「イムジン河」―ザ・フォーク・クルセダーズ
1945年(昭和20年)8月15日の正午、昭和天皇は、大東亜戦争終結の詔書をみずから朗読したラジオ放送で、大日本帝国が、アメリカ・イギリス・中華民国・ソビエト連邦(ソ連)の連合国側が発したポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をしたことを告げた。
その後、7年間、日本はアメリカ
合衆国
を中心とする連合国軍総司令部による占領下に置かれて、
連合国の進駐軍の駐屯は、1951年(昭和26年)に、アメリカ合衆国などの連合国との間の戦争状態の終結のための「日本国との平和条約」いわゆる「サンフランシスコ講和条約」を締結するまで続いた。
一方、
1910年(明治43年)の大日本帝国と大韓帝国との日韓併合条約に基づく韓国併合により、日本の統治下にあった朝鮮半島は、日本の敗戦により、連合国側の軍政下に入ることになる。
そして、朝鮮半島は、北緯38度線以の北朝鮮地域にソ連軍が進駐することになり、また南半分の南朝鮮地域を、米軍を主力とする連合国軍が進駐して、南北を分割して占領統治を開始した。
これは、ポツダム宣言に先立ち、第二次世界大戦の戦局の趨勢が明らかになった、1943年(昭和18年)年11月のカイロ宣言時において、朝鮮を自由かつ独立のものにすると約されたことと、そして、1945年(昭和20年)2月のクリミア半島にあるヤルタで開かれたアメリカ・イギリス・ソ連のヤルタ会談において、連合国による信託統治を行うことが合意(ヤルタ秘密協定)されていたことによる。
そして、1948年(昭和23年)の8月には、アメリカが支援するもとで大韓民国(韓国)が建国され、また、9月にはソ連が支援するもとで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が建国されて、ひとつの朝鮮半島にふたつの政権が樹立されることになる。
なお、1949年10月には、中国国民党が率いる中華民国政権を台湾に追いやるような形で、ソビエト連邦の支援のもとで、中国共産党が率いる中華人民共和国(中国)が成立する。
また、第二次世界大戦で日本の同盟国であったドイツの国防軍は、日本より3か月も早くに降伏し、1949年5月にに、アメリカ、イギリス、フランスが支援するドイツ連邦共和国(西ドイツ)と、10月にソ連が支援するドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立するに至り、ドイツは資本主義と共産主義が対峙する、分断国家となった。
この背景のもとで、1950年(昭和25年)6月、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、事実上の国境線となっていた北緯38度線を越えて、韓国に侵攻したことによって、いわゆる朝鮮戦争が勃発した。
朝鮮戦争は、アメリカ軍、韓国軍を中心とする国連軍と、中国軍、北朝鮮軍、ソ連軍の連合軍の戦いとなり、1953年(昭和28年)7月の休戦までの3年間に及ぶ戦争は、朝鮮半島全土を戦場として、多くの兵士たちの命を奪うのみならず、一般市民にも多くの死傷者を出しながら、朝鮮半島全土を焦土化させ、荒廃させた。
イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥自由に むらがり飛びかうよ
我が祖国 南の地 おもいははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る
イムジン河は、朝鮮半島中部に源を発して、下流では漢江と合流して黄海に注ぐ川で、臨津江と書き、韓国語ハングル表記では、イムジンガン、朝鮮語チョソングル表記では、リムジンガンと呼ばれる。
なお、イムジン河は、豊臣秀吉時代の朝鮮出兵である、文禄・慶長の役の文禄の役では、加藤清正らの日本軍と、明の冊封国であった李氏朝鮮(李朝)の朝鮮軍と、イムジン河を挟んだ臨津江(りんしんこう)の戦いとして日本史に名を残している。
1953年(昭和28年)7月27日に調印され、発効した「朝鮮戦争休戦協定」は、正式には、「朝鮮における軍事休戦に関する一方国際連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令員との間の協定」と呼ばれている。
北緯38度線付近を通る軍事境界線上にある板門店で、協定が調印され、「中立国監視委員会」と「軍事停戦委員会」が設置されたが、あくまで現在も休戦状態のままであり、確定された国境ではない。
北緯38度線の世界的な位置関係を見ると、日本列島では、新潟県、山形県、宮城県を通過し、太平洋を通って、アメリカ合衆国のカリフォルニア州に至り、大西洋を経て、ポルトガルに達して、朝鮮半島では、その北緯38度線上付近をイムジン河が流れている。
北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を 二つにわけてしまったの
誰が祖国をわけてしまったの
第二次世界大戦後、世界は、政治、経済、社会体制の相違から、アメリカ合衆国を中心とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を中心とする共産主義・社会主義陣営が対立することになった。
資本主義国が主として西ヨーロッパ、社会主義陣営が東ヨーロッパにおもに集まっていたことから、東西冷戦と呼び、その象徴的であったのは、西ドイツ、東ドイツの分断国家の存在であった。
