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「おもいで河」―中島みゆき

突然ですが、ここで問題です。

世界で一番長い川はなんでしょうか。

えっ、ミシシッピー川ですか?

ファイナルアンサー?

…なんて、もったいぶって、心臓に良くない、じらすようなことは言いませんよ。

いいわね、ズバリ、言うわよ。…って、こっちの方がもっと、心臓に良くないかな。(笑)

はい、ミシシッピー川でも、いちお〜〜〜正解…としておきます。

ミシシッピー川と答えたあなたは、おそらく推定年齢○○才以上ではないかと考えられますので、この年齢層の方々については、男女を問わず、独身・既婚を問わず、髪の多少を問わず、腹のたるみの大小を問わず、この回答は、正解としておきます。(笑)

…というのも、確か、むかしむかしの時代には、学校では、そう教えた時代がありましたからね。(笑)

めぐる〜 めぐるよ〜 時代はめぐる〜♪
しかし、やはり、時代はめぐるんですよね。(笑)
いつのまにか、正解が変わっているのです。

みなさん、良かったですね。
化けるほど、生きてはいなくても、ボケるほど、生きてきたかなと、そろそろ思う今日この頃のあなた!
でも、まだまだ、記憶は確かですから。
もっとも、昔の記憶ならば…、の話しですが。(笑)

はい、では、ほんとの正解を教えましょう。

世界で一番長い川は、ナイル川です。

アフリカのナイル川が長さでは一位で6695km、続いて南米のアマゾン川の6516kmで二位、、そして三位の中国の長江6380kmと続き、アメリカのミシシッピー川は6019kmで、四位となっています。

きっと、あなたの人生とともに、ミシシッピー川は短くなってしまったのでしょうね。(笑)

冗談はともかく、これは、ひとつはアフリカや南米の探検や開発が進んで、それらの川の水源が新たに発見されたり、再測量されたりして、川の長さが修正されたことがあげられます。

もうひとつは、川の長さの定義の変更です。

川の長さは、現在は、本流(水量の多い流れ)の長さで比較されているのですが、かっては支流も含めて河口からもっとも遠い水源までの長さで比較されていました。

つまり、ミシシッピー川本流の水源は湖ですが、そこから河口にいたる途中に、ロッキー山脈を水源とするミズーリ川が支流として合流しています。

このミズーリ川の水源を起点として、ミシシッピー川の河口を終点とするならば、ミシシッピー川が、世界で一番長い川となり、かっては、これが教えられていたのです。

長年の疑問が解決しましたか?(笑)
これで、もう、子どもや孫に聞かれても、ちゃんと答えられるから大丈夫ですね。(笑)

もし、年齢○○才未満と自称するあなた、このことはちゃんとφ(.. )めもして覚えておいてください。
でないと、年がバレちゃいますから。(笑)

それでは、第二問です。

日本で一番長い川は…。

おっと、早い! はい、信濃川って答えましたか?

残念〜〜〜それは、不正解です。

ええっ〜〜〜って、声を出さないのよ。(笑)

いま、まだ、問題を読みあげている途中なの!
いわゆる、早押しひっかけ問題です。(笑)

日本で一番長い川は……信濃川……ですがぁ……、この川は、流れ全体の半分以上は別の名前で呼ばれてますが、なんという名前でしょうか。

これが第二問の問題です。(笑)

そうですね、これも簡単ですね。

千曲川です。

ちなみに、千曲川は、「ちくまがわ」と読み、「せんきょくがわ」とは読まないようにね。(笑)

記念すべき音楽館の千曲目を選曲するとしたなら、五木ひろしさんの「千曲川」にしましょうか。(笑)

まあ、その頃には、マスター(館長)もみなさんも、たぶん、生きてはいないとは思いますが。(笑)

ちなみに、この場合、「千曲目を選曲」は、「せんきょくめをせんきょく」と読んでくれなければ、オヤジギャグの素晴らしさは伝わりません。(笑)

信濃川は、長野県、埼玉県、山梨県境の甲武信ケ岳(こぶしがたけ)を水源とし、千曲川として長野県を流れて、新潟県境からは信濃川と名を変えて、日本海へと流れていきます。

