|
泳ぐ魚の群に 石を投げてみた
逃げる魚達には 何の罪があるの
でも今の私には こうせずにはいられない
私の大事なあの人は 今は戦いの中
おそらく平時には、泳ぐ魚たちを、微笑みを持って眺めて、餌を与えるような心優しき人でも、ひとたび戦時に入ると平常心を失うのでしょう。
もっとも、恋人や、夫や息子たちが、戦場にて、生死を賭けた戦いの中にあることを思うときに、平静、平常心でいられるわけがありません。
戦争が悲惨なのは、戦争への行き場のない憤怒や憎悪が、弱いものに対して、その残虐性や暴力性として転嫁されてしまうことです。
まさに戦争が社会の狂気を作り出すのです。
戦場への紹待券という
ただ一枚の紙きれが
楽しい語らいの日々を
悲しい別れの日にした
戦場への招待券、つまりは召集令状は、薄紅色に近い赤色の紙に、黒の文字で印刷されていたことから「赤紙」と呼ばれていました。
現存する「赤紙」は、召集された本人が兵営に持って行ったために、極めて少ないようです。
召集令状で徴兵された兵士、つまり応召兵士は、俗に一銭五厘と云われ、これは、当時の郵便はがき料金が一銭五厘であり、はがき一枚で調達し使い捨てできる兵士という意味で、すなわち職業として軍務に就いている職業軍人らが多い下士官や古参兵が、応召兵に対して、差別的な言動を伴って、よく使った言葉とのことです。
もっとも、召集令状そのものは、郵便で届けられるものではなくて、市町村の役場の兵事係から、本人あてに直接に届けられたそうで、本人が住所地に不在の場合には、家族らが本人あてに郵便はがきや電報で報せなければならない義務があったそうです。
そして、理由なく召集に応じなかった場合は、罰金刑もしくは拘留という罰則がありました。
また、その兵役拒否の行動が戦時における不穏な活動としてみなされ、治安維持法などの対象として、罰せられることもありました。
あなたの好きな 白百合をかかさず
窓辺に 飾っていたわ
銃後(じゅうご)の守りという言葉がありました。
銃後とは、直接戦闘に加わっていない一般国民、または、戦場になっていない国内のことで、いまでいえば、後方支援ということになるでしょうか。
戦前は、女性は参政権を与えられず、銃後の守りを固めることが大和撫子の美徳だとされていました。
第二次世界大戦における日本は、圧倒的な軍事的戦力差のあるアメリカと、無謀にも、人的な総力と、精神力で戦おうとしました。
そして、いざとなれば、蒙古襲来(元寇)のときのように、突然に神州防衛のために神風が吹いて敵艦船が沈没し、また焼夷弾を降らせるアメリカの戦略爆撃機B29を竹槍で落とそうとしていました。
親などに聞くと、こんな荒唐無稽な話を当時の人も信じていたわけではないようです。
しかし、ただ、それを口に出すことすら、愛国心の名の下に、非国民の非難の下に、許される雰囲気ではなかったということです。
終戦後、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を三大柱として、日本国憲法が制定されました。
戦争について考えるとき、直接的な表現で規定された憲法前文及び第9条の平和主義、戦争の放棄をすぐに思い浮かべますが、国民主権、基本的人権の尊重も、再び戦争の惨禍が起こることのないように誓って、規定されたものです。
国家の政策を決定するのは最終的には主権者たる国民であり、また思想信条、表現の自由、投票の自由も保障されています。
天皇主権の名の下に一部の政治家、軍人の暴走を許し、戦争反対を主張する一部の政治家、宗教者、文化人、経済人の基本的人権を蹂躙して弾圧して、戦争に突き進み、多くの犠牲者をみたことの反省から、保障された制度です。
このような制度のもとで、もし、国民が、国政選挙の投票に行かないのも投票の自由である、などとうそぶいていると、いつのまにか再び、軍靴の足音と軍歌の音色が聞こえてきそうです。
邪魔くさいから、面倒だから、投票したい人がいないから、たかが一票くらいと、そんな言い訳をする人が増えて、投票率の低下傾向が続いてます。
しかし、国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動しているのです。
その代表者を選ぶ選挙に棄権していては、何も行動していないのと同じであり、またその代表者に対して、白紙委任をしていることにほかなりません。
一票を投じて、その選んだ人を監視して、その人の行動がおかしければ、次には違う人に投じて落選させていく、それが国政に民意を反映させるための有効な手段です。
つまりは、青春音楽館のマスター(館長)が、選挙の度ごとに、ともかく「投票に行こう!」、と呼びかけている所以です。
ありがとう私のあの人
本当はもう死んでいるのでしょう
昨日 手紙がついたのあなたの
死を告げた手紙が
出征した兵士が戦死すると、市町村の役場の兵事係から、戦死公報というものが届きます。
激戦地の場合は、遺骨が戻ることはまれで、骨箱には木や石が入っていたこともあったそうです。
どんな国家大義があろうと、ひとりのにんげんのいのちよりも、大切なものはないはずです。
しかし、地球上では、いまだ国際紛争を解決する手段として、戦争が起こっています。
そして、多くの人が戦争の惨禍に遭っています。
我が国では、戦後が長らく続いていますが、いまだ戦中の国々もあり、また戦前の国々も多くあります。
平和な日本から、国際平和に向けての取り組みを行っていくこと、それが先の大戦で亡くなられた方々への真の慰霊につながることだと思います。
安らかにお眠りください。
そして、子孫が再び同じ過ちを起こさないように、見守ってください。
ぼくたちも、ぼくたちの子孫に、あなたがたが、もたらしてくれたこの平和を必ず伝えてまいりますから…。
この曲は「かぐや姫」としては、おそらく唯一、ストレートな反戦歌と呼べるものでしょう。
もちろん、歌詞内容としては、召集されて戦地に赴き、散っていった恋人のことを歌ったラブソングとも言えなくもないのですが、罪なき恋人たちを戦争に巻き込んで、そして、永遠に引き裂いた戦争の悲惨さ、理不尽さが、切々と伝わる名曲だと思います。
南こうせつさんは、1986年(昭和61年)から、毎年、広島で慰問コンサートを開いてきました。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよの あるかぎり
くずれぬへいわを へいわをかえせ
「原爆詩集」より 峠三吉
こうせつさんは、あるとき訪問した老朽化した原爆養護ホームで、人間の尊厳を無視するような大部屋で暮らさなければならない被爆者の姿を見ました。
このことをきっかけに、コンサートを開いて、その収益金の一部を広島市に寄付し、原爆養護ホームの新設に貢献してきました。
戦後60年にあたる2005年(平成17年)8月6日には、伊勢正三さんと、山田パンダさんにも協力を依頼して「かぐや姫」を復活させて、世界平和、核兵器廃絶を願う「かぐや姫」のコンサートを開きました。
南こうせつさん、「おいちゃん」らしい反戦平和活動だと思います。
(初稿2005.8 未改訂) |