|
みなさんは、汽車に乗った想い出がありますか。
そう、汽車、あの煙を吐いて力強く走る、蒸気機関車、SL(Steam Locomotive)に引かれる列車のことです。
通学が汽車だったから、毎日乗ってたんだけど、それをいうと、田舎者ってばれちゃうから、ここは知らん振りしとこうかしら、と思う方もおられるでしょうね。(笑)
あるいは、汽車に乗ってたなんていうと、きっとお年がばれちゃうから、ここはわざと首を傾げておこうかしら、と思う方もおられるでしょうね。(笑)
でも、安心してください。
確かに、蒸気機関車は、我が国において、1872年(明治5年)の新橋−横浜間、1874年(明治7年)の大阪−神戸間と、いにしえの鉄道開業のときから走り出しています。
しかし、全面廃止の1975年(昭和50年)までは、日本全国で、ローカル線を中心としてですが、結構、現役で走っていましたし、それからも、観光やイベントで走ってますから、乗ったことがあるといっても大丈夫です。(笑)
さて、ぼくの想い出としては、幼稚園の頃だったと思うのですが、その数年後に死に別れる父親との数少ない旅行の想い出の中に、断片的ながら蒸気機関車の夜汽車があります。
父親の膝を枕にして、シュ、シュ、シュという蒸気の音、ガタン・ゴトンというリズムのある線路の音、闇に響きわたる汽笛の音、近づき、そして遠ざかっていく踏切の警笛、それらを子守唄としての夜行列車の旅…。
ちょっと感傷的な想い出です。
そして、幼稚園から大学までずっと同級生で、今は亡き親友も、いわゆる鉄道マニアでした。
彼とは、電化され、廃止間近の関西本線を走る汽車を見に行ったり、大阪弁天町の交通科学博物館や京都の梅小路蒸気機関車館に展示された汽車を見に行った想い出があります。
これも、今となっては、ちょっと感傷的な想い出になってしまいました。
朝もやを抜けて 汽車は走る
はるかな道を 僕をのせて
ともかく、亡き父親と、今は亡き親友の影響もあったのでしょうか、病弱な身体には負担が大きいのに、旅行手段として、夜汽車、夜行列車をよく選びました。
だから、ぼくの高校から大学にかけての青春時代の旅は、ほとんどが夜行列車を利用した旅でした。
もっとも、夜行列車が好きと言っても、一晩中起きていて、真っ黒な車窓を飽きもせずに眺めているのが好き…というほど、マニアックではありません。(笑)
また、車窓に映る自分の顔をほれぼれと見つめているナルシストでもありませんでした。(笑)
夜に走るから夜行列車なのですが、やはり、夜を抜けて、明け方近くの生まれたての朝、その朝もやの中を走る列車の車窓から眺める風景がどういうわけか好きなのです。
疲れた心を いやすように
汽笛は響く 野山越えて
そんな青春時代の旅の終わりに、人の縁とは不思議なもので、出会った女性が、いまの妻であり、その実家が大阪から遠く離れた青森でした。
大阪から青森までは、日本海沿いに、いわゆるブルートレインの寝台特急「日本海」が走っており、これまでなんどか妻の実家への帰省の折には、「日本海」を利用しました。
この特急「日本海」という列車は、もともとは、1948年(昭和23年)に、大阪−青森間の夜行の急行列車として、登場しました。
その後、1950年(昭和25年)に、急行「日本海」と命名され、1968年(昭和43年)には、「日本海」は急行から特急に格上げされ、代わって同区間の急行として、その後、新潟止まりになりましたが、急行「きたぐに」が運行するようになりました。
学生時代に、なんどか計画をしながらも、結局、日程や予算面、体調などで果たせなかったのが、夜行列車・寝台特急「日本海」の旅でした。
その旅が、青春時代も終わろうとするときに、それも、第二の「ふるさと」青森行きとして実現しました…。
人の縁とは不思議なものです…。
やがて 青い空がのぞき
もうすぐ帰る 僕のふるさと
青森という地名は、青い空に、青い森、だから、青森って名付けられたんだよ、という、青森の地名の由来を、「ふるさと」で聞いたことがあります。
