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異邦人と聞いて、フランスの作家、カミュ(Albert Camus)の小説「異邦人」を思い起こし、あるいは実存主義や、不条理などという哲学的命題のもとに、人はどう生きるべきか、などと、夜を明かして論争した青春時代を懐かしむ人も多いかも知れません。
ぼくも、旅先の夜汽車の中で出会った一人旅の某国立女子大学の学生と、カミュ文学論をたたかわせ、まったく付け焼刃の知識が歯がたたなくて、「曰く不可解」と寝たふりしたことを思い出しました。(笑)
えっ、その後のことですか…。
あっ、急に睡魔が(o− −)o(o_ _)oドテッZzzzz(笑)
異邦人は、フランス語のエトランゼ(Etranger)の訳語で、異国人、外国人の意として一般に使われますが、聖書では、ユダヤ人以外の人々を呼ぶ語として使われています。
ところで、カミュは、フランスの作家と書きましたが、実は、仏フランスの植民地であった時代のアルジェリアの生まれで、イスラム教アラブ文化圏の中で、しかも、スペイン人の母親のもとで育ちました。
カミュが活躍したフランスでは、やはりカミュ自身が、異邦人を意識したであろうことは、容易に推察できます。
子供たちが空に向かい 両手をひろげ
鳥や雲や夢までも つかもうとしている
いまの子どもたちは、夢はおろか、鳥や雲さえ、簡単につかめるものでない事を、幼くして知ってしまいます。
選択できぬ生まれ育った環境条件のもとで、早期に才能や素質を選別されては、夢をもて、ということが、酷なのかもしれません。
しかし、それでも、未来や将来があるということだけで、やはりそれが、子どもすべてに与えられた特権なのか思います。
それを尊重するのが大人の役目でしょうね。
その姿は きのうまでの 何も知らない私
あなたにこの指が 届くと信じていた
恋愛経験も、はじめての頃は、まるで夢の中…。
たとえば、恋人たちの気持ちは、いつでも目と目とを合わせば通じ合うものであり、しかも、永遠に続くものであると、錯覚というよりは、一種の神がかりの信仰めいたものを持つものです。
あなたにとって 私ただの通りすがり
ちょっと ふり向いてみただけの異邦人
ところが、この信仰のご利益は、すべてに命をかけるほど絶大なんですが、…効果には持続性がありません。(笑)
それどころか、一度は同じものを信じた二人が、ある時を境にして、突然に、互いに異教徒となり、見知らぬ人になるのです。
いや、見知らぬだけでは済まされずに、むしろ相手の変節、転向を恨みのろい、異教徒として、排撃するまでになってしまいます。
もちろん、どちらが変節、転向したかは問わず…。
宗教が決して、他に対して寛容なものでなく、排他排撃するものであることは、幾多の宗教紛争の歴史を見れば歴然です。
違うものを信じる者同士の共存は、難しいですね。
市場へ行く人の波に 身体を預け
石だたみの街角を ゆらゆらとさまよう
こういうときは、一人、遠くに旅に出るに限ります。
いわゆる感傷旅行(sentimental journey)ですね。
相手との想い出の場所でも、まったく違う場所でも構いません。
なぜなら、旅先で探すのは…明日の自分の姿なんですから…。
祈りの声 ひずめの音 歌うようなざわめき
私を置きざりに 過ぎてゆく白い朝
そして、そこで、異邦人となって、置き去りにされた自分を発見したときに、もはや、戻れる時間と場所はどこにもないことを、静かに悟ることができます。
でも、しかし…。
あとは哀しみをもて余す 異邦人
あとは哀しみをもて余す 異邦人
久保田早紀さん、本名は久保田小百合さん(現久米姓)。
シルクロードをイメージさせる異国情緒あふれる「異邦人」のヒットにより、いちやく有名になるものの、そのあとが続かずに、フュージョン・バンドの元スクエアにいた音楽家、久米大作氏(ナレータ俳優の久米明氏の息子)と結婚し、芸能界を引退。
現在、ゴスペルを中心とした日本のクリスチャンミュージック(教会宗教音楽)分野をやっておられるようです。
(初稿2001.1 未改訂) |