日本で一番長い川とされる信濃川なんですが、実は信濃川の長さ367kmのうち、千曲川と呼ばれる部分が214kmも占めているのです。

ついでに、中国の「長江(ちょうこう)」は、「揚子江(ようすこう)」と習った記憶のある方も多いと思いますが、これは「揚子江」は、南京や上海などのほんの下流地域の一部の限定的な呼称であり、現在の中国では一般的に全体を「長江」と呼ぶらしいのです。

それでは、第三問です。

おもいで河はどこにあるでしょうか。

ふぅ〜、やっと本流に入りましたね。(笑)

いったい、どこまで流れたら、本流に合流してくれるのかと、心配された方、ご苦労さまでした。(笑)

   涙の国から 吹く風は
   ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
   おもいで河には 砂の船
   もう 心はどこへも 流れない

さて、おもいで河というものが、どこにあるのかが問題なんですが、それより前に、まず涙の国というのは、どこにあるのでしょうか。

涙の国から吹く風は、ひとつ覚えのサヨナラを繰り返すということで、ひょっとしたら、これがヒントになっているのかもしれません。

サヨナラを繰り返すということは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。

…ということは、映画評論家の淀川長治さん?
はい、また、お会いしましたねぇ〜(笑)

とうことで、ひょっとして、サヨナラを繰り返す風が川面を渡るという、おもいで河は、大阪を貫流する淀川の流域にあるのかもしれません。(笑)

でも、淀川さんは1998年に、89歳で亡くなってるんですねぇ、またお会いしたら、怖いですねえ、恐ろしいですねえ、それでは、またお会いしましょう、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…。(笑)

近くの人は、こんどの休みにでも、淀川の河川敷にいって、淀川さんを探してみてくださいな。(笑)

また、サヨナラを繰り返すということですが、カタカナでなく、ひらがなもOKならば、さよなら〜さよなら〜さよならあぁぁ〜もうすぐ外は白〜い冬…と、上流からハイトーンの声が流れてくる小田和正さんを聞けば、なにかヒントが見つかるのでしょうか。(笑)

そして、もっと大事な言葉は、砂の船です。
これは中島みゆきさん自身が、ヒントを出してくれています。

     僕はどこへゆくの
     夢を泳ぎ出て
     夢を見ない国をたずねて
     いま 誰もいない夜の海を
     砂の船がゆく
                   「砂の船」 中島みゆき

つまり、みゆき姉さんがおっしゃるには、涙の国から、砂の船に乗って、おもいで河をとおって、夜の海に出て、夢を見ない国へ向かうらしいのです。

ということは、この経路をたどっていけば、おのずとおもいで河が分かるに違いありません。

これで、結論が出ましたね。

えっ、納得できない?

まっ、人生の中で、なかなか納得のいく結論というものには、たどりつかないものです。(笑)

   季節のさそいに さそわれて
   流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
   あなたの心は 消えてゆく
   もう 私の愛では とまらない

一方が、納得のいく結論を得るために、悩みに悩み抜いている間に、他方は、さっさと結論を出して、木の葉よりも軽やかに流れ去ってしまいます。

     恋の終りはいつもいつも
     たちさるものだけが美しい
     残されてとまどうものたちは
     追いかけてこがれて泣き狂う
                   「わかれうた」 中島みゆき

たちさることを決めた相手は、ただ去り際の美しいポーズだけを考えればいいのに対し、その結論を納得せずに、いまなお修復を考えているものは、相手よりも自分を責めながら、悩み、苦しみます。

しかし、この場合、もはや、相手との関係において、納得のいく結論を得ることは不可能であり、残る道はただひとつ、自分で自分を説得するしかありません。

これは恋愛関係に限らず、また対人関係に限らず、相手が、運命や宿命という、不可視で不可逆なものに対しても、あてはまります。

     悲しいですね 人は誰にも
     明日流す涙が見えません
     別れる人と わかっていれば
     はじめから寄りつきもしないのに
                  「ほうせんか」 中島みゆき

