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「コーヒーショップで」―あべ静江

   古くから学生の街だった
   数々の青春を知っていた
   城跡の石段に腰おろし
   本を読み涙する人もいた

学生の街、学生街、学生だらけの街、言い方はいろいろありますが、ともかく、学校が集まっていて、その最寄り駅や商店街などで、多くの学生の姿を見かけるような街ということでしょうか。

学校が多い地域で、しかも制服のあるような学校が多いと、朝のラッシュ時の駅付近などは、確かに学生の街と呼ぶにふさわしい光景になります。

ぼくが生まれ育った街は、いわゆる大阪市内の文教地区と呼ばれる地域でした。

古くからの学校が多くあり、お寺があり、お城があり、図書館があり、博物館があり、美術館があり、公園がありと、下町ながらも、大阪の街にしては、かなり文化的な香りのする街でした。(笑)

まあ、多少、周囲からは、お好み焼きと焼肉と串カツの匂いは流れてきましたが。(笑)

もっとも、文教地区とは、正確には、都市計画法で定める特別用途地区のひとつで、学校や図書館、美術館、博物館などの文化施設が集まっているような地域を言います。

パチンコ店や風俗店などの娯楽施設などの建築物の建築制限が設けられている地区という意味で、マスター(館長)のように、知性と教養あふれる文化人が生まれ育ったところだから、ということではありません。(笑)

いずれにしろ、学生の姿をよく見かける街は、古都と呼ばれるような、歴史と伝統のある古い街並みであっても、街全体がいつも若々しいような感じがして、ほんとに、いいものですね。

もっとも、若さが、いいものだと思えるようになったということは、やはり自分の老いの自覚の証明にもなるので、少し複雑な気持ちにもなるのですが。(笑)

   そんな話をしてくれる
   コーヒーショップのマスターも
   今はフォークのギターをひいて
   時の流れを見つめてる

はじめてのギターは、クラシックギターでした。

弦がナイロン製のアコースティックギターで、中学一年のときに、音楽の授業で必要だからと、親にねだって、買ってもらったものです。

もちろん、音楽の授業で、ギターパートのある合奏曲があり、そのパートを受け持ったのは事実ですが、数曲しかなく、授業で必要だからというのは、まあ嘘ではない、けれど必ず本当でもない。(笑)

ともかく、ギターを弾きたかったために口実にしたというのが、事実のようです。(笑)

それから、高校に入ってから、アルバイトをして、自分でフォークギターを買いました。

ちなみに、フォークギターは、弦がスチール製のアコースティックギターのことで、我が国では、ヤマハがフォークギターと名付けて、量産販売を開始します。

なお、アコースティックギターは、アコースティック=電気増幅をしてないという意味で、電気増幅をするエレキギターに対する言い方です。

アコギと略称する人がいますが、マスター(館長)としては、なにか、阿漕(あこぎ=強欲でずうずうしい)の文字を浮かべてしまって、あまり好きな言い方ではありません。(笑)

さて、フォークギターを買った話の続きです。

ギブソンか、マーチンか、それともヤマハがいいかな、なんて思いつつ、結局、買ったのは、というか、買えたのは、無名メーカーのギターでした。(笑)

高校生が、お年玉とアルバイトで貯めたお金ですから、全額つぎ込んでも、たかがしれています。
それに多少の資金は、高校生といえど、イザというときに備えて残しておかなくちゃいけませんから、予算にゆとりはありません。

クラシックギターを買ったのと同じ、近くの商店街の楽器屋さんで、目をつけていたヤマハの安価な入門用のギターを買うつもりで出かけたのですが、お店のおっちゃんから、その予算だったら、こちらの方が絶対にいいからと、熱心に勧められたのです。

昔は、小さな親切、大きなお世話をしてくれるおっちゃんやおばちゃんたちが、いっぱいいました。(笑)

で、弾き比べてみると、確かに、違うのです。
いちおう、独学ながら、クラシックギター歴は三年を超えて、多少は、ギターとコーヒーの違いの分かる高校生に成長していました。(笑)

予想外なことでした。
名前も聞いたことのないメーカーのギターの方が、名だたる有名メーカーのヤマハギターより、明らかにいい音がしたのです。

もちろん、これは、たまたま、その店にあった同一価格帯のギターを比較したときの話しで、しかも仕入れや在庫処分上の事情もあったのかもしれませんので、ヤマハがだめだったということではありません。

ともかく、それから、とても手が出ない高価なギターも試し弾きをさせてもらって、数時間も迷い悩んだあげく、ヤマハの三つの音叉が組み合ったロゴマークに未練を残しながらも、やはり自分の耳を信じて、無名メーカー製のギターを選んだのです。

