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1960年(昭和35年)前後に、学生時代を過ごした人たちの青春とは、いわゆる、政治の季節のなかで、60年安保条約改定反対の集会やデモに参加することでした。
そして、その政治的混乱の中で、東大文学部生、樺美智子さんの死に学生たちは直面し、やがて多くの学生は挫折していくことになります。
それから10年後の1970年(昭和45年)の学生たち、いわゆる今の団塊の世代と呼ばれる人たちが学生であった頃は、世界的に吹き荒れた学園紛争に呼応したかのように、70年安保条約の改定を目前にし、全学連、全共闘運動に関わることになります。
しかし、安保条約は60年安保とは異なり、たいした社会的混乱も引き起こすことなく、自動延長となって運動は終息していきます。
つまりは、1965年(昭和40年)前後からはじまる経済の季節、高度経済成長期の経済的繁栄、OSAKA EXPO’70、華やかな大阪万国博覧会に象徴されるお祭騒ぎのなかで、ノンセクト、ノンポリ派たちは、「戦争を知らない子供たち」として、民主と平和への願いを、ヘルメットとゲバ棒ではなくて、長髪とギター、そして歌で表現することとになります。
そして、学生運動の敗北を認めない一部過激派セクトは、アウトローとして、独自の赤色革命の幻想の世界に走っていくものの、大多数の学生は、高度経済成長時代の担い手として、その最終ランナーとして、社会に溶け込んでいくのです。
やがて、その高度経済成長時代も、この歌が流行った直後の第一次石油危機(1973年)で終わりを告げました。
学生たちは、激動するかに見えた政治の季節があっけなく終焉を迎え、永続して発展するかに見えた経済の脆弱性の露呈を見て、社会的な変革を求めるデモや集会への参加よりも、学生街の喫茶店での、個人的なお茶のみ話しを楽しみます。
その世代も、まもなく、お茶のみ友達世代…文字通り、昆布茶に梅干をすする世代に、到達しようとしています。(笑)
君とよくこの店に 来たものさ
わけもなく お茶を飲み話したよ
学生でにぎやかな この店の
片すみ隅で聴いていた ボブ・ディラン
ボブ・ディランは、言うまでもなく、プロテストソングの旗手、フォークソングの神様として人気を博し、日本のフォークソングにも多大の影響を与えたフォークシンガーです…、
あの時の歌は聴こえない
人の姿も変ったよ
時は流れた
…ですが、やがて、彼の音楽は、ロック色を強めて行きます。
あの頃は愛だとは 知らないで
サヨナラも言わないで 別れたよ
君と
ガロは、日高富明(Tommy)、堀内護(Mark)、大野真澄(Vocal)の三人のグループです。
日本のクロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング(CSN&Y)ともいわれましたが、ガロの曲で大ヒットした曲の多くは、この曲も含めて、オリジナルではない歌謡ポップス調の曲が多いのは皮肉です。
大衆が、ガロに求めるものと、ガロが求めていたものとは、残念ながら違っていたのでしょう。
そういえば、この曲についても、作曲は、すぎやまこういちさんですから、一斉を風靡した伝説のRPGテレビゲーム「ドラゴンクエスト」のゲーム音楽として流れても、違和感がないですよね。(笑)
しかし、ガロオリジナルにも、根強いファンがいるようです。…と、ガロの前座を務めたこともあるアルフィー(THE ALFEE)の坂崎兄やんが、NHKで言ってましたよ。(笑)
ガロには、ほかに「美しすぎて」「君の誕生日」「ロマンス」「四つ葉のクローバー」などの名曲があります。
まさしく、伝説のグループですが、ガロのメンバーの一人の自殺によって、さらに、伝説化してしまいました。
(初稿2000.10 未改訂2001.11) |