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もうあれから、何度目のクリスマス・イブを迎えたのでしょうか…。
さまざまなクリスマス・イブが通り過ぎていきました。
ぼくが就職をした年のクリスマス・イブのとき、母方の祖父が遊びにきました。
その祖父が亡くなる、三年ほど前のことです。
ぼくの父と祖父とは義理ながら、とても仲がよくて、父が死んだときには、父が寝ている布団に取りすがって、「わしが代わりに死ぬから生き返ってくれ」と号泣していました。
ぼくの父が亡くなってから、祖父はよく、我が家に来ました。
夕方に来て、一泊して翌朝には帰ります。
三か月に一度くらいだったでしょうか。
名目としては、祖父の仕事の関係で、奈良からの来阪でした。
でも、おそらくは40を前にして、突然に夫に先立たれた娘や、幼くして父親を亡くした孫たちのことが気がかりだったのでしょう。
そんな祖父も、ぼくが成人する頃には仕事もやめて、お祖母ちゃんが亡くなってからは、長男である奈良の叔父さんと同居をし始め、叔母さんへの気遣いもあったのでしょうが、めっきりと老けてしまって、大阪にもめったと来れなくなりました。
そんな祖父が久し振りに、クリスマス・イブにやってくることになりました。
ぼくは貰ったばかりの給料で、クリスマスケーキを買って帰りました。
父が死んでまもない頃、祖父が、ぼくと妹のためにと、長靴に入ったお菓子を買って来てくれたことを、覚えていたからです。
給料の割りには、ちょっと贅沢して、その頃は高価だった、生クリームと苺のクリスマスケーキ。
潰瘍で半分以上胃を切除していて、食が細くなった祖父のために。
「お祖父ちゃん、食べてや、これ生クリームやから胃にもたれへんねんで。」
ちょっと気恥ずかしく思いながらも、箱からケーキを取り出して、祖父の前に置きました。
「おおきに、ありがとさん、これToshiちゃんが、自分で買うてきてくれたんか。」
ケーキをしばらくながめたあと、お祖父ちゃんは、クリスマスケーキをゆっくりと持ち上げて、そして仏壇の前に行って、仏壇の経机に供えました。
「おおきに、おおきに、もったいなくて、もったいなくて、これはまず、最初に、お父さんに食べてもらわんとあかん。」
ろうそくと線香に、火をともしながら、お祖父ちゃんは仏壇に話しかけました。
「みっちゃん、これな、Toshiちゃんが、働いて、買うてくれたケーキやで。こんな立派なケーキを買うてくれるようになったんや。みっちゃん、Toshiちゃんの病気、えろう心配してたけど、それがいちばん心残りやったやろうけど、みっちゃん、もう大丈夫やな。」
長男誕生の喜びもつかのま、20歳までは生きられないだろうと、わずか2歳にして、難病を宣告された子を持った、失意の娘夫婦に対して、祖父は手紙や葉書で、励まし続けたと言います。
冬は必ず春となるからと…。
しかし、体調を崩しては入退院を繰り返すぼくに、厳冬の想いを強くしていたのは、ほかならぬ祖父の方だったと思います。
「こんなに立派に大きくなって、ありがたいことや。もう、わしも、もう心残りはなんもない。いつ、みっちゃんとこに、呼んでもろうてもええ。」
そして仏壇に合掌して、ぽつりとつぶやきました。
「でも、お父さんも見たかったやろな。このケーキとToshiちゃんの姿。」
すっかりと線香臭くなったクリスマスケーキ。
それをみんなで分けて食べたクリスマスから、もういくつもの歳月が流れています。
この「おむすびクリスマス」は、1985年(昭和60年)にリリースされた「ADVANTAGE」というアルバムのエンディングの曲として収録されています。
なお、さだまさしさんの書いた童話に「おばあちゃんのおにぎり」というのがあります。
さださん自身の想い出をもとに書かれた児童文学(童話)で、この童話は、日本のアンデルセンといわれ、「むくどりのゆめ」「ないた赤おに」「りゅうの目のなみだ」を書いた童話作家の浜田広介を記念して設けられた「ひろすけ童話賞」の2002年(平成14年)受賞作となりました。
「おむすびクリスマス」の歌詞は、もちろん恋愛物語仕立てになっていますが、おそらく、さださんのモチーフとしては、「おばあちゃんのおにぎり」があったのではないかなと思います。
そこで、マスター(館長)としても、「おむすびクリスマス」をBGMにして、おじいちゃんのクリスマスケーキのことを書こうと思ったのです。
マスター(館長)のは、ちょっと線香臭くて、涙腺の弱くなった高学年向きになりましたけどね。(笑)
(初稿2004.12 改訂2005.12) |