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やってみせ
言って聞かせて
させてみて
ほめてやらねば
人は動かじ 山本五十六
座右の銘や、自己啓発、研修教材などで、よく引き合いに出される、大日本帝国海軍連合艦隊の司令長官、山本五十六元帥の有名な言葉です。
もっとも、山本五十六元帥の言葉と伝えられていますが、出典は、「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」との言葉も残している江戸時代中頃の出羽国(山形県)米沢藩の財政再建を行った「清貧の名君」と呼ばれる藩主上杉鷹山公の言葉によるのではないかとの説もあります。
しかし、いずれにしろ、人心を掌握して、人を動かすときの、巧みな人事管理のエッセンスを、シンプルにして、かつ明瞭、明確な言葉で示した言葉です。
まず、やってみせということは、まず自分がやってみせて、模範を示すということ、率先垂範であり、逆にいえば、自分がやれない、できもしないことは、相手に求めてはならないことをいってるのです。
言って聞かせて、ということは、ただ単に、やり方を一方的に押し付けるのではなく、相手が納得するまで、十分に説明をして、教え諭すということです。
そして、させてみるというのは、単に理論だけで終わるのではなく、実際に、やらせてみる、つまりは、実践が肝要であるということです。
しかし、いちばん、重要にしてかつ難しいことが、最後の、誉めてやるということです。
やってみせ、言って聞かせて、させてみて…う〜〜〜ん、おまえ、なにを見てて、なにを聞いてたんや。
言うたやろが、ここはこう、ここはこうやるんやろ、ほら、見てみぃ、ぜんぜん、違うやろが…。
…と、言いたいのをこらえて、誉めてやる。
誉めるところがまったくないのに、誉めてやる…。
人を動かすことは、海底に沈んだ戦艦大和を動かすことよりも、さらに難しいことです。(笑)
空を染めてゆく この雪が静かに
海に積りて 波を凍らせる
空を染めてゆく この雪が静かに
海を眠らせ 貴方を眠らせる
連合艦隊司令長官の山本五十六氏は、当初、日独伊三国軍事同盟に反対し、無謀な対米戦争に懸念を表明しながらも、日米開戦が決定してからは、航空主兵論と短期決戦論にもとづいて、真珠湾奇襲攻撃を立案し、1941年(昭和16年)12月に、その作戦を実行して、成功を納め、国民的英雄となります。
しかし、山本五十六氏が予想したとおり、アメリカとの経済力、軍事力の差は大きく、開戦わずか半年後の1942年(昭和17年)の6月のミッドウェー海戦での敗退から、戦局は次第に悪化していきます。
そして、1943年(昭和18)4月、前線視察に向かった山本五十六氏は、ラバウル航空隊のあったパプア・ニューギニアのブーゲンビル島上空で米軍機の待ち伏せ攻撃に遭い、撃墜されて、戦死します。
山本五十六元帥、59歳の生涯でした。
もちろん、新潟県長岡市の旧家に生まれ、海軍兵学校卒、海軍大学卒、ハーバード大学留学のエリート職業軍人である山本五十六氏を、ここで悲劇の英雄視をしたり、美化したりするつもりはありません。
山本五十六氏をはじめ、日本をして戦争への道へと駆り立て、多くの国民を死に至らしめた軍人たちや政治家の罪は大きいと思います。
しかし、山本五十六氏の生涯を見るにつけ、いかなる知識や経験、見識を持とうとも、ひとたび誤った時流が渦巻く世となるならば、その時流に抗し切れない、人の弱さとずるさ、おろかさ、そして人の世の儚さを実感せざるを得ないのです。
手折れば散る 薄紫の
野辺に咲きたる 一輪の
花に似て儚なきは人の命か
せめて海に散れ 想いが届かば
せめて海に咲け 心の冬薔薇
冬薔薇と書いて、「ふゆそうび」と読みます。
歳時記によれば、冬、一月の季語になります。
冬薔薇は文字どおり、冬の薔薇のことですが、園芸品種的には、薔薇に冬咲きはなく、歳時記でも本来の薔薇は夏の季語とされています。
だから、冬薔薇は、夏咲きの薔薇が冬に残ったものか、あるいは季節を違えて、咲いてしまったか、つぼみをつけたものなのかもしれません。
冬薔薇紅く咲かんと黒みもつ 細見綾子
鮮やかに咲く紅い薔薇も、つぼみの頃は赤黒く、まして、凍えそうな冬の寒さに耐える冬薔薇ならば、より黒みがかって見えるのでしょう。
