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有名な曲の歌詞の意味を、勘違いして覚えていたことってなかったですか。
マスター(館長)は、幼き頃に、無邪気に童謡を歌いながらも、歌詞の意味をこんなふうに考えていました。幼稚にして早熟、しかも感性豊かだったからでしょうか。(笑)
♪うさぎ 美味しい 蚊の山♪
…蚊が多い山には、美味しいうさぎがいるってことかな。
♪夕焼け小焼けの赤とんぼ 追われて見たのは いつの日か♪
…追いかけっこしている赤とんぼって、よく見るよね。
♪赤い靴 履いてた 女の子 いい爺さんに連れられて行っちゃった♪
…悪い爺さんではなく、いい爺さんで良かったな。
♪どんぐりころころ どんぐりこ お池にはまって
…もしかして、グリコキャラメルって、どんぐりから作るのかな。
もちろん今でも、歌詞をこんなふうに考えておられる、半世紀ほど前の純朴な少年少女たちもおられるでしょうから、敢えて、夢を壊すような正解は出しません。(笑)
…と、思いましたが、青春音楽館には、正真正銘の少年少女も多く訪問されていることから、教育的見地から、やはり、正しい歌詞と作詞者は掲載しておくことにしましょう。
これでも分からないときは、おうちの方に聞きましょう。(笑)
♪うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川 「ふるさと」―高野辰之
♪夕焼け小焼け赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か 「赤とんぼ」―三木露風
♪赤い靴履いてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった 「赤い靴」―野口雨情
♪どんぐりころころ どんぶりこお池にはまって 「どんぐりころころ」―青木存義
ところで、今回採りあげた「面影橋」という曲は、マスター(館長)にとっては青春時代、というよりは思春期の頃に聞いた曲なんですが、当時のマスター(館長)は、「面影橋」というのは、大阪のどこかにある橋で、大阪の御当地ソングだと思っていました。
面影橋から 天満橋
天満橋から 日影橋
「面影橋」、「天満橋」、「日影橋」、橋の名前が三つも出てきます。
こんなに多く橋が出るのは、もちろん大阪に違いない、という思い込みです。
しかし、まったく根拠なき思い込みではありません。
ちゃんと理由があります。
まず、大阪は古くから「浪華八百八橋」と言われてきました。
東京は「江戸八百八町」、京都は「八百八寺」と言われていましたが、天下の台所の水都として水運(水上交通)が整備され、大阪にはぎょうさん(たくさん)の橋がおました。
でも、実際は、橋の数でも、江戸時代から東京の方が多かったそうです。
大阪はどうあがいたって、構想したって、都にはならへんしなぁ。
やっぱ、東京都やね、なにいうても首都にはかないまへんなぁ。
「橋の下」がいくらあっても、橋の数では、やっぱ「都」に負けてるようでんな。
えっ、なんかこの話し「府」におちまへんか。
いや、いうときますが、当て字にはなんも意味ありまへん「市」。(笑)
もっとも、江戸の橋は幕府が架けた「公儀橋(こうぎばし)」が多く、浪華の橋は町人が生活や商売のために身銭を切って架けた「町橋」が多いということで、「町橋」だけの数ならば、浪華の圧勝になります。
そして「天満橋」は実際に大阪にある有名な橋です。
「天満橋」は、「天神橋」、「難波橋」とともに浪華三大橋ともいわれ、大阪では数少ない公儀橋の大橋で、ともに、淀川からの分流の大川に架かる橋です。
もちろん「天満」というのは、菅原道真を祀る天満宮のことで、天満宮なら、福岡県に太宰府天満宮、京都に北野天満宮があるほか、全国各地にもありますが、それらの天満の地には、少なくとも大きな天満橋はありません。
大阪の「天満橋」の南詰には、京阪電鉄と大阪市営地下鉄の天満橋駅もあります。
そして、ご存知の方もおられるでしょうが、京都の祇園祭、東京の神田祭と並ぶ日本三大祭のひとつである天神祭りは、大阪天満宮の祭りです。
もっとも、大阪に「天満橋」はあるものの、「面影橋」、「日影橋」は見あたりません。
