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生まれてきたのは なぜさ
教えてぼくらは だれさ
遠い雲に 聞いてみても
なにも 言わない
だから 探すんだ きみと
でかい青空の 下で
この若さを すべてかけていい なにかを
なんで生まれてきたのだろう、なんのために生まれてきたのだろう。
そんなふうに、生まれてきたことを、自問したことがありますか。
えっ、あなたは、いまでも、いつも自問しているって?
え〜と、もし、あなたの年齢が、思春期から青年期にあるとしたならば、うんうん、まあ、これからもっと視野広くして、いろいろな知識や見識を吸収しながら、さらに思索を深めて、未来に向かって自問自答していってね、と言いましょう。
それと、え〜と、もし、あなたが平均寿命の半分以下くらいしか生きていなければ、うんうん、まあ、これからも、しっかりと生きてください、少子高齢化、超高齢化社会にあっては、アラフォー(around forty)なんて、まだまだガキんちょ、ひよっ子です、明日のために頑張ってね、と、言いましょう。(笑)
そして、もし、あなたが平均寿命の半分以上を生きているとしたら、うんうん、まあ、それはそれは、お気の毒なことでしたね、いまさら明日のために、なんていうよりも、まだ明日があることを願って、そして明日の朝に、目が覚めることを祈って、ご自愛なさってくださいね、と言うでしょう。(笑)
これはもちろんマスター(館長)は、平均寿命の半分以上はとうに過ぎてますし、なんのために生まれてきたのか、は、多少は考えたクチだからこそ言えることなんですけどね。
生まれてきたことを、生きていくことを考えていたなんて、どうしようもないこと、無駄なことを考えてた、徒労だったのかな、なんて思うことも、振り返れば多少はありながらも、やはり、それは必要なことだったのかもしれないと思っています。
もっとも、ただ一所懸命生きてきた、生きるだけで精いっぱいだった、あるいはなすがままに、流されるままに生きてきた、という人もいるのかもしれません。
何のために 何を求めて
傷つきつかれ 年老いて死ぬのか
「何のために」―ザ・フォーク・クルセダーズ
えっ、そこのあなたは、生まれてきたことなんか、かって一度も考えたこともないって?。
う〜ん、それはそれで幸せなことなんでしょうけどね。
でもね、それもやはり、お大事になさってくださいね、と言わざるを得ないです。(笑)
冗談はさておき、いずれにしろ、生まれた環境や育った環境によって、あるいは生まれつきの性格などにより、個人差は大きくて、またその深刻度合いも千差万別でしょう。
しかし、いわゆる多感な思春期から青年期にかけては、多少なりとも、一度くらいは、自問したことがあるのが一般的なのかもしれません。
それは思春期から青年期にかけては、いわゆる自我が確立する時期であり、人として成長していく発達段階のひとつのライフステージ(life stage)に当たるからでしょう。
もっとも、もちろん生まれたときに、つまりはこの世に生を受けたときに、すでに自我はありますし、自我が確立する以前に、すなわち、物心(ものごころ)がつく、いわゆる三つ子の魂が宿る、三才頃には、自我に目覚めるとされており、このときにも、漠然としたものながら、自問することがあるようです。
いわゆる第一次反抗期と呼ばれる二、三才の頃ですね。
アンパンマンを夢中になって見る頃のことですよね。
そう、アンパンマンも、パンのくせに、自我に目覚めているのです。(笑)
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!
