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いまもあなたが好き
まぶしい思い出なの
あの日別れた駅に立たずみ
あゝ青い枯葉かんでみたの
目もくらむような、まぶしさだった思い出たちが、いつしか深まりゆく秋の弱まった日差しの木洩れ日のように、やさしくなっていきます。
そして年を経るごとに、思い出たちは丸くなっていくような気がします。
そういえば、木洩れ日が地面に映るときに、その木洩れ日の形はまん丸なことを知っていますか。
イチョウであれ、ポプラであれ、イロハモミジであれ、プラタナスであれ、また、若葉であれ、枯葉であれ、葉のどんな形状にもかかわらず、地面に映るときの木洩れ日は、まん丸な形なのです。
この形は、いわゆるピンホールカメラ(針孔写真機)の原理から、つまりは太陽の形が、そのまま地面に映し出された形なのだそうです。
だから、部分日食などで太陽の形が三日月形になれば、おなじように木漏れ日も三日月形になるといわれています。
思い出は丸く、体型も丸く、身体がおもいでぇ〜となったいま。
あの日別れた駅には、しゃれた駅ナカなんてできちゃったいま。
待ち合わせ場所を間違えても、携帯電話ですぐ会えるいま。
青い枯葉かむ代わりに、青汁を飲むようになったいま。
そして、いまはむかしと、ふと見渡せば、色づく街。
温帯に属している我が国では、四季がはっきりしており、その季節の折々に、街の景色が、桜色になったり、黄緑色になったり、空色や青色になったり、白色と黒色になったりします。
それぞれの季節に、街の彩りがあって、それぞれの季節に、色づく街があるような気がしますが、それでも、やはり、なんといっても、色づく街というと、秋の街でしょうね。
そして、秋の街は、人恋しい街ですね。
街は色づくのに
会いたい人はこない
母に甘えて打ち明けるには
あゝ少し大人過ぎるみたい
身体的にも精神的にも、異性への関心が自然と高まりゆく思春期の頃から、親子の関係も大きく変化していきますが、ことに、親子間が、異性か同性かでも、大きく異なることでしょう。
特に母親に対する思いは、男の子と女の子とでは、かなり、違うものなんでしょうか、内在的に母性を秘めた女子の方が、母に対して客観的であり、男子の方はやはり、エディプスコンプレックス的に主観的であるように思います。
母がまだ若い頃 僕の手を引いて
この坂を登る度いつもため息をついた
「無縁坂」―グレープ
小さい時なら良かったと 淋しいことを言わないで
母さんの袖に掴まって 後ついて行くだけなんて
「誰かが落とした悲しみを」―N.S.P
いずれにしろ、人が人と、他者との愛情関係に目覚めたとき、はじめて親子の情愛は、依存した関係から自立した関係へと変化していくことが可能となり、そのときになって、はじめて、子の親離れ、親の子離れができるようになる気がします。
ところで、秋の街は、遠くに見える山野だけでなく、街全体も色づいてきますが、これは、いうまでもなく、山野の木々だけでなく、庭先や、公園、街路樹などの落葉広葉樹も、赤や黄に色変わりするからです。
日本語の古語では、秋になり草木の葉が紅や黄色に色づくことや、紅葉(こうよう)することを、「もみつ」または「もみず」と言いました。
ここから、紅葉する、あるいは黄葉(こうよう)する植物のことを、モミジと呼ぶようになったようですが、今では、一般的には、モミジといえば、見事なくらいに鮮やかに紅葉するカエデの仲間のことをいいます。
しかし、元来は、色づく葉は、ぜんぶモミジと言い、黄緑色の葉から黄色または黄金色に、黄変していく、黄葉のイチョウ(公孫樹)などは、銀杏黄葉(イチョウモミジ)という風情のある言い方をします。
金色のちひさき鳥のかたちして
銀杏散るなり岡の夕日に
「恋ごろも」−与謝野晶子
ところで、大阪では、紅葉といえば、イロハモミジの紅葉と、滝と猿で有名な、北摂地域の明治の森箕面国定公園があり、しかも、ここは食い倒れの大阪らしく、花より団子ならぬ、もみじの葉をそのまま天ぷらに揚げた、もみじの天ぷらというお菓子もあります。(笑)
