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海鳴りが 寂しがる夜は
古い時計が泣いてなだめる
遠く過ぎて行った者たちの
声を真似して呼んでみせる
みなさんのふるさと、みなさんが生まれ育ったところって、どんなところでしたか。
緑に囲まれた山深い村、潮の香りが押し寄せる海辺の町、工場の機械音のする下町、教会の鐘の音が響く山手の街…ひとそれぞれに、さまざまな風景が浮かび上がってくることでしょうね。
マスター(館長)は、大阪市内で生まれ育って、生誕地より、ほぼ半径五キロメートルの圏内で、ずっと棲息してきました。
マスター(館長)が、シティボーイと呼ばれる…、呼ばれなきゃ、自称する所以です。(笑)
ところで、その大阪市の南側には、奈良方面から大阪湾方面へ東西に流れている大和川があり、この川を境に、北側は大阪市、南側は堺市になります。
川を境にしているから、堺となったわけではなく、地名の由来は、旧摂津国と旧和泉国と旧河内国の三つの国の境に発展した町だからということです。
江戸時代には、「左海」とも表記されたらしいのですが、京都に向かって左側に海があるからなのか…どうか、このことを知ったときから、いつか調べてみようと思いつつ、いまだに調べてません。(笑)
就職して、初めての職場が、大阪府堺市というところにある出先の事務所でした。
大阪市内でずっと過ごして、幼少からの病気によるハンディがあったにせよ、狭い大阪府内で、なんとも情けない行動範囲、大学になってようやく淀川を渡って通学し、就職してやっと大和川を渡ったわけです。
亡き父も青春時代に、堺の実業学校に通っていたと聞いていたので、なにかしら、父子の因縁めいたものも感じて、この街に慣れようと、仕事用の自転車で、結構、あちらこちらと走りました。
堺には、阪堺(はんかい)電車という路面電車、いわゆるチンチン電車が走っています。
阪堺電車は、正確には、阪堺電気軌道という南海電鉄の子会社で、天王寺駅前から住吉公園までの上町線(4.6km)と、恵美須町から浜寺駅前までの阪堺線(14.1km)のふたつの路線があります。
その阪堺線の宿院駅の近くが、歌人与謝野晶子の生家のあった堺市甲斐町(かいのちょう)付近ということを聞いて、急いで駆けつけたのですが、もちろん、生家はもう、ありませんでした。(笑)
海恋し潮の遠鳴りかぞへては
少女となりし父母の家
「恋ごろも」−与謝野晶子
生家が無いどころか、そこからは、どんなに耳を澄ませても、聞こえるのは電車の音、自動車の音、工事現場の音くらいで、潮の遠鳴りなど、空耳でも耳鳴りでも聞こえそうにもありません。(笑)
覚えてるよ 覚えてるよ
この足元で はしゃいでいたね
覚えてるよ 覚えてるよ
時計だけが 約束を守る
与謝野晶子は、明治11年(1878年)に生まれ、宿院小学校、堺女学校を卒業していますが、きっとその当時は、そのあたりはまだ海の近くであり、それから、海がどんどんと埋め立てられてしまったのでしょうね。
ふるさとの潮の遠音のわが胸に
ひびくをおぼゆ初夏の雲
「舞姫」−与謝野晶子
生家である和菓子屋の駿河屋は、とうの昔に無くなっていて、跡地すらも道路敷地になっていました。
そういえば、茶の湯の大家、千利休が庵を結んだ跡というのも近くにあったような気がします。
ところで、これらの近くに、創業元禄8年という老舗のそば屋「ちく満(ちくま)」というのがあります。
関西うどん文化圏の大阪では、そば専門店は珍しいのですが、ここは、さらに珍しいせいろで蒸したそばを食べさせてくれるところで、生まれてはじめてここで蕎麦湯なるものも頂きました。
そうそう、電車道を挟んだ「ちく満」の斜め向かいに、うどんすきの元祖にして老舗である「美々卯(みみう)」という店もありますので、そばアレルギーの方はこちらがお勧めでしょうか。(笑)
信州信濃のそばよりも、あたしゃあなたのそばがいいなんて、いいますが、やはり今も昔も、マスター(館長)は、色気より食い気だったのかなぁ。(笑)
見てごらん 今歩いてゆく
あんなふたりを昔 みたね
そして今日は明日は誰が
私のねじを巻いてくれるだろう
やは肌のあつき血汐にふれも見で
さびしからずや道を説く君
「乱れ髪」−与謝野晶子
その道を説く君である与謝野鉄幹と晶子が遊んだといわれる白砂青松の別荘地の浜寺付近も、別の日に自転車で行きましたが、さすがに仕事のついででは、遠かったです。(笑)
往年の浜寺は、昭和40年代には埋め立てられてしまって、コンビナートの工場群に変わりはてて、浜寺公園の松林に名残をとどめます。
ふるさとの和泉の山をきはやかに
浮けし海より朝風ぞ吹く
「火の鳥」−与謝野晶子
大阪府堺市は、平成18年4月に全国で15番目、大阪府では大阪市の次に政令指定都市になりました。
それを記念顕彰する意味で、大阪市出身のマスター(館長)が、堺市出身の与謝野晶子の有名ないくつかの句をあげておきましょうか。
というのはこじつけで、最近忘れっぽくなった自分の備忘録なんですけどね。(笑)
忘れないで 忘れないで
叫ぶ声が今も聞こえてる
忘れないよ 忘れないよ
時計だけが 約束を守る
沙羅双樹しろき花ちる夕風に