「アンパンマンのマーチ」―作詞:やなせたかし
もちろん、あんこが入っているのがアンパンで、カレーが入っているのがカレーパンと区別できるように、自己の存在と、他者の存在があることを意識し、自己と他者とを区別し、比較しながら、いわゆる自己の存在を問うのが、自我の覚醒ということになります。
自己の存在を問う、存在理由(raison d'etre(レーゾンデートル))を問うということは、自分がいったい何者であるのか、自分は何をすべきなのか、どう生きていくのか、という、いわゆる自己同一性(self identity(セルフアイデンティティー))を考えることです。
つまりは、思春期から青年期にかけての第二次反抗期と呼ばれる発達段階においては、特に自我は顕著に意識されますが、これは自分自身を形成していくのに必要不可欠の大切なライフステージであるとされています。
大事な青春無駄にして 紙切れ一枚に身をたくす
まるで河原の枯れススキ こんな受験生に誰がした
「受験生ブルース」―高石友也
もっとも、その思春期から青年期にかけての時期が、将来のための、いわゆる最終学歴を得るための青春期の受験生時代とも重なっているために、思索したり、煩悶したり、あるいは試行錯誤している余裕がないのも事実です。
しかし、紙切れ一枚に身をたくすための受験勉強であるとはいえ、そこで得たさまざまな知識や学力は、今後の生きるためのヒントとなり、生きていくための活力と成りうるものを多く含んでいて、決して無駄にはならないと思います。
生きてることって なにさ
走ってゆくのは どこさ
風は寒く 笑いながら
ほほを 打つだけ
だから しるすんだ きみと
荒れ果てた 土の上に
この力を すべてこめた 足跡を
「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、…(中略)
第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌していた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、…(中略)
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。…(後略)」
これは我が国の著名な小説家の代表作のひとつの書き出しです。
この書き出しを読んで、あっ、あれだ、とすぐに当てられた方は、おそらく苦悩多き青春時代を過ごされた方でしょうか。(笑)
正解はもちろん、太宰治の「人間失格」という小説です。
太宰治には、ほかに「走れメロス」や「津軽」、「ヴィヨンの妻」、「斜陽」や「お伽草紙」などの作品がありますが、1948年(昭和23年)6月13日、享年38歳で、愛人と玉川上水で入水自殺をしています。
ちなみに、太宰治のイメージとしては、究極の自己否定のような感じの「生れて、すみません。」というのがあって、なにか「人間失格」のなかに出てきそうな言葉ですが、「二十世紀旗手−(生れて、すみません。)」という作品です。
青森津軽地方の大地主である津島家という名家に生まれて、旧制弘前高校から東京帝国大学に進学し、作家として坂口安吾、織田作之助らとともに新戯作派、無頼派と称された斬新な作風は、第一回芥川賞候補となって惜しくも受賞を逃すといっても、これら太宰治の経歴は、人から見れば、何の不足もない、恵まれた境遇に育ち、恵まれた才能を有していたと考えますが、本人自身としては何らかの不満があったのでしょう。
さて、次の文章は、これも我が国の著名な小説家の代表作のひとつから、今度は書き出しではなく、ラストの部分を引用しましょう。
「君よ!今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来るのだ。
君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。」
すぐに分かった方は相当な文学通の方か、あるいはマスター(館長)のように、文学史のお勉強として、タイトルと作者を覚えて、あらすじを読んで、最初と最後の名文だけを読んで、読んだ気になってる方か、のいずれでしょう。(笑)
正解は、有島武郎の「生まれいずる悩み」という小説です。
有島武郎は、ほかに「或る女」、「カインの末裔」、「惜みなく愛は奪ふ」などがあります。
「人間失格」の書き出しと、「生まれいずる悩み」のラストとを比べてみると、冬の後には春が来る、と、冬来たりなば春遠からじを彷彿させるような、有島武郎が、なんと前向きな、ポジティブな、プラス志向の作家であると思われるかもしれません。
しかし、事実は残酷なもので、有島武郎という作家も、1923年(大正12年)、享年45歳で、人妻と軽井沢の別荘で縊死自殺をしています。
有島武郎も、薩摩藩郷士で大蔵官僚である父をもち、学習院中等科を卒業、札幌農学校に進学し、ハーバード大学等へ留学後、東北帝国大学農科大学で教鞭をとりながら、同人雑誌「白樺」に参加、武者小路実篤、志賀直哉などとも親交がありました。
作家としても恵まれた境遇にあったといえますが、宗教や思想への懐疑、父親や妻の死、そして創作活動の行き詰まりなど、やはり人知れずの悩みがあったのかもしれません。
有島武郎にしても、太宰治にしても、あるいは、芥川龍之介、金子みすゞ、原民喜、火野葦平、三島由紀夫、川端康成など、素晴らしい文学作品を書き上げ、人々に感銘を与えたにも関わらず、多くの作家が自殺しています。
作家に限らず、他の分野で功成り名を遂げた人でも、大きな組織で位人臣を極めた人でも、衆生済度を説く高名な僧侶であっても、自殺する人は自殺しています。
