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片想い…なんとなく切なくて、それでも、なにか懐かしい響きのある言葉だな〜と、思うようになったら、すでに人生の坂を、かなり登ってきたということになるのかもしれません。
たしかに、結婚して家庭を持って、父となり母となり、子供を育て、あるいは、会社に永年、勤めて、そこそこの役職につくような年代になると、「片想い」…どころやなくて、「肩重い」ですわ。(笑)
いかんいかん、いきなり、冒頭から、こんな、オヤヂギャグ的おちゃらけをかましていては、この歌のイメージ、ぶち壊しやんかと、浜田省吾(ハマショー)ファンに、叱られそうですね。(笑)
…いやいや、「片想い」という言葉の「蒼さ」に、ぽっ(*^^*)となった、ぼくの照れ隠しですので、許してください。
…なにぶん、ぼくは、実はシャイなもんで、_(^^;)ゞ
シャイはシャイでも、冗談はよしなシャイですか。(笑)
片想い…そう言えば、「シャリ」とか、「アガリ」、「ムラサキ」なんかのお寿司屋さんの隠語は有名ですよね。
それぞれ「寿司飯」、「お茶」、「たまり醤油」を意味する隠語というのは、知っていると思いますが、お寿司屋さんで「片想い」って言う隠語があるの知ってますか。
お寿司屋さん…と言っても、我が家と同じく、くるくる回るところしか行かない人も多いから、知らない人も多いと思いますが。(笑)
正解は、あわびです。
ほんとかな〜と思う人は、今度、回らないお寿司屋さんに行ったときには、是非、「片想い!」と注文してください。
お愛想(勘定)のとき、肩の重さはとれないかも知れないけど、絶対に、お財布だけは軽くなります。(笑)
あわびは、「磯のあわびの片想い」と言って、あわびには身が片面にしかついていない、つまり、はまぐりのように、二枚貝ではないことから、片想いと言われるようになったそうです。
ちなみに、はまぐりの方は、二枚の貝が、離れてもぴったしと合うことから、婚礼祝儀の膳の吸い物などに使われます。
もっとも、結婚の祝儀袋などに付いている熨斗(のし)は、古来、あわびを乾燥させて「のした」ものだということで、あわびが必ずしも片想いで縁起が悪いということではないことを、最近、会ってないあわび君の名誉にかけて、付け加えておきます。(笑)
あれ、なんの話?グルメと、冠婚葬祭の話でしたっけ(笑)…そうそう、片想いの話でしたよね。(笑)
あの人のことなど もう忘れたいよ
だってどんなに想いを寄せても
遠く叶わぬ恋なら
恋は片想いの方がいい…そういう人がいます。
片想いであるかぎり、どんなに想いを寄せても、恋は成就しない代わりに、また、失うこともないのですから…。
でも、片想い…言葉の響きだけでも、やはり、せつない。
そして、叶わぬ恋と知りつつ、心の中のときめきと、ゆらめきは、両想いになるよりも、いっそう激しいかもしれません。
気がついた時には もう愛していた
もっと早く「さよなら…」言えたなら
こんなに辛くはなかったのに
とはいえ、片想いが憧れの範疇にある間は、それだけでも満足できます…人を愛することの喜びということですね。
しかし、悲しいことに、神さまでも仏さまでもない人が、人をただ一途に愛するだけ、ということは、至難の業です。
愛することの喜びが、愛されぬことの悲しみに変わるのは、秋の日の夕暮れのように、一瞬の時間(とき)で足ります。
知っていたのに それだけでいいはずなのに
愛を求めた片想い
愛を求めた片想い
浜田省吾さんの曲の本領は、やはりビートが効いて、しかも流れるようなロック調の曲こそ発揮されるとは思いますが、このようなバラード調の曲も、なかなか根強いファンがいるようです。
今回、ピアノとギターをメインにした構成で聴いてみると、ほんと、心に染入るようですね。
あの人のことを思い出し、過ぎた日の切なさが蘇りましたか。(笑)
まあ、染入るだけの心の若さだけは保ちましょ。ご同輩!(笑)
(初稿2000.10 改訂2001.11) |