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「案山子」―さだまさし

お盆や年末の風物詩として、人々が故郷へ帰る帰省ラッシュのシーンなどが、毎度のごとく、ニュースで取り上げられます。

帰省という言葉は、もともとは、故郷に帰って親の安否を気遣うという唐の詩人朱慶余の漢詩に出典があり、彼のように、特定の人たちが、勉学と立身出世のために、都に上って、刻苦を厭わず勉学を積んで、その知識や技術の能力のもとに、身をたてて、功成り名を遂げて、故郷に錦を飾るというストーリが背景にありました。

一般庶民が、単に故郷(ふるさと)に帰る場合には、帰省ではなく、薮入りとか、里帰りとかの言葉が使われていました。

しかし、経済の高度成長にともなって、高等教育の大衆化に伴う進学機会の増大や、就労場所の都市への集中が進み、地方から都市への人口の流入が促進され、その人々たちが盆や暮れに故郷へ帰ることも、帰省という言葉が使われるようになりました。

   元気でいるか 街には慣れたか
   友達出来たか
   寂しかないか お金はあるか
   今度いつ帰る

地方と都市を結ぶ、陸路や空路などの交通手段の整備、発達や高度化により、日本全国の広域な地域でも、短時間での往復が可能となり、また、日常の情報通信手段も格段に発達して、地方と都市も、相互に近しい存在になりました。

にもかかわらず、やはり、慣れない街暮らしを案じたり、日々の暮らしを心配するのは、やはり肉親の情愛でしょう。

   城跡から見下せば蒼く細い河
   橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突
   この町を綿菓子に染め抜いた雪が
   消えればお前がここを出てから
   初めての春

ぼく自身は、大阪市内に生まれて、そこから、さして遠くない、やはり大阪市内に、ずっと住んでいて、実家とは数キロも離れておらず、学校も就職も地元だったので、帰省の実感や経験はありませんが、妻の実家は、青森県の下北半島にあって、大阪からだと、千キロ以上も離れていますから、それこそ名実ともに、本格的な帰省を意識せざるを得ません。

妻の実家近くには、鮭が遡上する河が流れていて、地酒を作っている造り酒屋のレンガ煙突も見えます。
城跡ではありませんが、近くにある、釜臥山(かまぶせやま)という山に登れば、市内が一望できるビューポイントがあり、さらに、ここからは、北は津軽海峡を経て、北海道が望め、また、南の方は、八甲田山や岩木山なども見えます。

釜臥山は文字通り山頂に釜を伏せたような膨らみがある特徴のある山で、その山向こうには、日本三大霊場として有名な恐山があるところで、下北半島のシンボル的な山です。

もっとも、その釜臥山も含めて、いまは市内の様子が24時間映し出すライブカメラが設置されているため、現在の様子が、インターネットで、リアルタイムで映し出されています。
青森の実家のある市内が、晴れているのか、雪模様かが、千キロも離れている大阪から、それこそ、手にとるように分かります。

   手紙が無理なら 電話でもいい
   “金頼む”の一言でもいい
   お前の笑顔を待ちわびる
   おふくろに聴かせてやってくれ

かって、各家庭に、まだ電話が普及していない時代には、電報という通信手段が利用されていました。
電報はカタカナ文字しか送れなかったため、「カネオクレタノム」が、「金送れ、頼む」なのか、「金をくれた、飲む」なのか分からないから、わかち書きをして、「カネ オクレ タノム」としなければならないと、国語の時間に習った記憶があります。(笑)
いまや電報は、祝電や弔電という利用形態だけでかろうじて生き延びているだけですから、いまは昔の話ですね。(笑)

インターネット社会の進展により、手紙よりもメールになり、電話も固定電話から携帯電話へとシフトし、また携帯で画像までも送れるようになって、さらにテレビ電話なども、普及のきざしを見せていては、この歌詞も、また、いまは昔の話になりますね。(笑)

