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やさしい名前をつけたこは
愛されやすいと言うけれど
私を愛してもらうには
百年かけてもまだ早い
やさしい名前をつける…ということは、ふたとおりの意味があるように思います。
ひとつは、「優しい名前」という意味で、つまりは、優しそうな感じのする名前をつけるということでしょうか。
たとえば、そのまま、優子ちゃんなんてつければ、優秀な上に、優しそうな感じがしますし、優美ちゃんなんて、優しい上に、美しいなんて、考えたら、けっこう、欲張りな名前になりそうですね。(笑)
もうひとつは、「易しい名前」という意味で…、つまりは、言い易くて、聞き易くて、しかも、書き易いという名前をつけるということでしょうか。
愛ちゃんや、恵ちゃんなんて、漢字の字画は多い方であっても、言い易いし、耳触りもよくて、さらに、ひらがなの名前にすれば、幼稚園児にもヨミカキできるほどに、さらに易しくなります。
私事ながら、我が娘の名前も、ひらがなですので、三歳までに、自分の名前を書けるようになりました。
うちの子天才!…親は馬鹿! 親ばかです。(笑)
もっとも、やさしい名前をつけたからといって、それだけで、愛されやすい子に育つだろうなんてことは、いくら楽観的な親ばかでも思っていないでしょう。
公園なんかで、「○○ちゃ〜ん、帰るわよ。」と、片手で携帯電話でメールしながら、子どもを呼ぶ若いお母さん、その声が向けられた方向の子どもを探すと、思わず、「え〜、あの娘が、○○ちゃんなの?」…って、思ったことありませんか。(笑)
でも、まっ、お母さんも良く見りゃ、茶髪と化粧を取り除いたら、やはりその子の面影あるんですけどね。
幸か不幸かはべつにしてね。(笑)
まあ、日本国憲法第21条においては、基本的人権として表現の自由が保障されていますから、どんな娘を、どう表現しようとも、自由ですから、改憲論者でないぼくは、ただ黙ってみていますが…。
もちろん、心の中で、ぼそっ…は忘れません。
名は体(たい)を表す…なんて言葉は、いちおう、あるけど、そう…、名前負けしてるやん…、完全に…。
くっくっくっ、うちが勝った…ってね。(笑)
まっ、親ばかです。
まっ、でも、親くらいは、ばかにならんと、製造物責任を問われかねないですしね。(笑)
しかし、どんな名前の娘であろうとも、そこは、捨てる神あれば拾う神ありで、やはり女の子、鬼も十八、番茶も出花 、なんとかなるものと思います。
もっとも、振り返ってみて、なんとかならなかったなぁなんて人がいたとしたなら、ごめんなさい。(笑)
でも、さすが、百年かけてもまだ早いと言われると、思わず、その娘の名前は、キンさんか、ギンさんにした方が良かったのかもって思ってしまいますね。(笑)
よくある名前をつけたこは
忘られづらいというけれど
私を忘れてしまうには
一秒かけても まだ多い
中島みゆきさん、1952年(昭和27年)2月23日北海道札幌市生まれで、本名は、中島美雪さん。
北海道に、美雪さんとか千春さんが多いかどうかは、調べていませんが、確かに、出身地とかの関連付けが出来る名前は覚えやすいですね。
でも、「中島みゆき」さんが、「中島美雪」さんならば、名前から受ける印象は、また違います。
でも、やはり、「中島みゆき」さんが、「中島美雪」さんであっても、やはり、そのサウンドを語るときに、みゆき節はみゆき節であって、まあ、美雪節と、演歌みたいな表記になりますが、違いはない思います。
むしろ、初期の頃の中島みゆきさんのみゆき節は、うらみ、つらみの多い、怨歌っぽい歌が多いですから、美雪節の方が似合うかもしれません。(笑)
ゆう子あい子りょう子けい子
まち子かずみひろ子まゆみ
似たよな名前はいくらもあるのに
私じゃ駄目ネ
このフレーズでは、本来は、漢字であろうと思われる部分について、すべてひらがなで表記しています。
つまり、ここを漢字にすれば、たとえば「順子」なら「順子」という名前の人に、特定されてしまいますが、「じゅん子」というひらがなならば、「純子」も「淳子」も、もちろん「順子」も含まれてしまいますから、これは名前に幅を持たせる工夫といえますね。
こうすれば、この読みの名前に該当する当人はもちろんのこと、そんな名前の友人がいる人、かっての恋人がそうであった人、部下や上司がそんな名前の人、奥さんがそうである人、よその奥さんがそんな名前である人…これは余り深入りしては危険ですよ。(笑)
いずれにしろ、ともかく、そんな人たちは、かなりこの歌に親しみがもてますからね。(笑)
このあたり、深夜のラジオ番組で視聴者との交流で鍛えたみゆき姉さん、さすがの配慮です。(笑)
あのこの名前を真似たなら
私を愛してくれますか
あのこの口癖真似たなら
私を愛してくれますか
あのこの化粧を真似たなら
私を愛してくれますか
真似といえば、『鵜(う)の真似をする烏(からす)』ということわざがあります。
このことわざは、自分の能力を考えないで、他人の真似をする者、また真似をして失敗することのたとえとして使われます。