それから、大阪では、黄葉といえば、大阪のキタの梅田とミナミの難波を結ぶメインストリートである御堂筋の街路樹の銀杏黄葉、約1,000本くらいが黄葉する様は見事です。
銀杏並木の 御堂筋を
肩を並べて 二人きり
もっと歩こう 中之島
川の向こうに ネオンの灯り
「たそがれの御堂筋」−坂本スミ子
いちょう並木は、枯葉をおとし
雨の舗道は 淋しく光る
あなた……あなたのかげを
あなたを偲んで 南へ歩く
「雨の御堂筋」 −欧陽韮韮
あの人もこの人も そぞろ歩く宵の街
どこへ行く二人づれ 御堂筋は恋の道
映画を見ましょか それともこのまま
道頓堀まで 歩きましょうか
「大阪ラプソディー」−海原千里・万里
マスター(館長) は、大阪生まれの大阪育ちなんですが、上に述べた大阪の色づく街に、残念ながら、色づく、というか、色気づくような思い出話は、幸か不幸か、ありません。(笑)
つまりは箕面公園というのは、大阪の小学生にとっては、遠足・郊外学習の場所であり、箕面滝の紅葉よりも、試食のもみじの天ぷらの甘いお菓子味の記憶しかありません。
御堂筋は、道路に落ちた銀杏を友だちたちと拾いに行って、交通整理の婦警さんに注意された記憶しかありません。(笑)
切ない色づく街の思い出がないのが切ないかも。(笑)
人に押されて歩く夕暮れ
あゝあなただけがそこにいない
愛のかけら抱きしめながら
誰もみんな女になる気がするの
さよならはその日のしるしね
愛のかけらを抱きしめたり、男や女になる気がする、さよならはその日のしるしの色づく街としての記憶ならば、やはり京都の嵐山などや、奈良の奈良公園あたりなどが、やはり記憶として強いのかもしれません。
誰との記憶のことかって?、そりゃ〜言えまへんがな。(笑)
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の
声聞くときぞ秋はかなしき
「古今集」−猿丸太夫
秋風の吹きにし日より音羽山
みねの梢も色づきにけり
「古今集」−紀貫之
桐の葉も踏み分けがたくなりにけり
必ず人を待つとなけれど
「新古今集」−式子内親王、
いずれにしろ、色づく街を彩った、色づいた葉たちは、やがてその色を薄れさせていき、そして枯れていって、色あせた枯葉となって、そして、ひとひらふたひら、舞い散るようにして、落ちていきます。
街は色づくのに
会いたい人はこない
人のやさしさ 人のぬくもり
あゝ通り過ぎてわかるものね
人生のかなりの時間を過ごしたいま、まためぐり来る色づく街で、会いたい人はこなくても、いまならわかる、人のやさしさ、人のぬくもりに、いまふたたび出会えたら…、そんな思いを秘めて色づく街へ。
南沙織さん、1954年(昭和29年7月2日)、沖縄県出身、1971年(昭和46年)6月「17才」でデビュー、第13回日本レコード大賞新人賞受賞。上智大学卒業。本名は篠山(旧姓:内間)明美さん、夫は写真家の篠山紀信氏、次男の篠山輝信氏は俳優。愛称は、月の女神、蟹座の守護神の意味の洗礼名、Cynthia (シンシア)でした。
この「色づく街」は、1973年(昭和48年)、南沙織さんの9枚目のシングルとしてリリースされ、この曲で第24回NHK紅白歌合戦出場、その後学業専念を理由に引退して、篠山紀信と結婚、1991年(平成3年)第42回NHK紅白歌合戦に出場して、この曲を歌唱しています。
マスター(館長)は、アイドル系の楽曲は、あまり詳しくないのですが、南沙織さんのだけは、容姿も歌唱も楽曲もぜんぶ好きでした。(笑)
今回のアップに際して、ネットで改めてシンシアの画像を検索してみると、そうか高校のときの演劇部の部長は、雰囲気がシンシアに似てたんやなぁと、思いましたが、まあ、まぶしい思い出としても、通り過ぎてわかったとしても、なにをいまさらのハナシ、切ないなぁ。(笑)
1991年(平成3年)の年末の紅白歌合戦に、30代後半で、久し振りに出てこられたときは、シンシアも結婚して、ママさんになったんやなぁ、あゝ通り過ぎたんやなぁ〜と、時の流れを感じたものです。(笑)
もっとも、そのときは、マスター(館長) もパパになっていて、となりのトトロみたいに、子どもをお腹に乗せながら、その紅白を見てましたから、やはり時の流れを感じたものです。(笑)
(初稿2011.10 未改訂) |