていた頃でしたから、嬉しさというよりホッとした感じでした。(笑)

息子の命名は、姓名判断で付けました。
ぼく自身が姓名判断で付けられた名前ですが、そのため、姓名判断で悪く言われることは当然ありません。(笑)
その経験から、ともかく姓名判断で良いとされた名前の中から、選びました。

   ひと晩中母さんはミルクをあたためたものさ
   昼間は父さんがあきもせずあやしてた

ぼくは、八歳のときに、父親と死に別れました。
春まだ浅き三月十四日が命日です。
そしてぼくの息子の誕生日は、月違いながら、十四日です。

そして、いま、ぼくは、父親が死んだ歳を越えようとしています。

姉二人のあとに生まれた待望の男の子として、ぼくの父親は文字通り、目に入れても痛くないほど可愛がってくれました。
でも、父親とキャッチボールした記憶はありません。
ぼくが、病弱だったせいもあるのでしょう。

ぼくが、医者から、成人するまで持たないだろう、と宣告されたときに、自分が代わりに病気になって、自分の命を息子に分け与えられないかと真顔で言ったといいます。

ぼくにとっての父親は、強くて優しい、八歳当時のままです。
いつまでも、理想的な父親のイメージのままです。
唯一の欠点を探すとしたら、早く逝ったこと…。

   お前は大きくなり自由がほしいと言う
   私達はとまどうばかり
   日に日に気むずかしく変わってゆく
   お前は話を聞いてもくれない

息子はすでに母親の背を超え、父親の背に追いつく気配です。
キャッチボールは油断すれば、ずしりとこたえる時があります。
ひょっとして、あの時、夢の中でキャッチボールしたのは、こいつだったのかなと思うときがあります。

自立を望む親心と、いつまでも子供でいてほしいという親心、相反する思いの交錯するなかで、息子は成長していきます。

   親の心配見むきもせずお前は出てゆく
   あの時のお前を止めることは誰にも出来なかった

息子の心の中でも、父親への絶対的な尊敬と信頼と愛情が揺らいできていることに、自分自身が不安を感じていることでしょう。
でも、それが自然なのだと思います。
だから、あえて強い父親を演じる必要も、どんなに愛情を注いできたかを説く必要もないと思っています。

ぼくの父親としての役割は、ぼくの父親が果たしてくれなかった、乗り越えるべき、踏み台になることだと思っています。
それがまた、息子としてのぼくが、我が父親を乗り越えることだと、思っています。
いずれ、息子が父親となったときに分かってくれればいい。
たとえ、そのときに、ぼくがいなくても。

   きっとお前の目にも 涙があふれているだろう

人間関係が希薄になった現代社会においては、家族関係でさえも、砂の城のように、崩壊の危機が指摘されています。

でも、息子は息子、親は親、どんなに時代が進んだとしても、いつまでたっても変わりはないと信じています。



「Anak」は、フィリピンの現地言語であるタガログ語で、「息子」または「娘」という意味です、日本では、杉田二郎さんや、加藤登紀子さんが、歌ってヒットさせました。

もちろん、フィリピンの国民的歌手である原作者のシンガーソングライターのFreddie Aguilar(フレディ・アギラ)さんのタガログ語の「Anak」の歌もいいので、機会があれば是非、聞いてみてください。

(初稿2002.8 2008.10改訂)


ANAK (息子)

作詞 なかにし 礼
作曲 Freddie Aguilar

お前が生まれた時父さん母さんたちは
どんなによろこんだ事だろう
私たちだけを頼りにしている寝顔のいじらしさ
ひと晩中母さんはミルクをあたためたものさ
昼間は父さんがあきもせずあやしてた

お前は大きくなり自由がほしいと言う
私達はとまどうばかり
日に日に気むずかしく変わってゆく
お前は話を聞いてもくれない
親の心配見むきもせずお前は出てゆく
あの時のお前を止めることは誰にも出来なかった

息子よ お前は今悪の道へ走り
荒んだ暮しをしてると聞いた
息子よ お前に何があったのだろうか
母さんはただ泣いている
きっとお前の目にも 涙があふれているだろう
きっと今ではお前も後悔をしてるだろう
きっとお前の目にも 涙があふれているだろう
きっとお前の目にも 涙があふれているだろう

1978年(昭和53年)
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