岐阜県長良川などの「鵜飼い」で知られる鵜という鳥は、もちろん水鳥なんですが、黒っぽくて、一見カラスにも似ているそうです。
しかし、鵜に似ていると言われたカラスが、勘違いをして、鵜の真似をして、魚を捕ろうと水に潜ると、もちろん、水におぼれてしまいます。(笑)
そういえば、カラスは泳ぐどころか、「カラスの行水(ぎょうずい)」なんていわれていますから、きっと水が苦手な鳥なんだろうと思いますね。
でも、知り合いで、若いとき、ツバメやってた人いますが、カラスやっていた人はいないんで、ほんとのとこ、わかりません。(笑)
そうそう、マリア・カラスやっていた人をご存知の方は、ご紹介ください。(笑)
ちなみに、鵜とカラスは、同じ鳥類であっても、鵜はペリカン目ウ科であり、カラスはスズメ目カラス科で、類縁ではありません。
つまり鵜は鵜、カラスはカラス、かもめはかもめ。(笑)
かもめは かもめ 孔雀や鳩や
ましてや 女には なれない
あなたの望む 素直な女には
はじめから なれない
「かもめはかもめ」 中島みゆき
ところで、植物でも、真似をしたわけではないのに、似ているものがあります。
桜、梅、桃、李(すもも)です。
これらは、バラ科サクラ属として、植物分類学上、類縁関係にありますが、やはり、微妙に違います。
そして、これらについて、古くから、『桜梅桃李(おうばいとうり)』という言い方をします。
『桜梅桃李』というのは、桜は桜であり、梅は梅であって、桜の木には、梅の花は咲かないし、桃の木には、李の実は実らないということを意味します。
それから転じて、それぞれに違うものであるから、それぞれの生き方でそれぞれの結果を実らせば良いのであって、自分らしく生きて行くことが大切であるという意味になります。
梅が咲いたからといって、桜はなにも、寒い中で咲くのを急ぐ必要はないし、李はなにも、桃のようにうぶ毛を生やそうなんて考えることも必要ありません。
もちろん、努力や向上心を否定するものではありませんが、李が桃にあこがれて、なんとか桃くらいの、うぶ毛が生えてこないかと、毎日、頭をたたいていても、やはり、生えてはこないでしょう。(笑)
まして、生えないことを嘆いて、安直に、かぶりものをすればいいというものでもありません。
李は、そのツルツル、スベスベが特徴なんですから、それを生かすようにハゲんだらいいのです。(笑)
えっ、そこのお父さん、この話題はみんな暗くなるから、もうやめにしたほうがいいって?(笑)
でも、『桜梅桃李』、気にしちゃいけませんよ。
これからは、みんなを明るく照らしてください。
…、て、もうこの話題はええか。(笑)
そうさ 僕らも 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1 にならなくてもいい
もともと特別な Only one
「世界に一つだけの花」 槇原敬之
ともあれ、『桜梅桃李』…あのこは、あのこです。
あなたには、あなただけにしか、咲かせることができない花があるはずです。
それを見つけて、大事に育ててくださいな…。
…と、いつものエッセイの展開ですと、これで無難にお開きということになるんですが…。(笑)
なんせ、みゆき姉ちゃんは、シビアですからね。
そう安易に、まとめさせてくれません。
なおも、過酷なフレーズを用意しています。(笑)
あのこをたとえば殺しても
あなたは私を 愛さない
これはやはり、どう読んでもすごい歌詞ですね。
たとえばの話にしても、穏やかではありません。
中島みゆきさんのすごさは、なんといっても、このずしりとくるような直球勝負の歌詞にあると思います。
絶望のふちにたたずみながらも、なお、ためらっている者の背中を勢いよく押して、絶望の奈落に突き落とすような感じです。
道に倒れそうな者に対しても、さらに足払いをかけて倒すような迫力も感じますね。(笑)
でも、やはり、真実を語る歌姫です。
あのこがいるから、愛されないのではなく、もはやどう転んでも、あなたは愛されないのです。
…いや、残念ながら、もともと、愛されていなかったのかもしれません。
これはつらい現実です。
でも、それが真実です。
ゆう子あい子りょう子けい子
まち子かずみひろ子まゆみ
似たよな名前はいくらもあるのに
私じゃ駄目ネ
綺麗ね可憐ね素直ね比べりゃ
あのこが天使
妬いても泣いてもあのこにゃなれない
また夜が明ける
失恋したときに限らず、人は失意に打ちひしがれたときには、なにをやっても駄目な感じがして、なにもかも自信を失って、自身までも失います。
この喪失感は、山より高く、海より深いものです。
でも、落ち着いて考えてください。
目を閉じて、ゆっくり思い出してください。
ほら、ほんとに失ったものは、わずかなのです…。
あなたがあなたである限り、あなたが一生懸命、生きていこうとする限り、そして、あなたがあなたの名前を大事にしようとする限り、あなたの名前を呼ぶ声が、また、かならず聞こえてきます。
こんどは、心の糸を通じて、聞こえてきますよ…。
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも
「命の別名」 中島みゆき
(初稿2004.5 未改訂) |