   山の麓 煙吐いて列車が走る
   凩が雑木林を転げ落ちて来る
   銀色の毛布つけた田圃にぽつり
   置き去られて雪をかぶった
   案山子がひとり

そして、妻の実家は、海沿いの町にあり、帰省のときに利用するローカル線の列車は、海沿いの線路を、厳冬の海から吹き寄せる風に、耐え忍ぶようにして走っていきます。
線路に平行するように、国道が走っているため、列車で帰らないときも、かならずこの風景を見ることになります。

北国の短い夏には、ハマナスの花の咲き誇る沿線沿いですが、冬場は雪と競い合うかのような、白い波頭の立つ海岸と、真っ白に染め抜かれた防雪林が交互に見える車窓です。

そして、帰省するたびに見るこの風景が、いつしか、ぼくにとっても、懐かしい故郷の原風景になりました。

そして、やはり、田圃には、案山子がぽつりと…。

   お前も都会の雪景色の中で
   丁度 あの案山子の様に
   寂しい思いしてはいないか
   体をこわしてはいないか

田舎であれ、都会であれ、人はときとして、雪景色の中に置き去られた案山子のような気持ちなる場合があります。
人はひとりで生まれて、ひとりで死んでいくものなんだなぁ〜と、どうしょうもなく、なんともいえぬ寂しさを感じることがあります。

そして、そんなとき、誰か、ひとりでも、このように思ってくれる人がいれば、人はまた生きていけるものだと思います。

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふものよしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆうぐれに
 ふるさと思ひなみだぐむ
 そのこころもて遠き都にかへらばや
 とほき都にかへらばや      室生犀星−小景異情(その二)

…室生犀星のこの詩をめぐっては、犀星が、犀星の故郷である石川県の金沢・犀川への追慕を詠ったものであるのか、逆に、失意や憎悪を詠ったものであるか、文学論議されています。
私生児で出生し、養子に出され、酒乱の義母がいる故郷。
逃げるように上京して、赤貧生活の都。
犀星にとっては、ふるさとも、いずこも、帰る場所にあるまじきところだったのかもしれません。

でも、故郷とは、決して特定の場所や、地域のことだけをさすものではありません。
そこでの人と交わす言葉、そこでの人との触れ合い、温もり、そして懐かしき想い出たち…そう言ったものが、みな故郷になるものなんだと思います。
そして、帰りたいと思う場所が、故郷なんだと思います。

   元気でいるか 街には慣れたか
   友達出来たか
   寂しかないか お金はあるか
   今度いつ帰る

あなたのまわりに、案山子さんはいませんか。
そんな案山子さんに、あなたも声をかけてあげてみてください。
あなたが、その人の故郷になることもできるのですから。

えっ、「お金はあるか」…って尋ねてみたら、「金たのむ」…の一言が返ってきたら、どうすんのかですか?。
そんなときは、「♪オレもないけど、心配すんな〜、見ろよ〜青い空、青い雲、そのうちなんとかなるだろう♪」(作詞/青島幸男)って答えるのもアリかと思います。(笑)

帰去来(ききょらい)…帰りなんいざ…。


さだまさし(本名:佐田雅志)さんは、ヴァイオリンの修業のため、中学校の時に上京していますが、この歌は、マネージャーをしている実弟の佐田繁理さんをイメージして作られたものでしょう。
さださんに似ず、男前だけど、やや静か過ぎて、根暗っぽい感じがする方ですから。
さださん似の妹の佐田玲子さんをイメージして作られたら、また違ったものになったかもしれませんね。(笑)

(初稿2002.12 未改訂)


案山子

作詞/作曲 さだまさし

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

城跡から見下せば蒼く細い河
橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突
この町を綿菓子に染め抜いた雪が
消えればお前がここを出てから
初めての春

手紙が無理なら 電話でもいい
“金頼む”の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

山の麓 煙吐いて列車が走る
凩が雑木林を転げ落ちて来る
銀色の毛布つけた田圃にぽつり
置き去られて雪をかぶった
案山子がひとり

お前も都会の雪景色の中で
丁度 あの案山子の様に
寂しい思いしてはいないか
体をこわしてはいないか

手紙が無理なら 電話でもいい
“金頼む”の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

1977年(昭和52年)
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