しかし、1990年(平成2年)、分断されていた東西ドイツは、その前年のベルリンの壁崩壊からあっけないほどの速さで、統一化を果たしたが、一方、朝鮮半島にある韓国と北朝鮮は、いまだ統一化の道筋は見えておらず、むしろ一触即発の対立状態にすらある。
この原因には、半島という地理的条件から、古来から強烈な中華思想を持つ中国大陸との関係や、近代における欧米列強の経済的軍事的なアジア進出を背景とした、日本の植民地政策、あるいは世界大戦後の東西冷戦構造の確立といった、長期的にして、かつ広範な歴史的な要因が大きく影響していることは否定できない。
ひとつの民族が、関係諸国が描いた歴史のはざまの中で翻弄されてきた、これも世界史的に、ひとつの例といえるのではないか。
もちろん、一方で、半世紀以上の時を経て、そして、世界情勢もめまぐるしく動いている状況の下で、このような分断国家が続いていることについては、世界を動かす大国や近隣の周辺諸国の外交的な要因ばかりではないと思う。
朝鮮半島における韓国・北朝鮮の人々も、民族みずからの意志で、みずからの責任で、過去に囚われず、真剣に、未来にあるべき国家について、冷静に考えて行動していく時代にあると思う。
そして、もちろん、朝鮮半島と、古くから交流のある日本としても、過去に囚われず、真に平等で対等、友好的な関係を築いていくことが、日本人にも、いまこそ強く求められていると思う。
イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ おもいを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも 忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る
ザ・フォーク・クルセダーズ、略して、フォークルといえば、一般的には、大ヒットしたコミカルソングの「帰ってきたヨッパライ」のイメージが強かったのですが、フォークでもなくロックでもなく、コミックソング
からラブソング、プロテスタントソングまで、その守備範囲は広く、のちに続くアーティストに大きな影響を与えたという意味においては、日本のビートルズという評価も決して誇張ではないと思います。
この唄は、
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)での楽曲を、加藤和彦さんがフォーク調の楽曲にアレンジして、北山修さん、端田宣彦さんとともに歌い、自主制作レコード(アングラレコード)のアルバム「ハレンチ・ザ・フォーク・クルセダーズ」に収録しました。
そして、深夜のラジオ番組などで放送されて、人気が出て、東芝レコードがシングルで発売を企画しましたが、原作者の著作表記がない、日本語歌詞が北朝鮮の原作に忠実でない点などについて、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)の抗議があり、大手総合電機メーカーのグループ会社である東芝レコードが南北朝鮮問題に対する政治的あるいは貿易的な配慮からか、発売自粛としました。
そして、放送も、長らく自主規制されていましたが、近年は、特に規制されていないようで、日本放送協会(NHK)でも流されています。
唄が自由に歌えない社会、唄を自由に聴くことができない社会というのは、どんな時代であっても、どんな理由をつけても、間違っている、あってはならないことだと思います。
もちろん、表現の自由とともに著作権の保護も大切なことです。
なお、原曲の歌詞について、臨津江(リムジンガン)という北朝鮮表記で、在日朝鮮人の児童文学者である李錦玉さんの訳詞がありましたので、参考のため掲載しておきます。
リムジンガン 水清く 静かに流れゆき
鳥は河を 自由に飛びかうよ
南のふるさとへ なぜに帰れぬ
リムジンの流れよ こたえておくれ
水鳥かなしく 南の岸でなき
荒れた畑に むなしく風たつ
幸せの花咲く 祖国の北のうた
リムジンの流れよ こたえておくれ
訳詞 李錦玉
原曲者や北朝鮮(朝鮮総聯)側の歌詞に対するこだわりが、なんとなく、この歌詞からわかるような気がして、興味深いです。
でも、北であれ、南であれ、同じく朝鮮民族の住んでいる、朝鮮半島であることは、北であれ、南であれ、どちらも忘れてほしくないことであり、分断の歴史を早く終わらせることを切に願います。
※このエッセイは、2002年(平成14年)5月に、日本と韓国で共同開催された、第17回FIFAワールドカップ(国際サッカー連盟世界選手権大会)を記念して、青春音楽館に期間限定で掲載した初稿について、全面改訂したものです。
(初稿2002.6 2014.8改訂)
イムジン河
作詞 朴 世永
作曲 高 宗漢
訳詞 松山 猛
編曲 加藤和彦
イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥自由に むらがり飛びかうよ
我が祖国 南の地 おもいははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る
北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を 二つにわけてしまったの
誰が祖国をわけてしまったの
イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ おもいを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも 忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る
1968年(昭和43年)