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「寒北斗」―さだまさし

寒北斗は冬空に輝く、北斗七星のことです。

寒北斗は、歳時記ではもちろん、冬の季語なんですが、インターネットで検索すると、季語よりも日本酒の銘柄「寒北斗」が多くヒットしてしまい、下戸のぼくは、それだけで酔いが回ってしまいました。(笑)

北斗七星は、星空に興味を持ったときに、いちばん最初に覚える星たちですね。

北の空に、七つの星が、ちょうど柄杓(ひしゃく)のような形の配列をしていて覚えやすい…のですが、子どもたちに教えるときには、まず、日常生活から消えた柄杓のことから教えなければなりません。(笑)

その北斗七星の柄杓の先のふたつの星を結んで、その5倍のところにあるのが、北極星です。

ちなみに、北の空にあるW字の配列のカシオペア座の外側の線2本を伸ばして交わった点と真ん中の星を結んで,その方向に5倍のところからも、北極星を探すことができます。

北極星は、ポラリス(Polaris)またはポーラスター(polestar)、あるいは北辰(ほくしん)、妙見(みょうけん)とも呼ばれ、古くから、船乗りや旅人に、北の方角をを示す指標として知られていました。

もっとも、北の空に揺らぎなく、凛として、輝やいているのが北極星のイメージなんですが、実は、光度が変化する変光星であり、また、地球の自転軸の揺らぎ(歳差運動)により、1万3千年後には、いまの北極星に代わって、こと座のベガ(織姫星)が北極星になります。

まあ、しかし、1万3千年後はともかく、いまのところは、先の方法で、夏場は北斗七星、冬場はカシオペア座から北極星を探せば、その方向がほぼ北ですから、北にふるさとがある方は、きっと道に迷わずに、帰郷することができるでしょう。(笑)

もっとも、酔っ払いの目には、星だか、ネオンだか分からないと思いますので、ケンシロウに死なん程度に北斗の拳なんかを見舞ってもらって、ちょっと酔いを覚ましてからにしてください。(笑)

ちなみに、北斗七星も、北極星も、星座の一部を構成する星たちで、北斗七星は、おおぐま座に、北極星は、こぐま座に属します。

森の中でよく見かける動物、民話や童話などに登場する親しみのある熊を、先人たちは、見慣れた星たちの姿に星座としてなぞらえたのでしょうね。

しかし、近年、我が国では、都市化が進み、また山林の樹木の種類も変わって、熊と人間が一定の距離を置かずに遭遇する機会が増えて、悲しいことに害獣として射殺駆除されるといったことが増えてしまいました。

人と自然の共生は、なかなか難しいことです。

ところで、星座のおおぐま座とこぐま座にまつわる哀しいギリシャ神話があるのをご存知でしょうか。

ここで、お話しささせていただきますので、お子さまたちと一緒に、北斗七星を見る機会があれば、そのときにはロマンチックに語ってあげてください。

森のニンフ(妖精)にカリストという娘がいました。
この娘に、大神ゼウスが、ちょっかいを出して、妊娠させてしまい、ニンフが妊婦になりました。(笑)

いきなり、生々しいお話ですね。(笑)

そして、生まれた子がアルカスです。
しかし、大神ゼウスの妻である女神ヘラに、このことがばれてしまって、嫉妬に怒り狂った女神ヘラは、カリストを熊にしてしまいました。

一方、ゼウスとカリストの間の子アルカスは、立派な青年に成長して、狩の名人となりました。

はい、ドラマ好きのあなたには、これで、もう次の展開と結末が、見えてきましたね。(笑)

アルカスが森で狩をしていたある日、なんと熊となった母親カリストと出会ってしまったのです。
もちろん、アルカスは、それが母親カリストの化身とは知らずに、その熊に向かって弓を引きました。

これを見ていた大神ゼウスは、矢がカリストを射抜く前に、二人を天にあげて星座としました。

母親カリストが北斗七星のあるおおぐま座となり、息子アルカスが北極星のあるこぐま座となりました。

だから母親であるおおぐま座は、離れて暮らしていた息子のこぐま座を、いつでも見守るようにして、その周囲を回っているのです。

哀しいけれど、温かなギリシャ神話ですね…。

もっとも、女神ヘラも黙っちゃいませんよ。(笑)