そのギターは、もう処分してしまいましたが、いまになってネットで調べてみると、無名メーカーだと思っていたのが、地元大阪の楽器製造会社のもので、当時でもプロのギター奏者の間ではそれなりの一定の評価はされていて、いまでも、かなり熱心なファンがいることが分かって、なんとなく、嬉しくなりました。

時の流れを見つめながら、マスター(館長)のそんなフォークのギターのはなしでした。(笑)

   服装や髪型が変っても
   若いこはいつの日もいいものだ
   人生の悲しみや愛のこと
   うち明けて誰もみな旅立った

高校のとき、制服がありませんでした。
といっても、盗まれたわけでも、セーラー服を脱がされたわけでもありません。(笑)

いわゆる時代背景としての制服廃止、服装自由化という流れの中で、制服というものがなかったのです。

制服がないということは、私服登校がOKです。
カバンも指定がありません。

もちろん、私服もカバンも、高校生らしいもので、という学校当局の指導はいちおうあったのですが、それで処分を受けることはありませんでした。

しかも折りしも長髪の流行っていた時代であり、髪の毛が長くても許されていましたから、外見的には、高校生らしからぬ格好です。

加えて、学校が、大阪ミナミの繁華街まで、徒歩20分圏内という立地状況にありました。

学校をうまくエスケープさえすれば、すぐに一般市民に紛れ込んで、発見不能です。(笑)

他校のように、脱走後、トイレで着替えて、コインロッカーに入れるというような手間なしです。(笑)

それをいいことに、学校帰りに、喫茶店やゲームセンター、映画館、はては、麻雀屋、なんとかミュージックにも、出入り自由でした。

もっとも、先立つお小遣いがありません。(笑)

喫茶店で、それこそ、コーヒー一杯で、「ねばりながらだべる」というのが、日常的でした。

恋愛について、友情について、政治について、宗教について、人生について、ときに議論し、ときに語り合ったあの頃でした。

   そんな話をしてくれる
   コーヒーショップのマスターの
   かれた似顔絵 私は描いて
   なぜか心を安めてる

いきつけの店は、ターミナル駅近くの喫茶店。
アンチークな店構え、というより、そもそも老舗の喫茶店、そして、店内は少し薄暗い雰囲気、ちょっと大人びた気持ちにさせてくれました。

携帯がなかったから、とりあえずの待ち合わせはここで、ということが多かったのです。
各席の仕切りが高いから、ひとめでは見渡せず、探すときには、店内を一巡しないとわかりません。

一巡していると、他の高校に通っている中学のときの同級生に会ったりして、そこで話し込んで、連れが来てからコーヒーカップを持って、移動しました。

それを許してくれる喫茶店でした。
そして、ぼくたちが行くと、さりげなく、置いてある灰皿をひくような配慮もしていました。

図太くなんでも儲かりまっかで済ます拝金主義的なイメージが強い大阪なんですが、大阪の地元に根付いた店には、そんな良心的な店も多かったのです。

ここのコーヒーは、日替わりコーヒーでした。
アラビアン、ブリティッシュ、ウインナー、フレンチ、メキシカン、ブラジリアン、アメリカンの七種類。

だから「七色の珈琲」と看板に書いてありました。

コーヒーの色が七色に変化するわけでもなく、また七色の虹が入っていたわけではないのですが、たしかに、夢と希望の味がしました。

ここで、コーヒーの味を覚えました
ここで、ウインナーコーヒーを知りました。
ここで、煙草をはじめて吸いました。
ここで、はじめて女の子とデートしました。

あのときの店は、いまはもうありません。

でも、あのとき飲んだコーヒーの香りは、今朝飲んだコーヒーの香りと同じだったような気がします。

まあ、飲んでいるマスター(館長)の顔は、すっかり白髪交じりの枯れた顔になっちゃいましたが。(笑)



あべ静江さん、本名阿部静江さん、1951年(昭和26年)11月28日生まれ、三重県松阪市出身、血液型A型で、体型は…知〜〜〜らないっと。(笑)

東海学園女子短期大学在学中に東海ラジオの人気DJとなり、「コーヒーショップで」でデビュー、セカンドシングル「みずいろの手紙」でレコード大賞新人賞を受賞し、その後歌手・女優として活躍。

いっとき、かっての面影もないほど、見るも無残に中年太りされていましたが、苦労してダイエットに成功されて、それはそれなりの面影になられて。(笑)

(初稿2005.10 未改訂)


コーヒーショップで

作詞 阿久悠
作曲 三木たかし

古くから学生の街だった
数々の青春を知っていた
城跡の石段に腰おろし
本を読み涙する人もいた
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターも
今はフォークのギターをひいて
時の流れを見つめてる

服装や髪型が変っても
若いこはいつの日もいいものだ
人生の悲しみや愛のこと
うち明けて誰もみな旅立った
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターの
かれた似顔絵 私は描いて
なぜか心を安めてる

1973年(昭和48年)
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