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「クリスマス・イブ」―山下達郎

今年でもう、何回目のクリスマス・イブを、迎えることになるのでしょうか。

そっ、そこの人、指折り数えないでいいからね。(笑)

それに、指で数えられるのは、両手と両足の指を総動員して使っても、20までしか数えられないのですから、たかがしれてます。
もっとも、男の子は、21まで数えられますけど。(笑)

あっ、分からない人は分からなくていいのよ。
あまり深く考えないで。(笑)

そっ、そこの人、横の人に尋ねないで。(笑)
教える人が困っちゃいますから。(笑)

でも、数えなくても、クリスマス・イブは、毎年やってきましたから、やはり年の数ほど、お迎えしましたよね。

もちろん、クリスチャンであったとしても、仏教徒であっても、無神論者であったとしても、クリスマスはきっと来ないはずはなく、きっと来るのです。(笑)

つまりは、死ぬまでの、数え切れるほどに。(笑)

   心深く 秘めた想い
   叶えられそうもない
   必ず今夜なら
   言えそうな気がした
   Silent night, Holy night

諸説がありますが、とりあえず、クリスマスは、イエス・キリストの誕生日とされる12月25日を祝うキリスト教における記念日・祭日です。

だから、本来は、キリスト教徒、クリスチャン以外の異教徒にとっては、なんら関係のない日です。

クリスマスケーキや、クリスマスプレゼントをねだって、「うちは先祖代々仏教徒なんだから、クリスマスは関係ない。」と、親に言われた経験を持つ人も、多いのではないでしょうか。

そして、親になってみれば、親の言うことは、やはり正しかったのかと思うでしょう。(笑)

確かに仏間にクリスマスツリーは似合いません。
仏壇にクリスマスケーキというのもね。(笑)

もっとも、クリスマスの行事が日本で行われたのは、意外にも古くて、1549年( 天文18年)に、カトリック教会イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にやってきて、キリスト教を布教したときからです。

1552年(天文21年)には、日本で最初の「クリスマス・ミサ」が祝われた記録が残っています。

また、1568年(永禄16年)には、大阪の堺で戦っていた織田信長と松永久秀が、イエズス会司祭ルイス・フロイスの仲介で、戦国時代に、クリスマス休戦をしていたという記録もあります。

しかし、その後は、学校の歴史の時間でも習ったとおり、バテレン追放から、キリスト教禁止令の鎖国時代に至っては、隠れキリシタンはともかく、日本の表舞台からクリスマスは消えてしまいました。

そして、幕末に入り、日米和親条約が締結されて、明治維新の開国により、正式に禁止令が解かれて、クリスマスもまた復活するようになったのです。

   まだ消え残る 君への想い
   夜へと降り続く
   街角にはクリスマス・ツリ−
   銀色のきらめき
   Silent night, Holy night

やがて、クリスマスは一般大衆にまで普及し、デパートの玩具売場に、クリスマスツリーが飾られるようにまでなるのですが、1932年( 昭和7年) には、クリスマスツリーの電飾が火元となって、東京・日本橋の白木屋デパートの大火災が起こりました。

当時、女性はまだ和服が多く、下着といえば腰巻だけで、女性の店員が避難する際に、裾の乱れを気にして避難ロープを手放して、墜落死するという二次災害が起こりました。

これを契機に、日本の女性が西洋式の女性用下着(ズロース)を着用するようになったということです。

ということなら、クリスマスが普及せず、デパートでクリスマスツリーを飾ることがなければ、その火災も起きなかったでしょうから、日本の女性は未だにパンティを履いていなかったのかもしれません。(笑)

クリスマスとパンティに関する一考察でした。
えっ、そんなしょうもないこと考察するなって。(笑)
せやね、ノーパンやったら、下がスースーしてしもうて、風邪引くような話やね。(笑)

戦後から1950年代中頃まで、つまり昭和20年代は、クリスマスは、バーやキャバレーなどの営業用クリスマスパーティが流行りました。
いわゆるオミズ系クリスマスパーティです。(笑)

当時の漫画には、いわゆる背広姿に三角のトンガリ帽子を被った赤ら顔の酔った中年サラリーマン族が描写されているのを見たこともあるでしょう。

欧米のように、もともとキリスト教国ではないのですから、宗教的行事の意味合いも薄く、ひとつのイベントとして、いわば年末の商戦的な一環として、広まったのは無理はないのかもしれません。

そして、その後、1950年代中頃以降、つまり昭和30年代以降は、一般家庭でクリスマスを祝うスタイルへと移行し、恋人や家族と過ごすことが定着しました。

   雨は夜更け過ぎに
   雪へと変わるだろう
   Silent night, Holy night
   きっと君は来ない
   ひとりきりのクリスマス・イブ
   Silent night, Holy night

さて、夜更けって何時のことでしょうね。
日没から夜明けまでを夜とするなら、クリスマスの頃は、夜がもっとも長い冬至の頃にあたりますから、もう午後の9時や10時は立派な夜更けかもしれません。

ちなみに、気象庁によると、「夜更け」という言い方は、対象時間が不明確な用語なので用いない、としており、「夜遅く」という、時間に合わせて適切な用語を用いるとしています。

気象庁によれば、「夜遅く」は、21時頃から24時頃までを示すということですから、したがって「夜更け」というのは、クリスマス・イブの午後9時から午後12時つまりクリスマスの午前0時とすることに、青春音楽館では、決定することといいたします。
でも、なんの意味もないですが。(笑)

気象庁が出たので、おおかたの期待どおり、詐称気象予想士のマスター(館長)としては、雨が雪に変わるというのも、述べなければならないでしょう。(笑)

雪は天から送られた手紙である…。

これは、雪の結晶の美しさに魅せられて、北海道大学で世界初の人工雪を作り出した物理学者、中谷宇吉郎氏の有名な言葉です。

上空1500メートルの気温が、マイナス6度であれば、雪の結晶が出来やすく、地上の気温が4度以下ならば、地上では、雨が雪になると言われています。

いずれにしろ、クリスマスは、北半球では日が短く夜が長い冬至の頃の寒さが強まる時期です。

ひとりきりでも、ふたりぼっちでも、みんなとでも、ともかく、クリスマス・イブを元気に過ごして、新らしい年をますます元気に迎えたいものです。



山下達郎さん、1953年(昭和28年)2月4日、東京都豊島区生まれ。
明治大学法学部中退。血液型B型。

1975年(昭和50年)、大瀧詠一さんプロデュースの伝説のバンド「シュガー・ベイブ」に参加、その後、ソロに転じ、竹内まりやさんと結婚。

この曲は、1983年(昭和53年)リリースのアルバム「Melodies」のアルバムのエンディングの曲として収録されています。

その後、シングルカットされ、1988年(昭和63年)深津絵里さんを起用した、JR東海のクリスマス・エキスプレスのCM曲に使われ、翌年は牧瀬里穂さんと、このCMはシリーズ化されて、1992年(平成4年)まで使われていました。

いまや日本のJポップクリスマスソングの代表曲となっていますね。

(初稿2005.12 未改訂)


クリスマス・イブ

作詞/作曲 山下達郎

雨は夜更け過ぎに
雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない
ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night

心深く 秘めた想い
叶えられそうもない
必ず今夜なら
言えそうな気がした
Silent night, Holy night

まだ消え残る 君への想い
夜へと降り続く
街角にはクリスマス・ツリ−
銀色のきらめき
Silent night, Holy night

雨は夜更け過ぎに
雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない
ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night

1983年(昭和58年)
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