なんやのんな、カリストって娘は、人の亭主を寝取っといてからに、悲劇のヒロインヅラして、ほんますかん娘やわ、うちは絶対に許さへんからね…、と、女神ヘラが言ったかどうかはわかりません。(笑)

でも、それで、二つの星座は、永遠に地上に降りて休むことを許されず、北の空で地平線に沈むことがないようにされてしまったといいます。

げに、恐ろしきは〜〜女の執念じゃ〜〜〜。(笑)

大神ゼウスの権威と権力を持たぬ、地上の星の男性諸君、気をつけましょうぞ。(笑)

でも、神々のお話しなのに、妙に人間味のあるのが、ギリシャ神話なんですよね…。(笑)

…と、まあ、この星座のギリシャ神話は、お子たちが、も少し大きくなってから話してあげた方がいいのかも…の話になりましたね。(笑)

…と、こんな、とりとめのない星たちのお話をしているうちに、ほら、流れ星がひとつ、ふたつ、みつと見えはじめて、さて、東の空が明るくなってきました。

さあ、いよいよ夜明けです。

今宵は、青春音楽館付属プラネタリウム館に、お越しいただきまして、ありがとうございました。

ほんのわずかな、ひとときでございましたが、冬の星座をめぐる星空の旅、いかがでしたでしょうか。

それでは、またお会いしましょう。
ありがとうございました。<(_ _)>
足元の段差に気をつけてお帰りください。(笑)

…って、えっ、ここでもう終わっちゃうのって?

いつもの歌詞の引用してないしぃ〜って?

うん、エッセイだから、たまには、それでも、い・引用〜って、ダジャレで許して…くんないよね。(^^ゞ

もう、欲張りなんだからぁ〜〜〜(笑)

じゃ、まあ、次は第二部ということで進めますが、これがまた長いんだから知らないよ〜〜〜だ。(笑)

   幾つになっても郷土へ帰るのはいいもんだ
   照れ臭くってあたたかくっていいもんだ
   土産といってもこの躰 折りから郷土は煤払い

帰省でいつも考え込んでしまうのがお土産ですね。
いくら帰省とはいえ、手ぶらで帰るわけにはいかないし、まして、義理の関係が加われば、なにがしかのお土産を持って、ということになります。

土産ですから、その郷土の産が望ましいのですが、純粋に大阪土産となると、あるようで無くて、結局のところ、赤福餅(伊勢土産)や、おたべ(京都土産)、ゴーフル(神戸土産)など、他府県産の土産も動員させることになります。

でも、ほんとに、ふるさとで待ってくれている土産といえば…、やはり、その身ひとつ、その躰ひとつです。
そして、その元気な姿、その笑顔なのでしょう。

自分たちが帰省をするようになった頃の親の年に、近づけば、近づくほどに、そう思うようになりました。

子どもが成長し、やがて子どもの帰省を待つ身になれば、より実感するのでしょうね。

ところで、ちなみに、ここで言われている、煤払い(すすはらい)というのは、厳密には、12月13日に行われる宗教的な行事のひとつで、年末の最後の大掃除という意味とは異なるようです。

     旅寝してみしやうき世の煤はらひ 松尾芭蕉

歌詞内容では、実家に戻ったら、ちょうど年末の大掃除をしているところだった、でしょうから、語感はともかく文字数からすれば「すすはらい」を「おおそうじ」としても良さそうです。

しかし、歳時記では、煤払いは冬の季語で、大掃除は春の季語となっているために、俳句の世界では、年末の大掃除については、大掃除といわず、煤払いと読み替えるのが一般的だそうです。

だからここでは敢えて煤払いとされているようです。

なお、大掃除が春の季語となっているのは、学校行事の大掃除が学年末であったからとか、衛生関係の役所がその年度末に大掃除を推奨したからとも言われているようです。

また、大掃除は町内清掃日だから、夏の季語であるという説もあるようですが、ともかく、みなさん、日ごろから掃除していれば大掃除はいらないです。(笑)