にもかかわらず、とき来たりなば、紅く咲くのです。
そういえば、清らかに白い「銭の花」も、つぼみの頃は血のにじんだように赤いそうですよ。(笑)
銭の花の色は清らかに白い
だが蕾は血のにじんだように赤く
その香りは汗の匂いがする
「細腕繁盛記」 花登筺
なお、冬薔薇に関連して、晩秋からクリスマスにかけて、花屋の店先で見かけるクリスマスローズ(Christmas rose)は、ローズ(薔薇)の名前をつけながら、バラ科ではなく、キンポウゲ科に属します。
老いた足どりで 想いを巡らせ
海に向いて 一人立たずめば
我より先に逝く 不幸は許せど
残りて哀しみを 抱く身のつらさよ
そして、このフレーズにいきつくとき、ぼくは、次の歌詞が、どうしてもオーバーラップしてしまいます。
空をつくよな大鳥居
こんな立派なおやしろに
神とまつられもったいなさよ
母は泣けますうれしさに
「九段の母」 二葉百合子
1939年(昭和14年)に、塩まさるという方が歌ってヒットした、戦時歌謡曲「九段の母」という曲です。
塩まさる氏の歌はさすがに聞いたことがありませんが、懐かしのメロディーとして、「岸壁の母」の二葉百合子さんが歌っていたのは記憶にあります。
九段というのは、いうまでもなく、靖国神社です。
戦死者は、お国のための名誉の散華(さんげ)、戦死として、ここに英霊として、神として祀られました。
しかし、老いた母は、神として祀られた息子とここで再会し、ほんとうに、うれしくて泣いたのでしょうか。
米軍戦艦に爆弾を抱えて体当たりの自爆攻撃をする神風特別攻撃隊、いわゆる特攻隊の兵士たちは、靖国神社で会おう、を合言葉にして、その多くは、海に消えていったそうです。
国民を臣民となし、神州大日本帝国の聖戦のよりどころとして、国家神道と靖国神社があったのです。
このような靖国神社の歴史的な経緯を踏まえれば、やはり、靖国神社の公式参拝に、執拗にこだわる政治家たちの意図が、純粋に戦没者の冥福を祈り平和を祈念する気持ちだけではないような気がするのは、ぼくだけでしょうか。
もちろん、政治家たちも含め、一個人が、一個人の立場として、靖国神社に、どのように参拝しようが、それは信教の自由として守られるべきことです。
しかし、私的見解ですが、国を愛する心、神仏を崇敬する気持ち、そして肉親への情愛を、巧みに利用しながら、悲惨な戦争への道へと突き進んだのが、太平洋戦争であり、その反省の上にたち、憲法で、政教分離が定められたのだと考えます。
ですから、戦没者を追悼し、不戦の誓いを、真摯に考えているのならば、なにも靖国神社への公式参拝や法制化に固執する必要はなく、国立の戦没者追悼平和祈念施設を整備すればいいのです。
反戦運動に関わった団塊の世代以上の方々が、高齢化し、保守化していく中で、その後の世代が無関心な中で、戦陣に散っていった方々の御霊を日本の祭祀形式で慰霊し平和を祈念することのどこが悪いんだ、という政治家たちの言い方に説得され、疑念を持たなくなるのを、ぼくは憂慮しています。
政治家たちの言動が、今度日本が戦争したときは、喜んでお国のために死んでくれるように、徴兵した兵士の士気が高まるように、戦没者をきちっとした国立の靖国神社で慰霊したいのだ、だからまず靖国神社に公式参拝をしているのだと、そう言っているように思えるぼくは、非国民でしょうか。(笑)
君を背おい 歩いた日の
ぬくもり背中に 消えかけて
泣けと如く群青(ぐんじょう)の海に降る雪
砂に腹這いて 海の声を聞く
待っていておくれ もうすぐ還るよ
戦場で死ぬときは、「天皇陛下万歳」といって死ね、と教えられた若き兵士たちが、最後の言葉として残していったものは、やはり「お母さん」というのが多かったといいます。
母の愛は、海よりも深いといいます。
そして、深い深い海の色が…群青色なのです。
母と子の絆の深さは、良きにつけ悪しきにつけ、父親すら入り込めない関係があると思います。
帝政ドイツ時代に、父親から貰ったひとつの方位磁石(コンパス)に興味を持って、飽きずに遊んでいる一人遊びが好きな男の子がいました。
この子は言葉が遅れていたために、幼少期は知恵遅れではないかといわれ、小学校に入ってからも成績は最下位であり、大学入試にも失敗しています。
それでも、この子の母親は、この子は、ほんとはできる子なんだと信じて、そう育ててきました。