もはや抗うこともできない状況ならば、ただ無条件にこの現実を受けいれるほかはなく、ただ残されたひとつの希望として、状況が将来において変化する、ときを待つべきでしょう。

   飲んで すべてを忘れられるものならば
   今夜も ひとり 飲み明かしてみるけれど
   飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
   忘れきれない この心 深くなる

ところで、ギリシャ神話の中には、おもいで河ならぬ忘却の河というのがあります。
またの名を、レーテ河ともいい、この河の水を飲むと生前の悩みや苦しみをすべて忘れる事ができるといわれます…が…。

…生前の、ということは、忘却の河は、この世にある川ではなく、冥府にある河の名前で、すなわち、この世とあの世に横たわるといわれる三途の川を渡って、死後の世界で出会う河なのです。

たしかに、想い出すのもつらいようななときには、おそらくは、この世にあると思われる、おもいで河よりも、冥府にある忘却の河、その河の水を飲み干したいような衝動にかられることがあるでしょう。

忘却の河の向こうからは、はやくここにおいで、すべて忘れて楽になるよ、なんて、優しく呼びかける声が聞こえるかもしれません。

春秋に富むはずの青年の自殺や、分別をわきまえたはずの中高年の自殺が増加しているのは、その衝動や誘惑に負ける精神や知力の脆弱性が増しているからかもしれません。

でも、ちょっと待ってください。

おもいで河は、たしかに、いまは暗くて深く、心を沈めていくだけの存在なのかもしれません。

でも、よく、思い出してください。
ずっと昔の頃のことを。

そのときにも、いまとは違うけれど、きっと、つらかったこともあったはずです。

でも、いまではそれが、懐かしく、甘酸っぱく、おもかげ色に染まったおもいでたちになっていませんか。

そんな川面にきらきらと輝く光のようなおもいでたちも、それも、やはりおもいで河にあるのです。

おもいで河は、そのときどきに、さまざまに変わっていく河ですが、忘却の河は、すべてを忘れさせてくれますが、でも、それはすべてを無にしてまう、なにもかも無くしてしまう河なのです。

たったひとつの楽しい想い出さえも、ささやかだけど、ほほえましい想い出さえも、忘却の河は、すべてを無くさせて、奪っていってしまいます。

忘却の河には、このおもいでだけは、残しておきたいということは、かないません。
すべてを無にして、空しくしてしまうのです。

そして、忘れてしまいたいことも、忘れたくないことも、すべてが流れているのが、おもいで河なのです。

   おもいで河へと 身を投げて
   もう 私は どこへも流れない

おもいで河を怖れることはありません。
おもいで河へと身を投げて、深く、深く、どこまでも沈み込んでみましょう。

おもいで河が、案外に明るく、存外に浅く、意外に心地よいと感じることもあるものです。

それはつまりは、おもいで河が、決してよそにあるものではなく、あなたより生まれて、そして、あなたを生み出し、あなたを育て、あなたとともに生きて、包み込んでくれる存在だからなのです。

それは、いわば、あなたの心のふるさとに流れている河なのです。

さあ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
おもいで河へと身を投げて、深く、深く、どこまでも沈み込んでみましょう。

   おもいで河へと 身を投げて
   もう 私は どこへも流れない

忘れてしまいたいつらいおもいで、忘れきれない切ないおもいでを、いつか、おもいで河の中で、懐かしく思い出している自分にきっと出会えるのです。
いまを一所懸命生きてさえいれば…。



この曲は、中島みゆきさんのオリジナル・シングルに収録され、いくつかのアルバム、そして他のアーティストのカバーも出ています。
「アザミ嬢のララバイ」「時代」ときて、ちょっとシングルヒットも下降したとき、「わかれうた」でまたらしさが出てヒット復活したので、その流れを意識したのでしょうか、だから「おもいで河」かもしれませんね。(笑)
私的には、このシングルのB面の方が、A面扱いなんですけどね。(笑)

(初稿2004.11 未改訂)


おもいで河

作詞/作曲 中島 みゆき

涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この心 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

1978年(昭和53年)
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