   ひと息ついたら親父は美味そうに
   煮凝(にこごり)を喰う

ぼくの亡き父親も、どちらかというと下戸の方で、少し飲めばすぐに顔が赤くなっていましたが、でも、たまの休みなどには、少し晩酌もしていました。

煮凝りというのは、魚の煮汁が冷えてゼリー状に固まったもの、あるいは、煮魚の身をほぐして煮汁とともに固めた寄せ物のことですが、ゼラチンの感触と味が、子どもには不思議な食感でした。

でも煮凝りより、我が家は、牛のスジ肉を白味噌仕立で柔らかくなるまで焼き煮込んで、ネギをあしらった、「どて焼き」が、親父の手料理で、また好物でした。

子どもの頃には、そんなに好きな料理ではなかったのですが、年とともに好きになっていくので、やはり嗜好の遺伝とは不思議なものです。

なお、煮凝りも冬の季語となります。

      煮凝りの出来るも嬉し新所帯 正岡子規

   お袋は炊事場で酒を煮る

酒を煮るという言葉は、この歌を聴くまで、あまり耳にしたことがありませんでした。

この歌を最初に聴いたときには、「鮭を煮る」と思って、地方によっては、棒鱈の代わりに、鮭をお煮しめに使うのかと思っていました。(笑)

酒を煮るという言葉を調べてみると、酒造のときの消毒殺菌過程で酒を煮るという用語があり、ほかには酒をみりん代わりに使うときにアルコール分を飛ばすときにも使うようです。

       酒を煮る家の女房ちょとほれた 与謝蕪村

はてさてと思っていたら、上の句があって、なるほど、酒を燗するときにも使うのだと分かりました。

いまでも、酒を燗することを、酒を煮るという言葉で使っている地域があるのでしょうか。

燗といえば、ぼくの母方の祖父などは、結構、飲める方だったので、正月など母方の親戚たちが来ると、お鍋にお湯を沸かして、数少ない徳利(とっくり)を使いまわして、熱燗をしていました。

青森の妻の実家の方は酒豪ぞろいなので、さぞや徳利がずらっと並ぶのかと思いきや、半端な寒さではないので、部屋を暖かくして、燗をするよりも、コップやグラスで、冷酒で飲むというような酒盛り風景です。

もちろんマスター(館長)は、30分一本勝負でノックアウトされ、倒れてしまいますので、あとは、柱時計と天井の模様しか、風景として思い出せません。(笑)。

もちろん、30分一本勝負とは、一升瓶一本ではなくて、ぼくの場合、ビール中瓶一本のことです。(笑)
それで完璧に酔えますから、お得です。(笑)
大瓶一本となれば、泥酔状態で危険が危ない。(笑)

   子供の頃から動いてる 柱時計が時を打つ

大きなのっぽの古時計(Grandfather's Clock)という童謡がありますが、もちろん、古時計も、はじめから古い時計だったわけではありません。

骨董品の時計でも、年を経て古時計になったのであって、最初から古時計だったわけではありません。

それは、あたかも古女房が …w(☆o◎)wが-ん
はいはい、口は災いのもと、お口チャックしますヨ。
…ったく。(笑)

ぼくの母方の祖父の家にも古時計がありました。
もちろん、のっぽの古時計ではなく、ボーン、ボーンと時報を打つ、ごく普通の八角形の柱時計で、丸い椅子に乗って、ネジを巻いている祖父の姿を、なぜか覚えています。

     よそに鳴る夜長の時計数えけり  杉田久女

   昔晦日に餅もなく
   子供の顔をみつめてた
   あなたの気持ちわかる程
   大人になって去年今年

晦日そばを食べるときに、ぼくはふと「一杯のかけそば」という童話があったこと思い出します。

大晦日の北海道札幌にあるそば屋「北海亭」で、店もしまいかけの頃、母と子二人の三人連れがやってきて、おずおずと「一杯のかけそば」を注文するところから始まるこの話は、一杯のかけそばをめぐって、店の主人と女将の思いやりや、母子三人の頑張りと、人への償い、そして人への感謝の念などを、散りばめて、日本中の熱い涙を誘った感動のお話のはず…だったんですが…。

