青春音楽館トップページへ

「あの頃のぼくは」―イルカ

   あの頃のぼくは若すぎて
   君の気まぐれを許せなかった
   そんな君のやさしさは おとなびていました

男子と女子と、どっちが気まぐれでしょうか。

答える人が、男子か、女子かで、その答えは、大きく違ってくるでしょうし、また答える人が、付き合った相手の気まぐれに、振り回された経験があるかないかによっても、大きく答えは異なるのかもしれません。

さらには、男子とか女子とかいう言い方より、男性とか女性とかいう言い方がふさわしい年長さんになっているかどうかによっても、答えが大きく違ってくるのかもしれません。(笑)

     若かったあの頃
     何も恐くなかった
     ただ貴方の優しさが恐かった
        「神田川」―南こうせつとかぐや姫

もちろん、男にしても、女にしても、気まぐれというものは、若さゆえの絶対的な経験不足によるものと、生まれつきの性格的なものとが大きく依存するとともに、相手との関係や状況にも影響されるものです。

この意味においては、女も気まぐれならば、男も気まぐれであり、性差はあまり無いのかもしれません。

     君はまだ たくさんの
     紙袋を かかえたままで
     この手紙 読んでいるだろう
     これで最後の 男の気まぐれとして
     どこか そこらの窓からすててくれ
                「置手紙」―かぐや姫

いずれにしろ、相手に対する一途さというのは、相手に対しても一途さを求めるものとなり、ときとして、その一途さは、鉄鎖となって、諸刃の剣となって、自己と相手を傷つけてしまうこともあるようです。

ところで英語では、“A woman‘s mind and winter wind change often”という言い方があって、直訳すれば、「女心と冬の風はしばしば変化するものだ。」、というほどの意味になるのでしょうか。

ちなみに、“A woman is a weathercock.”という英語の表現もあり、こちらの方も直訳すれば、「女性は風見鶏である。」、という意味になるでしょうね。

そして、これらの英語表現の言い回しを意訳したとすれば、日本語でも聞きなじみのある、「女心と秋の空」ということになるのかもしれません。

しかし、実はこの「女心と秋の空」というのは、男尊女卑の思想が強かった明治時代以前は「男心と秋の空」といったそうで、やがて西洋の思想やことわざの影響から男女が逆転したらしいとのことです。

いずれにしろ、偶発的な気まぐれから、やがて、確定的な心変わりをしていくという図式は、“It is no use crying over spilt milk.”つまりは、「こぼしたミルクを嘆いても仕方がない」という解を導き出して、とどのつまりは「覆水盆に返らず」になります。

中国古代の周の時代に、うだつの上がらぬ太公望に愛想をつかして出て行ったはずの元妻が、やがて名を成した太公望に復縁を求めてきました。

そのとき、太公望は元妻に、盆の上に水の入った器を持ってきて、器の水を床にこぼし、この水を盆に戻すことができたならば、復縁しようと言います。

もちろん、水を戻すことなどできるはずもなく、これが「覆水盆に返らず」の由来で、一度起きてしまった事は二度と元には戻らないということです。

   机の上に編みかけの
   セーター残していったまま
   朝から続く雨の日に
   泣きながら飛び出していった

編みかけのセーターは、よく見ると、棒針と呼ばれる二本の棒が交差したままで、あたかも二人の関係に×印をつけるようにして、残されています。

     まざり毛糸あつめて
     マフラー あんで
     秋の野原をかけてあげたい
         「サラダの国から来た娘」―イルカ

二本の棒が交差したあとに伸びる直線は、次第に遠ざかるばかりで、マフラーをあんであげたいと思ったあの頃のように、セーターを編みかけ始めたあの頃のように、もう再び交わることはないのです。

泣きながら飛び出して行けば、もう戻るすべはなく、勢いで飛び出してしまったロケット花火のようなものであっても、引き止める作用が及ぶ引力圏を脱っしてしまえさえすれば、いわゆるニュートンの等速直線運動で、あとは慣性で動いていきます。

     ぼくは ぼくの事しか見えなかった
     君が泣いてるなんて
     知らなかった
                  「君は悲しみの」―イルカ

空が泣いて雨になります。
空が代わりに泣いてくれるから、泣かなくて済むものならば、雨がもっと降れば良いものでしょうか。

     窓の外は雨 雨が降ってる
     物語の 終わりに
     こんな雨の日 似合いすぎてる
              「雨の物語」―イルカ

あるいは空が代わりに泣いてくれなくても、雨が涙を隠してくれるものならば、それは天の雨がほどこしてくれる化粧のひとつになるのでしょうか。

雨の日は、好きですか、嫌いですか。
好きではないけど、だからといって、嫌いでもないという人も多いかもしれません。

好き嫌いを問わず、雨に、止まない雨はありません。
だからこそ、雨はいつでも、とおり雨。
いつでも、時々、一時雨。
でも、できれば優しく降ってほしいものです。

   別れの言葉が夢の中で
   こんなにきれいに響いてます
   心のほんの片隅で つぶやいた言葉
   たとえば誰かの小説の
   ひとつの甘いフレーズとして
   ぼくの心の本棚に
   しまっておけるものなら