橋の順番として、「面影橋」〜「天満橋」〜「日影橋」となるはずですが、「天満橋」の上流にも下流にも、その流域に、名の知られた「面影橋」も「日影橋」も見あたりません。
消去法的には、やはり、大阪のことではないのでしょうか。
そして、続く歌詞から考えても、やはり大阪のような気がします。
流してあげよか 大淀に
切って捨てよか 大淀に
大阪市内を流れている一級河川、淀川というのは、滋賀県の琵琶湖を水源とする瀬田川から、京都府に入り宇治川となり、桂川、木津川と合流して、淀川となり、大阪市内で、淀川と、大川・堂島川・安治川の旧淀川に分流して、大阪湾へと流れています。
大淀の淀というのは、川の流れがゆっくりとなる、水が澱む、というほどの意味ですから、どこにでもあるのかもしれませんが、大阪にはかって、大阪市「大淀区」という行政区もあり、分区や合区により消滅しましたが、地名としては「大淀」は今も残っています。
もちろん、淀というのが川の流れであることから、大阪の淀川とは断定はできません。
ちなみに、競馬の天皇賞(春)や菊花賞で有名な京都競馬場は、京阪電鉄淀駅近くで、淀競馬場ともいわれますが、この淀の流れは競馬場の南東側を流れる宇治川のことです。
淀に類似した河川名としては、鹿児島県から宮崎県を流れる「大淀川」や愛媛県・高知県を流れる「仁淀川」というのもありますが、念のため調べましたが、ここにも「天満橋」は架かっていませんし、もちろん「面影橋」も「日影橋」も見あたりません。
となれば、やはり、大阪のことではないのでしょうか。
さらに歌詞の二番に入ると、今度は、坂の話しに入ります。
いにしえ坂から わらべ坂
わらべ坂から 五番坂
そして、これらの坂はどこにあるのでしょうか。
大阪は、江戸時代までは「大坂」と表記されることが多く、これは、坂が多かった地形に由来するともいわれていますが、明治時代に入ってから、「大坂」の「坂」という字が「土に返る」ということを連想させることから、験(げん)を担いで、「阪」にしたといわれています。
もっとも、マスター(館長)の先祖は、いわゆる薬種問屋を営む商人でしたが、江戸時代中期の享保7年(1722年)に建立された先祖の墓石には、すでに「大阪」という文字が刻印されていますので、必ずしも明治時代から「大阪」になったわけでもなさそうです。
ついでに、その先祖の商家があったとされる地域から遠くない場所には、「真言坂(しんごんざか)」、「源聖寺坂(げんしょうじざか)」、「口縄坂(くちなわざか)」、「愛染坂(あいぜんざか)」、「清水坂(きよみずざか)」、「天神坂(てんじんざか)」、「逢坂(おうさか)」の七坂があり、いわゆる「天王寺七坂」といわれるところがあります。
大阪に坂が多いといっても、大阪の中心部には南北に走る上町台地という丘陵地があり、したがって上町台地の東西は必然的に傾斜地となって、坂になるわけで、それなりに風情のある坂でもあるわけですが、全国的にはさほど有名な坂ではありません。
しかし、「いにしえ坂」、「わらべ坂」、「五番坂」はありません。
もちろん全国で二番目に狭小な大阪府域といっても、府内各地をくまなく調べれば、地域的にそう呼ばれる坂は見つかるかもしれませんが、全国的に有名な坂はありません。
東京には、さだまさしさんが歌われた「無縁坂」や福山雅治さんが歌われた「桜坂」、あるいは、ふきのとうさんが歌われた雨ふり「道玄坂」など全国的に有名になった坂があります。
また、北海道函館市の函館山から函館湾へと続く「八幡坂(はちまんざか)」や、栃木県日光市の中禅寺湖畔の紅葉が見事な「いろは坂」、神奈川県鎌倉市の扇ガ谷から源氏山公園への「化粧坂(けわい坂)」、京都市の清水寺の清水坂から降りていく「産寧坂(三年坂)」、長崎県長崎市の「オランダ坂」など、観光地スポットとして有名な坂があります。
しかし、「いにしえ坂」、「わらべ坂」、「五番坂」という名の付いた知名度の高い坂はなく、おそらく大阪にも東京にも、また全国のどの地域にもないのかもしれません。
ということは、やはり「面影橋から」は、大阪とは無関係なのでしょうか。
しかし、最後の悪あがきですが、「六文銭」というグループ名です。
「六文銭」というのは、ひとつは、人が死んだとき、三途の川の渡し賃として副葬品として納棺する冥銭(めいせん)、六道銭として知られますが、もうひとつは、真田信繁こと真田幸村の家紋、六連銭(ろくれんせん)としても知られます。