実話をもとにした感動の物語ということで、一躍有名になった作者、栗良平氏の寸借詐欺(すぐに返すから、と言って金品をだまし取ること)の過去が暴露されて、人気は急落、あっけない幕切れでした。

しかし、「大晦日」、「一杯のかけそば」という設定は、昭和40年代の高度経済成長期以前の貧しき時代を経験した人には、同情を引く設定です。

この音楽館を訪問される昭和50年代以降生まれの方々のために特別に解説しますと、「晦日に餅がない」というのは、べつにお餅が嫌いだから買ってないというのはではなく、ローソンで売り切れになってたからでもなく、ピザしか宅配してくれないからということでもなく、つまりは、お餅を買うだけのお金がないということです…って、それぐらい言わなくても分かりますか。(笑)

年末の一時金などを、餅代と言ってました。
餅代がないと、年越しができないとも言いました。
それほど、昔は正月が特別の日で、お餅は正月に欠かせぬ一品の代表だったのです。

さだまさしさんご自身も、父親の事業の失敗などで、大きな家から小さな家への転宅を余儀なくされていた時代があり、そんな頃の晦日の情景を、子ども心に記憶していたのでしょう。

なお、去年今年と書いて、「こぞことし」というのは、古語表現ですが、歳時記では、新年の季語にもなっています。

     去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子

   親父は時計に向ってひとり言
   此頃合わないぞとひとり言
   知ってか知らずかまな板の
   遠くで葱(ねぎ)切る音がする

妻の実家に、やはり、ぼくの祖父の家にあったような八角形の柱時計があり、帰省の折に、偶然にも、義父が同じようなことをつぶやいたことがありました。

それで、ぼくの実母を連れて帰省した折のお礼に、母からとして電池式の柱時計を送りました。

有り難いことに、帰省のたびに、義父が、これ、大阪の母さんが送ってくれた時計、もう何年になるかな、少しも狂わないんだょ、って言ってくれます。

男にとっての母親の存在が、男同士として、どういうものであるかを知っているからこその言葉です。

さだまさしさんも、多分に同じで、まさしさんは、この曲では母親にネギを刻ませていますが、「無縁坂」では母親に、なんと、暦まで刻ませています。(笑)

     母は全てを暦に刻んで
     流してきたんだろう
     悲しさや苦しさは
     きっと有った筈なのに
                    「無縁坂」 グレープ

   幾つになってもお袋には子供は子供
   酒飲むなの躰こわすなの小言いう
   小言といってもこの耳に
   何故か今夜は心地よい

最初に青森に行ったときに、義父は自分の母親、つまりは妻の祖母、青森のばっちゃんを本家から呼んで、わざわざ会わせてくれました。

妻は孫の中でも、とくにばっちゃんに目をかけてもらっていたようですし、なんせ本家のばっちゃんといえば、親戚筋の元締めですから緊張します。

ばっちゃんに、ぼくが緊張しながら、おずおずと挨拶すると、ばっちゃんは、すかさず、ぼくの手を握ってくれて、よぐきたにぃ、よぐきたよ、おめ、めごいよ、めんこいよなぁ、よろすぐなぁって言ってくれました。

つまりはそんな本家のばっちゃんの様子に、義父も安心したように目を細めてくれました。

   二本目の徳利を差し出せば
   お袋は座ったまま眠ってる
   胸をつかれて不覚にも
   涙ひとつこぼれました

ぼくたちが帰省すると、たまの帰省ですし、こんどいつ帰るかも分からないからと、義父母も、いつもと違って夜更かしをして、子ども達の話の中にいます。

それでも、やはり、睡魔がくるのか、うとうとしていて、
どうぞ寝てくださいって言っても、いやいや、みんなの話を聞いてるからと、なかなか寝室に行きません。

とくに義母は、ぼくが酔いが回って、半ダウン状態で横にならせてもらうと、すぐに毛布を掛けにきてくれて、また、もとの端っこの席に戻り、なにごともなかったかのように、こくりこくりとしています。