そういえば、ある小説に、こんなフレーズがありましたが、これは甘いといういうよりは、甘酸っぱい、またはほろ苦いフレーズなのかもしれません…。

     別れる男に、
     花の名をひとつ教えておきなさい。
     花は毎年必ず咲きます。
         「化粧の天使達−花」−川端康成

そう、花は毎年必ず咲くでしょう。
そして、その花を見るたびに、きっとその花の名を教えてくれた、あなたを思い出すでしょう。

さて、それでは、花の名は何にしましょうか。
別れるときの季節の花、それとも出逢った頃に咲いていた花、あの日の朝に咲いていた花、夕間暮れに秘かに開いた花…、それとも…。

移り気な紫陽花にしましょうか。
それとも向こうを向いた向日葵がいいのでしょうか。
あるいは華やかな花火のような曼珠沙華。
線香花火の火玉のようにポトリと落ちた椿花。
面影に香るような沈丁花もいいでしょうか。

そう、花は毎年必ず咲くでしょう。
そして、その花を見るたびに、きっとその花の名を教えてくれた、あなたを…思い出す…でしょうか。

中国唐代の詩人、劉廷芝は、年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからずと、吟じました。

     あの時同じ花を見て
     美しいと言った二人の
     心と心が今はもう通わない
         「あの素晴らしい愛をもう一度」
                   ―加藤和彦/北山修

人のこころ移ろいやすく、いずれにしろ、心の中の本棚にあるひとつの本のなかに、やはり想い出は想い出として、想い出のしおりとして、挟み込んで仕舞い込む方が良いのかも知れません。

     人は孤独のうちに生まれて来る。
     恐らくは孤独のうちに死ぬだろう。
               :
     人は愛があってもなお孤独であるし、
     愛がある故に一層孤独なこともある。 
               :
     愛することは愛されることよりも
     百倍も尊いし、愛の本質はあくまで、
     愛することにある。
          「愛の試み」−福永武彦

   君はもう 二人でいつも買ってた
   合挽きのコーヒーの
   あのほろ苦い味も 忘れたことでしょう
   今は一人部屋の中で
   コーヒー沸かしているんです

合挽きのコーヒーという言い方があるのを知らなくて、合挽きといえば、牛肉と豚肉、鶏肉などの肉のミンチの合挽きしか想い浮かびませんでした。

いや、もちろん、合挽き肉だけ思い浮かべたのではなく、それを素材にした料理の数々、ハンバーグであったり、ロールキャベツであったり、ミンチボールやミンチカツを思い浮かべたりしたと思いますが、それにつけても、ほぼ食い気ばかりですね。(笑)

この合挽きを、読みから、あるいはロマンチックに、逢い引きのことかと思われた方もいるかもしれませんが、そんな逢い引きという言葉についても、そろそろ、注釈がいるようになりましたね。(笑)

さて、合挽きのコーヒーというのは、いわゆる複数のコーヒーの豆を合い混ぜて、挽くということで、つまりはブレンドコーヒーのことだったようです。

しかし、コーヒーの味は、ブレンドしたコーヒー豆の種類とともに、焙煎(ロースト)の浅さ、深さの度合い、あるいは粗びきや細引きなどの挽き方の具合、そして抽出(ドリップ)する方法によっても、苦味と酸味と甘味が微妙に異なります。

そんなコーヒーの味は、決して忘れるものではないはずなのに、忘れようにも思い出せない、そんな微妙な年頃にも、やがてなってくるのですね。(笑)

   君はもう この古いアルバムの中の  
   想い出のひととして
   小さな灰皿の中で 燃えてゆくのです
   君の長い髪はとても
   素敵だったと言いたかった

あの頃、言えなかった言葉というものがあります。
若かったから、言えなかった言葉。
恥ずかしくて、言えなかった言葉。
素直すぎて、言えなかった言葉。
こだわりすぎて、言えなかった言葉。

     時が行けば幼い君も
     大人になると気づかないまま
     今 春がきて君は綺麗になった
     去年よりずっと綺麗になった
              「なごり雪」―イルカ