もちろん、マスター(館長)は、貴賤貧富を問わず、老若男女を問わず、いかなる理由や原因があるにしても、自殺自死することを肯定しません。
突然の病に倒れたために、そして予期せぬ不慮の事故のために、天寿を全うできずに、生きたくても生きることができずに、無念に亡くなった方々を多く見送ってきました。
だからこそ、いのちある限りは、生まれてきたことを悔い、生きていくことに悩むことがあっても、それは人間として老若男女を問わず、どんな境遇でも起こりうるべきことであって、そのために自らのいのちを絶つようなことはすべきではありません。
「山より大きな猪はでない」、どんなに大きな猪でも住んでいる山より大きな恐ろしい猪は出ない、この世で起きたものはこの世で解決できないものはありません。
「明けない夜はない」、陽が沈んで真っ暗闇が続いても、いつかはまた陽が昇る、いつまでも漆黒の闇が続くわけがない、いつしか夜が明けていくものです。
「止まない雨はない」、どんなに激しく、長く続く雨であっても、雨はやがて小降りとなり、やがて雨は止んで、晴れ間に虹がのぞくこともあるでしょう。
言い古された言葉、気休めの言葉、だと思われるかも知れません。
でも、そう思っても、やはり、これが真理、これが真実です。
そう言い聞かせて、そして、どんなことをしても、生きていくべきだと思うのです。
愛する人が いるなら
求めるものが あるなら
なんにも怖くは ないさ
そいつが青春
涙は こころの汗だ
たっぷり 流してみようよ
二度と戻らない 今日のために
「涙は心の汗だ」というフレーズは、「われら青春!」のドラマの中でもセリフとして使われており、近年においては、涙のいやし効果やストレス緩和効果など、心理学や生理学の分野からも解明されつつあり、涙は心の汗というのは、やはり名言だったと思います。
しかし、いずれにしろ、悲しいとき、辛いとき、苦しいとき、生まれてきたことや、生きていくことに苦しみ悩んだときには、無理をせずに、見栄えなど気にせずに、たっぷりとこころの汗である涙を流して、過ぎていく帰らざる日を見送ることは最良のことかもしれません。
生まれてきたことを問う、生きていることを問う、それはただ青春の一時期に限ったことではありません。いや青春とは…。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく、
心の様相を言うのだ。
(中略)
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときに初めて老いがくる。
(中略)
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。 (中略)
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは
失われない。
作詩:Samuel.Ullman
訳詩:岡田義夫
そして、そのことを青春とするならば、終生に渡って、生まれてきたことを、生きていることを問い続けることは、それは紛れもなく、「われら青春!」なのです。
この唄の作曲家、いずみたくさんは、本名、今泉隆雄さん、1930年(昭和5年)1月5日、東京都に生れ、20代の頃から、幅広いジャンルの多くの曲を作曲し、1992年(平成4年)5月11日に62才で亡くなられるまでに、総数約15000曲を手掛けられました。
「見上げてごらん夜の星を(坂本九)」、「これが青春だ(布施明)」、「世界は二人のために(佐良直美)」、「恋の季節(ピンキーとキラーズ)」、「手のひらを太陽に(ボニージャックス)」、「太陽のあいつ(ジャニーズ)」、「ゲゲゲの鬼太郎(熊倉一雄)」、「希望(岸洋子)」、「ベッドで煙草を吸わないで(沢たまき)」、「女ひとり(デューク・エイセス)」、「いい湯だな(ザ・ドリフターズ)」、「太陽がくれた季節(青い三角定規) 」、「夜明けのスキャット(由紀さおり) 」、「ふれあい(中村雅俊) 」、ほかにCMソングやドラマ・アニメの挿入歌など枚挙にいとまがありません。
音楽活動以外にも、社会的、政治的な活動として、日本共産党の支持者(シンパ)という立場において、同党の機関紙やチラシ等の広報紙上で、賛同者・推薦人として、よく名前を連ねておられたのを記憶しています。
しかし、1986年(昭和61年)7月には、参議院比例区に、日本共産党からではなく、第二院クラブ所属として出馬するも落選して、1989年(平成元年)6月、消費税導入に係る青島幸男氏の議員辞職による繰り上げ当選で、参議院議員を務められ、1992年(平成4年)5月に議員としての任期を残したまま亡くなられています。
いずみたくシンガーズは、いずみたくさんが1972年(昭和47年)に結成された、いずみたくさんを含めて13名のシングアウト系のグループで、1974年放映のテレビドラマ「われら青春!」の主題歌となったこの唄をヒットさせて、1975年に解散しています。
「われら青春!」は、1974年(昭和49年)4月日本テレビ系列で放送開始された中村雅俊さん主演の太陽学園ラグビー部を舞台とした青春学園ドラマです。
1965年(昭和40年)の夏木陽介さん主演の「青春とはなんだ」に始まり、竜雷太さんの「これが青春だ」、「でっかい青春」、浜畑賢吉さんの「進め!青春」、東山敬司さんの「炎の青春」、村野武範さんの「飛び出せ!青春」、に続く青春学園ドラマシリーズの最終作でした。
なお、中村雅俊さんの「ふれあい」は、「われら青春!」の挿入歌でした。
(初稿2015.3 未改訂)
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