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6時のターミナルで ふりむいたきみは
板に付いた 紺色のスーツ
今でも気まぐれに 街をゆくぼくは
変わらないよ
ああ あの頃のままさ
終点、末端、端末などを意味する英語のターミナル(terminal)に由来して、一般的には、鉄道路線における列車の起点・終点となる駅のことを、ターミナル駅と呼び、これを略してターミナルとも言います。
もちろん、バスやトラック、船や飛行機など、他の交通網におけるところの起点・終点、若しくは結節点なども、ターミナルということがあります。
もっとも、最近において、ターミナルという言葉で連想するのは、医療現場などにおける、いのちの終点、つまるところの終末期における医療ケア、すなわちターミナルケア(Terminal Care)などを想起します。
とどのつまりが、緩和ケアやホスピスケアに、ついつい想いが至ってしまうのも、年齢的に、そもそもマスター(館長) 自身が、人生のターミナルに近づいてきているせいなんでしょうか。(笑)
ともあれ、ある意味では、そのターミナルが、今世から来世への乗り換え駅というほど意味ならば、多少の救いになるかも知れませんが、こればっかりは、その人の生まれ育った環境や、宗教的、哲学的な素養、死生観とも関連し、一概には言い切れません。
とにかく、話を元に戻せば、鉄道路線における代表的なターミナルとしては、東京、新宿、渋谷、池袋、横浜、名古屋、大阪の梅田と難波、神戸・三宮、福岡・天神などが挙げられるとされています。
もとより、これはかなり古くからの有名な鉄道を中心としたターミナルであり、交通網の発達や都市の再開発で、新たなターミナルも加わっているでしょう。
また、例えばマスター(館長) のように、大阪市内で、環状線の内側の出身ならば、鶴橋と天王寺あたりはターミナルとして欠かせないと思いますし、また、同じ大阪であっても、北摂や泉州の人ならば、それぞれ他のターミナルを思い出したり、あるいは全国のどなた様にも関わらず、きっと思い出したりするターミナルがあるのだと思います。
いずれにしろ、紺色のスーツにネクタイを締めてという格好で、おそらくは午後6時のターミナルにいるというのは、就職して、社会人としてスタートを切ってまもなくの頃、残業をするほどには仕事をしておらず、かといって、アフター5の付き合いも浅く、寄り道を余りせずに通勤をしているような頃のことだと思います。
社会の一翼を担い始めたのだという自負とともに、単なる歯車のひとつになってしまったのかという自虐めいた感情に苛まれながらも、いつしか生活のためだからと割り切ろうとして、通勤の道を慣れた足取りで急いでいる自分を見つけたりします。
去りゆく若い時間をひとり止めしているようで
うらやましいやつだよと はじめて笑ってくれた
ターミナル駅に限らず、思いがけない場所で、思いもかけずに呼び掛けられて、誰だろうかと振り返ってみると、かっての同級生や、あるいはかっての仲間の笑顔に出会うというようなことがあります。
もちろん、あの頃と比べて、髪の毛や体型が残酷なほどに違っていて、時の流れを実感しても、少なくとも、目の前の相手が、現在の自分と、同じような雰囲気ならば、同じようにして、あの頃を懐かしむことができるでしょう。
でも、その人が、あの頃のままだったとしたら…。
それを実感した出会いがあり、複雑な想いをしたことが、かってのぼくにもありました。
一人は大学時代の同級生の彼で、とある難関の資格試験の勉強仲間でしたが、マスター(館長) は、経済力と根気が続かずに、早々に脱落してしまって、サラリーマンとして就職を決めて、何年か経って、仕事の関係で調べ物をするために、職場の帰りに図書館に行った時に、彼から声を掛けられました。
彼の風体がまだ学生っぽくって、そう、まだ試験に挑戦しているということでした。
もう一人は、中学時代の同級生の彼で、彼は高校の頃から本格的なバンドを組み、マスター(館長) も多少ギターを弾いていたものの早々に脱落してしまって、彼はライブハウスでセミプロ程度に活躍していたものの、生活が成り立たずに、ディスカウントストアのバイトをしているときに、マスター(館長) が客として買い物に行った時に、彼から声を掛けられました。