この子の名前は、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)
のちに、それまで物理学の常識とされたニュートン力学を再構成させた特殊相対性理論を、1905年(明治38年)に発表した、20世紀最大の科学者です。
彼はドイツに生まれましたが、ユダヤ人であり、このために、ナチス・ドイツから迫害を受けて、アメリカに亡命しました。
そして、そのアメリカでは、ナチス・ドイツより先に核兵器を開発しようとする「マンハッタン計画」が立てられ、アインシュタインも、核兵器の抑止力を期待して、この開発計画の賛同者として名を連ねます。
しかし、開発された核兵器の原爆は、日本の広島・長崎に投下され、多くの犠牲者が出たのです。
後年、アインシュタインは、核兵器の開発について、いかなる理由があろうとも賛同してしまったことを、それは自分の人生の中で、最大のあやまちであったと嘆いたといいます。
そして、その反省の上から、1955年(昭和30年)に、哲学者バートランド・ラッセルらと共に、アインシュタインは、「人類に終止符を打つか、それとも人類が戦争を放棄するか」と、世界各国に核兵器の廃絶を呼びかけるラッセル=アインシュタイン宣言を発表して、それが遺言でもあるかのように、この年に亡くなりました。
空を染めてゆく この雪が静かに
海に積りて 波を凍らせる
空を染めてゆく この雪が静かに
海を眠らせて 貴方を眠らせる
海に住む神さまのことを「古事記」では上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)、「日本書紀」では上津少童命(うわつわたつみのみこと)と記しています。
この日本古来の海の神の名前を由来にして、海そのもののことを、「わだつみ」といいます。
そして、太平洋戦争では、学徒出陣として、戦場に引きずり出されていった学生たちの多くのいのちたちが、この「わだつみ」に散っていきました。
その若者たちの母や恋人にあてた手紙や、日記、遺書を集めた、「きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記」(岩波文庫)という本があります。
この本を読むと、戦時下の彼ら学生たちが、なんの知識も見識もなくて、ただやみくもに、軍国主義に染められて、従属していっただけではないことに、改めて驚かされます。
しかしながら、彼らは、戦争という狂気の時流の中で、祖国の将来と愛する者たちの未来を憂いながら、自分の運命を見つめつつ死んでいったのです。
戦争が悲惨なのは、およそ平時では考えられないくらいに、人間の知性や理性を、すっかりと麻痺させてしまうところだと思います。
だからこそ、戦争への道に引きずり込もうとする勢力や流れには、神経質なくらい警戒を強めて、そんな狂気の時流を作り出せないようにしていくのが、戦争を知らない、ぼくらの役割だと思っています。
安らかにお眠りください。
反戦、不戦の誓いは眠らせませんから…。
この曲は、1981年8月に公開された東宝映画「連合艦隊」の主題歌としてシングルリリースされ、映画のラストシーンで感動を盛り上げました。
この映画は、小林桂樹さんが山本五十六役、そして、中井貴一さんが特攻隊員役で映画デビューし、戦艦大和の精巧な模型も話題に上りました。
なお、谷村新司さんの「昴」と「群青」は、年長者の方、特に先輩や上司なんぞとカラオケする場合には、かぶらないように十分に注意しておく必要があります。(笑)
谷村さんのアリス時代の曲はほぼ全曲歌えても、ソロとなって以降の曲はあまり聞いてなかったぼくは、上司が勝手に「群青」を選曲して歌いだし、ワンコーラスでしどろもどろになって、マイクをいきなり手渡されて、無理やり引きずり出されるうちに、「群青」をマスターしてしまいました。(笑)
ですから、負け戦となることが分かっていながら、引きずりだされた山本五十六司元帥の心情は、なんとなく、よく理解できます。(笑)
それだけに、感情移入して、情感を込めた切々とした歌い方になるからでしょうか、スナックのママを感動させて、大いに泣かせたものです。(笑)
もっとも、ママといっても、母親に近い年齢のママさんに限られるのが………なんですがね。(笑)
(初稿2005.1 未改訂) |