真田幸村は、大阪冬の陣、夏の陣で活躍した豊臣方の家臣で、忍者である猿飛佐助、霧隠才蔵など真田十勇士を従えて、宿敵である徳川家康に果敢に挑む伝説的、英雄的武将であり、「六文銭」は豊臣秀吉の「千成びょうたん」の旗印とともに大阪では有名です。
ということから、「六文銭」もひょっとして、大阪に関係するのかな、と当時、漠然と思いましたが、「六文銭」のファンというわけでもなく、「面影橋から」も嫌いではないヒット曲のひとつ程度であったために、大阪の御当地ソングかな、ちゃうかな、という漠然とした思い込みは、思い込まないうちに、忘却するくらいで、その後はすっかりと忘れていました。
そして、それから数年後、他のグループが「面影橋」のことを歌いました。
「面影橋から」よりも、もっと抒情的な切ないラブソングでした。
ところが、この歌を歌ったグループのリーダーが、 ラジオ番組でのトークだったのか、音楽雑誌の対談かなにかだったのかは忘れましたが、「面影橋」というのが東京の下町の神田川に架かる小さな橋であることを教えてくれました。
やはり「面影橋」は東京なのか、そして「面影橋」が東京にあるならば、ひょっとしたら、「天満橋」も大阪ではなく、東京にある「天満橋」なのかもしれない。
そういうたら、東京には「日本橋」があるけど、大阪にも「日本橋」がある。
もっとも、東京の方は「日本橋(にほんばし)」、大阪の方は「日本橋(にっぱんばし)」。
さらに、後年になって、この「面影橋から」の作詞作曲者であり、シンガーでもある及川恒平さんが、「天満橋は大阪。面影橋の所在地は知らなかった。でも曲は書ける。ところで日影橋は劇作家の頭の中だ。…(中略)…夢と現実の狭間を表現したもので、実際の場所など知らなくてもなんの不都合もなかった…(中略)…2番の歌詞はとりあえずの語呂あわせだから、実は録音によりしっかり違っている。」と語っているのを知りました。
ついでといえば、「六文銭」というグループ名も、リーダーの小室等さんによると、あるとき街で見かけた居酒屋の看板にあった屋号の「六文銭」が気に入り、また
サマセット・モームの小説「月と六ペンス」にひっかけて、グループ名を「六文銭」としたとのことでした。
要するには、それらの橋や坂の名前は、写実的な情景ではなく、実在する橋や坂ではないというあっけない幕切れで、驚愕的な真実、でしたが、そのときはすでに、大人になっていたので、これを知らされても動じはしませんでしたが。(笑)
もっとも、小説や歌詞のメーキングは、語ってもらわない方がいいのかもしれません。(笑)
もちろんファンとしてもあれこれと詮索するのもやめた方がいいのかもしれませんね。
秘すれば花なり秘せずは花なるべからず(世阿弥-風姿花伝)
いままで橋を渡ってきたからといっても、これからいかなる橋を渡っていくのかは分かろうはずもなく、なんとか坂を上ってきたからといっても、これからどんな坂を上り、下っていくのかは、知るすべもなく、またそれは知らない方が良いのかもしれません。
大きな橋、長大な橋、勾配のある橋、小さな橋、吊り橋、橋もいろいろあります。
石畳の坂もあれば土ぼこりの坂もあり、上り坂は下り坂でもあるわけです。
名も知らぬ橋を次々と渡っていき、そして名もなき坂を上ったり下ったりしていくのが人生というものならば、大切なのは、その歩みを決して止めないことです。
そして、ゆっくりでいいから立ち止まらずに、進んでいくことにしましょう。
六文銭は、日本のフォークソングの長老的存在である小室等さんが1968年(昭和43年)に結成し1972年(昭和47年)に開催したフォークグループで、メンバーは入れ替わってますが、アレンジャーとして著名の石川鷹彦さん、この曲の作曲者の及川恒平さん、吉田拓郎さんの元妻、四角佳子さんなどがいました。
グループ六文銭とのコラボレーションとしては中川五郎さん、上條恒彦さんで、上條恒彦さんとは「出発(たびだち)の歌−失われた時を求めて」で、ヤマハの「合歓ポピュラーフェスティバル」、「世界歌謡祭」でグランプリ受賞しています。
この曲のボーカルを担当した及川恒平さんは、北海道出身で、この曲の作曲と二番の作詞も担当されて、前述の「出発(たびだち)の歌−失われた時を求めて」の作詞も手掛けておられます。
(初稿2015.4 未改訂) |