人の子おもふ凡下のこころ
「舞姫」−与謝野晶子
ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里
水の清滝夜の明けやすき
「乱れ髪」−与謝野晶子
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は
美男におはす夏木立かな
「恋ごろも」−与謝野晶子
清水へ祇園をよぎる花月夜
こよひ逢ふひとみなうつくしき
「乱れ髪」−与謝野晶子
金色のちひさき鳥のかたちして
銀杏ちるなり夕日の岡に
「恋ごろも」−与謝野晶子
何となく君に待たるるここちして
出でし花野の夕月夜かな
「乱れ髪」−与謝野晶子
秋くれば腹立つことも苦しきも
少ししづまるうつし世ながら
「春泥集」−与謝野晶子
そうそう、与謝野晶子ゆかりの堺市の覚応寺では、毎年命日の5月29日に、「白桜忌」が開かれます。
海鳴りよ 海鳴りよ
今日もまた お前と私が残ったね
海鳴りよ 海鳴りよ
今日もまた お前と私が残ったね
ところで、「海鳴り」から「潮の遠鳴り」を連想しましたが、よく考えてみると、「潮の遠鳴り」とは、遠くに聞こえる潮騒を意味するように思えます。
つまり潮騒というのは、ひき潮からやがて、潮が満ちてくるときに、寄せ来る波が立てる音といわれていますから、それが遠くから響いているのが、「潮の遠鳴り」なのでしょう。
それに対して、「海鳴り」は、海の方から鳴り響いてくる遠雷のような低い響きといいます。
だからこそ、誰かの呼ぶ声に聞こえたり、汽笛の音にも聞こえたりするのでしょう。
いつも聴こえていたわけではない海鳴り、でもいつか聴いたような気がする海鳴り、ちょっと怖い感じのする海鳴り、でもなぜか懐かしい響きのする海鳴りが、ふと聴きたいと思うのは、そんなことからでしょうか。
ちなみに、気象学的には、「海鳴り」は、台風や津波などにより引き起こされる沖合いの激しいうねりが打ち寄せて伝わってくる音とされています。
いずれにしろ、古来より、「海鳴り」はひとつのメッセージ性を持つものと意識されてきました。
それで、人は「海鳴り」に託して、いまは見えない者たちからのメッセージと受け止めるのでしょうか。
しかし、「海鳴り」が、遠く過ぎて行った者たちが残していったメッセージとしても、そのメッセージをどう受け取り、読み取って、今日や明日の行動にどう移していくかは、いまここに残されて、生きて「海鳴り」を聞いているものにしかできないことなのです。
「海鳴り」を聴けるのは生きていればこそです。
忘れないで、忘れないよ、その約束は、過ぎていく時のうねりの中で生まれた「海鳴り」として、いつまでも心の中で響かせてこそ、守っていけるものなのかもしれません。
この曲は、「わかれうた」や「化粧」、「世情」などの中島みゆきさんの初期の頃の名曲が入っている4枚目のアルバム「愛していると云ってくれ」に収録されています。
このアルバムは、冒頭に朗読があります。
わかってるのに
わかっているのに
うらやましくて
うらやましくて
……つき合ってくれてありがとう
でも 今夜は私 泣くと思います
「元気ですか」
中島みゆきさんをして、暗い、という評価を定着させた名盤ともいえます。(笑)
今回、「海鳴り」に関して、与謝野晶子を取り上げましたが、晶子よりも、むしろ同時代の歌人、山川登美子の方が似合ったのかも知れません。
髪ながき少女とうまれしろ百合に
額は伏せつつ君をこそ思へ
山川登美子
山川登美子は、福井県小浜市に生まれ、大阪の梅花女学校を卒業、与謝野鉄幹らのおこした新詩社の詩歌雑誌「明星」で活躍、晶子とともに、妻子ある与謝野鉄幹に惹かれながらも、晶子と違って身を引くことを選んで、親の選んだ人と結婚しました。
それとなく紅き花みな友にゆずり
そむきてなきて忘れ草つむ
山川登美子
後生は猶今生だにも願はざる
わがふところに さくら来てちる
山川登美子
しかし、その夫はまもなく病に倒れて先立ち、のちに自身も結核の病に伏して、29歳の若さで薄幸の人生から旅立ちました。
いく尋のなみは帆をこす 雲に笑み
北国人とうたわれにけり
山川登美子
君なきか若狭のとみ子しら玉の
あたら君さえ砕けはつるか
与謝野鉄幹
そんな幸せ薄い者に対する慈母の視点が中島みゆきさんの歌の基本にあるように思います。
中島みゆきさんは、札幌市に生まれ、札幌の藤女子大学文学部国文学科卒、デビュー曲は「アザミ嬢のララバイ」、ヤマハのポプコンにおいて「時代」でグランプリを受賞というような経歴から、北海道の大都会である札幌のお嬢様というようなイメージを持たれる人も多いと思います。
しかし、5歳のときに、産婦人科医であった父親とともに、札幌から岩内郡岩内町に引っ越し、小学6年生までの少女時代を岩内で過ごします。
岩内町というのは北海道の積丹半島の南の付け根にあり、ニシン漁の歴史有る古い港町で、おそらく、「海鳴り」の原風景はここにあるのかもしれません。
「海鳴り」は、桜田淳子さんや、研ナオコさんもカバーされていますが、やはり、なんといっても、この頃の中島みゆきさんの、ため息を飲み込むような独特のブレスは、秀逸なオリジナリティがありました。
(初稿2006.9 未改訂) |