       寝ていてもうちわの動く親心  古川柳

幾つになっても親は親、子供は子供です。

   ふと仰ぎ見る古里の
   窓に横たう天の川
   お前の意志を曲ぐるなと
   はげますごとき寒北斗

凍てつくような冬の夜、とくに晴れた日の夜は、放射冷却のせいで、かなり寒くなります。
ほんとに凍(シバ)れるような寒さです。

でも、そんな夜だからこそ、星空が綺麗です。
冬の天の川は、夏よりも淡く、夜空にあたかも白い霜が降り立ったように見えます。

そして、その天空には孤高の北斗七星、寒北斗。

…って、そこのお父さんが感動しているときに、そこのお母さん「はげますごとき」って「ハゲ増すごとき」みたいねって、お父さんの頭を見ないのよ。(笑)

失礼しました、さだまさしさん。
格調高い七五調の歌詞をちゃかしてしまって。(^^ゞ

でも、なんとか髪の毛、持ちこたえているようですね。
チンペイさんが髭でごまかし、ちー様がごまかしきれずにスキンヘッドしている中で、なんとか頑張っていますよね。(笑)

   たった今決心がつきました
   年があけたら嫁をもらいます
   知ってか知らずか床の間で
   ゆらりと揺れた福寿草

嫁をもらうというのも、もはや、古語表現なのかもしれませんが、この決心をつけた男性が、次はいよいよ「関白宣言」をして…、それから時を経て「関白失脚」ということになるのは、まさに歴史的必然なのかもしれません。(笑)

福寿草は新年を祝う花として、別名、元日草、福を招く、縁起の良い花として喜ばれています。

     新しき年の始の初春の
     今日降る雪のいや重け吉事  大伴家持

新しい一年が降り続く雪のように、いいことが重なって、福と寿に満ち溢れるようになればいいですね…。

皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

え〜〜〜と、長〜〜〜々〜〜〜とお読み下さいましてありがとうございます。(笑)

とくに多忙な年末の時期に読まれた方は、大掃除やら正月支度やらを、ほったらかしにして、こんな長文お読みいただいて、ありがとうございます。
ほんとに、いいお年を〜〜〜。

それ以外の時期に読まれた方も、毎年の誕生日には、かならず一歳は、お年をとれますから、いいお年を〜〜〜…って、そんなん、ほっといててか?(笑)



この曲は、まずシングルとして発売されて、「Glass Age」というアルバムに収録されました。

ちょっと感傷的な曲調である名曲「案山子」に比べて、こちらは、出だしは同じ哀愁調かと思わせておいて、リズミカルに、そしてちょっとコミカルに、また力強く、思わず身体を、福寿草のように揺らせて聴けるように仕組んでます。

「案山子」が、ふるさとにいる兄が都会に出ていった弟に対してのメッセージとするならば、これは、それに応えた弟が、久し振りに帰郷してきた、というような設定のアンサーソング的な感じでしょうか。

でも、おい、久し振りに帰郷する弟のために、念入りに大掃除して、酒と肴を買いに走り回った兄貴のことがちっとも出てないゾ…そんなふるさと在住の兄貴のぼやきも、聞こえそうな一曲です。(笑)

(初稿2004.12 未改訂)


寒北斗

作詞/作曲 さだまさし

幾つになっても郷土(さと)へ帰るのはいいもんだ
照れ臭くってあたたかくっていいもんだ
土産といってもこの躰 折りから郷土は煤払い

ひと息ついたら親父は美味そうに煮凝(にこごり)を喰う
お袋は炊事場で酒を煮る
子供の頃から動いてる 柱時計が時を打つ

昔晦日に餅もなく 子供の顔をみつめてた
あなたの気持ちわかる程
大人になって去年今年(こぞことし)

親父は時計に向ってひとり言
此頃合わないぞとひとり言
知ってか知らずかまな板の 遠くで葱切る音がする


幾つになってもお袋には子供は子供
酒飲むなの躰こわすなの小言いう
小言といってもこの耳に 何故か今夜は心地よい

二本目の徳利を差し出せば
お袋は座ったまま眠ってる
胸をつかれて不覚にも 涙ひとつこぼれました

ふと仰ぎ見る古里の 窓に横たう天の川
お前の意志を曲ぐるなと はげますごとき寒北斗

たった今決心がつきました
年があけたら嫁をもらいます
知ってか知らずか床の間で ゆらりと揺れた福寿草

1984年(昭和59年)
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