彼の風体はステージに立てば映えそうで、そう、まだメジャーデビューに挑戦しているということでした。
ネクタイ少しゆるめ 寂しげなきみが
馴染みの店に 腰すえる夜は
陽焼けした両足を 投げだしてぼくも
“Simon and Garfunkle”
ああ ひさしぶりにきく
そして、もう一人。
そう、小学生だったぼくに、サイモンとガーファンクル(Simon and Garfunkle)の名前を教えてくれて、そして、彼らの曲を聞かせてくれた彼。
もちろん、彼もまたあの頃は、小学生でした。
幼稚園から高校まで、同じ学校の同級生として過ごし、大学も彼は一年浪人したものの同じ大学。
高校の頃からアルバイトでネクタイを締め慣れていたぼくが、大学生になってアルバイトをし始めた彼と、同じ勤務先でアルバイトをすることになり、ぼくのお古のネクタイで締め方を教えたりした。
一足先にぼくは社会に出て、彼はあとから、社会に出てきたものの、夢を捨てきれずにというか、夢を探して、夢と出会うために、上京しました。
人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと
たあいない夢なんか とっくに切り捨てたきみ
彼が帰阪したり、ぼくが上京するときには、会っていたもの、やがては、会う回数も会う時間も減って、いつしか、儀礼的な年賀状のやりとりが中心のような、疎遠な関係になってしまっていた…。
でも、いつか年老いて、自分の時間を取り戻したら、また飽きるほどに、あの頃に語り合った行く末の人生について、来し方の人生について、あの頃のまま語り合えることを信じていた…。
でも、思いもかけずに届いた彼の訃報…。
サイモンとガーファンクル、あのグレーティストヒットの名盤を、また一緒に聞きたかった…。
少し音程の外れた君の因幡晃の 「わかって下さい」のカラオケも聞きたかったよ、ウエダ。
でも、君は君の人生を生きた。
そして、ぼくは、ぼくの人生を生きるしかない。
For yourself For yourself
そらさないでおくれ その瞳を
人は自分を 生きてゆくのだから
For myself For myself
幸せの形に こだわらずに
人は自分を 生きてゆくのだから
君のために、そして自分のために。
そう、人は自分を生きてゆくのだから。
自分自身を生きてゆくしかないのだから。
そう、人は自分の人生の中では、誰もがみな主人公なのだから。
時には思い出ゆきの
旅行案内書にまかせ
“あの頃”という名の駅で下りて
“昔通り”を歩く
「主人公」―さだまさし
昔通りを歩きます。
そして、その昔通りで、出会う人がいます。
若かったあの頃
何も恐くなかった
ただ貴方の優しさが恐かった
「神田川」―南こうせつとかぐや姫
そう、若かったあの頃に戻るのです。
若かったあの頃に戻るのです。
誰に出会うのか、もう、分かりますよね。
青春の うしろ姿を
人はみな 忘れてしまう
あの頃の わたしに戻って
あなたに会いたい
「あの日にかえりたい」―荒井由実
そう、わたしもあなたもあの頃のまま…。
ブレッド&バター (Bread & Butter)は、神奈川県茅ヶ崎市出身の岩沢幸矢(いわさわさつや)さんと、岩沢二弓(いわさわふゆみ)さんの兄弟デュオです。
ブレッド&バターは、略してブレバタなどとも言いますが、昭和44年(1969年)に、「傷だらけの軽井沢」でデビューし、翌年に「マリエ」がヒットし、菅原孝さん、菅原進さんの兄弟デュオであるビリーバンバンと同じく、ブレバタも、兄弟デュオらしい息のあったハーモニーが秀逸です。
二人とも、作詞・作曲しますが、この「あの頃のまま」の楽曲の作詞・作曲は、呉田軽穂さん。
呉田軽穂さんは、そう、ユーミンこと松任谷由実さんのペンネームで、自ら歌うことはないだろうという提供曲には、匿名性を持たして、スウェーデン出身のハリウッド女優のグレタ・ガルボ(Greta Garbo)をもじった呉田軽穂で発表したそうです。
松田聖子さんの「赤いスイートピー」や、 薬師丸ひろ子さんの「WOMAN “Wの悲劇”より」なども、呉田軽穂として発表されています。
なお、この曲は、関西の方なら、関西ローカルの刑事ドラマ「部長刑事」シリーズのアーバンポリス24のエンディングテーマ曲として、島田歌穂さんが歌っていたことを記憶している人も多いでしょう。
(初稿2009.6 未改訂) |