あの頃、言ってしまった言葉というものがあります。
幼すぎて、言ってしまった言葉。
意地を張って、言ってしまった言葉。
深く考えもせず、言ってしまった言葉。
心とはうらはらに、言ってしまった言葉。

“If I were a bird, I would fly to you.”という英語の表現がありますが、あるいは人によっては、“I wish I were a bird.”という方が記憶に残っているかもしれませんが、いわゆる仮定法過去という英文です。

仮定法過去、現在の事実に反する仮定、つまりは、いまとなってはもはや叶うべきもないこと。

そして、日本の古典の表現にもありますが、いわゆる「ましかば〜まし」を代表とする反実仮想の表現というのも習った記憶のある方もいらっしゃるでしょうが、いずれにしろ、ずいぶんと昔のことですね。(笑)

     わが背子と二人見ませばいくばくか
     この降る雪のうれしからまし
          「万葉集」−光明皇后

     世の中にたえて桜のなかりせば
     春の心はのどけからまし
          「古今和歌集」−在原業平

髪の毛が白く、薄くなってきて、おなかがポニョポニョしてきて、肩が上がらない代わりに、息はすぐに上がって、ついでに血圧も上がって、もはや、凛々しく、素敵だった、あの頃のぼくに、もう戻れません…。

素敵だった…って、それこそ、反実仮想の仮定法過去ちゃうのんって突っ込みがありそうですが、まあ、もはや妄想に近いものですから、迷惑がかからない限り、ほっといてやってください。(笑)

いずれにしろ、昨日は昨日、過去は過去です。
やはり、「覆水盆に返らず」です。

いや返らないのは覆水どころか、年寄りの冷水(ひやみず)さえも返らなくなって、もはや、どう転んだとしても、骨折するくらいが関の山で、決して、あの頃には戻れやしないのですから、ならば転ばぬように、ちょっと前のめりになって、ぼちぼちと生きましょうよ。

あの頃、あの頃の僕や私と、あの頃の曲を聴いて、同じ時代を生きて、そしてちょっと早く、逝った人たちの分までも、ぼちぼちと生きましょうか…。

覆水は盆に返らなくても、逝った人たちは、毎年、お盆には帰ってきているのかもしれませんから。(笑)



イルカさんは、本名、神部(かんべ)としえさん、旧姓は保坂としえさん、1950年(昭和25年)東京都中野区出身、女子美術大学卒。

保坂としえさん時代に、神部和夫さん率いるフォークソンググループ「シュリークス」のメンバーとなり、その頃の「シュリークス」のメンバーには、かぐや姫のメンバーだった山田パンダさんがいました。

その後、メンバーが抜けて、神部和夫さん、保坂としえさんの二人組みとなり、二人は1972年(昭和47年)に結婚、1974年(昭和49年)に、イルカさんは、この曲「あの頃のぼくは」でソロデビューしました。

なお、神部和夫さんは、イルカさんのソロデビュー後は音楽プロデューサー及びマネージャーとなって、イルカさんの活動を支えて、2007年(平成19年)にパーキンソン病で亡くなられています。享年59歳。

イルカさんは、1975年(昭和50年)に、「あの頃のぼくは」と同じく、かぐや姫のメンバーだった正やん、こと伊勢正三さんの作詞・作曲による「なごり雪」をカバーし、これが大ヒットしました。

その後も、正やんの「雨の物語」や「海岸通」をカバーするとともに、「君は悲しみの」、「サラダの国から来た娘」などの自作曲もヒットさせています。

なお、1978年(昭和53年)生まれの一人息子、神部冬馬(とうま)さんも、シンガーソングライターとしてデビューしています。

(初稿2009.8 未改訂)


あの頃のぼくは

作詞/作曲  伊勢 正三

あの頃のぼくは若すぎて
君の気まぐれを許せなかった
そんな君のやさしさは おとなびていました
机の上に編みかけの
セーター残していったまま
朝から続く雨の日に
泣きながら飛び出していった

君はもう この古いアルバムの中の  
想い出のひととして
小さな灰皿の中で 燃えてゆくのです
君の長い髪はとても
素敵だったと言いたかった

別れの言葉が夢の中で
こんなにきれいに響いてます
心のほんの片隅で つぶやいた言葉
たとえば誰かの小説の
ひとつの甘いフレーズとして
ぼくの心の本棚に
しまっておけるものなら

君はもう 二人でいつも買ってた
合挽きのコーヒーの
あのほろ苦い味も 忘れたことでしょう
今は一人部屋の中で
コーヒー沸かしているんです

君はもう この古いアルバムの中の  
想い出のひととして
小さな灰皿の中で 燃えてゆくのです
君の長い髪はとても
素敵だったと言いたかった

1974年(昭和49年)
「青春音楽館」トップページへ