この由来が、ほんとに正しいのかどうか、調べてはいませんが、確かに、押しなべて、北国の空や森は、青いような気がします。
それは、たとえば、一面の雪化粧をした地表との対比によって青く感じられるからとも、あるいは雪雲に覆われた空に、つかのまに見せる晴れ間が、青く見させるからかとも、考えられます。
しかし、そんな科学的な検証はともかくとして、「ふるさ」と近くの空の青さが、なにか都会で汚れた心を洗ってくれるような気がしますから不思議です。
もっとも、田舎の「ふるさと」でずっと暮らしていたら、清浄なままなのかというと、犯罪の広域性や多様性を考えると、さほどの地域性はないようにも思います。
地域というより、人は「ふるさと」に対して、やはり特別の思い入れをがあるからこそ、居ずまいを正して接しようとする心が、そうさせるのかもしれません。
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
「一握の砂」 石川啄木
わずか26歳で夭折した望郷と漂白の天才詩人、石川啄木が歌った「ふるさと」の山は、岩手富士、南部富士とも呼ばれる岩手山です。
啄木と同じく岩手県の出身で、やはり37歳の若さで永眠した、詩人で童話作家の宮沢賢治の作品にも登場する、大きく美しい山です。
もっとも、賢治が「ふるさと」にとどまり、理想を求めたのに対して、啄木は「ふるさと」をあとにします。
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし
「一握の砂」 石川啄木
そう言いながらも、啄木は、忘れがたき「ふるさと」の訛りを求めて、東北本線の上野駅に向かいます。
ふるさとの訛りなつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
「一握の砂」 石川啄木
しかし啄木や賢治と同じ東北の青森県出身の詩人で劇作家の寺山修司は、また違った、「ふるさと」への複雑な思い入れを歌っています。
ふるさとの訛りなくせし友といて
モカ珈琲はかくまで苦し
「血と麦」 寺山修司
生まれ育った実家のそばの、「ふるさと」にいるぼくには、よく分からないのですが、望郷の念絶ちがたくして、また望郷の思いは、案外に、さまざまな葛藤や軋轢もあって複雑なのかもしれません。
わずかな荷物が 僕のすべて
まぶしい日射しが 時を笑う
旅なれた人の荷物は、少ないって言います。
必要最小限のわずかな荷物になります。
また急ぎの旅も、少ないって言います。
用意も間に合わないままに旅立つからです。
そして、「ふるさと」への旅は…。
でも「ふるさと」では、あなたが持って帰る、多くの荷物を待っているのではありません。
抱えきれないほどの、たくさんのお土産を待っているわけではありません。
「ふるさと」で待っている土産といえば…。
そう、その身ひとつ、その躰ひとつです。
そして、その元気な姿、その笑顔なのでしょう。
朝もやを抜けて 汽車は走る
みなれた景色が 窓をとびかう
総務省の調査統計によると、日本人の生涯の平均移動回数は一人3回で、居住したことのある都道府県の平均数は2都道府県を越えます。
5年の間に住所を移動した人も、3割近くあります。
青年期が高度経済成長期と重なった現在の50歳代、60歳代の方ならば、就学や就職のために、もっと移動経験が多くなっています。
そして、いつのまにか、日本は定住民族から移動民族になってしまったようです。
お盆やお正月には、駅や空港などで、相変わらずのお疲れモードの帰省ラッシュ風景が見られます。
しかし、そんなお疲れの帰郷をする人たちを、やがて、「ふるさと」の、みなれた景色が迎えてくれます。
愛したことも、憎んだことも、悲しんだことも、喜んだことも、みんな知っていて、みんな包み込んでいる、その風景、そして、それが「ふるさと」なのです。
忘れかけた 僕の笑顔
もうすぐ帰る 僕のふるさと
「ふるさと」に帰ったら、日々の暮らしで忘れかけていた優しい笑顔を取り戻してきてください。
何も言わず 何も聞かず
もうすぐ帰る 僕のふるさと
そして、その笑顔のままで、また戻ってきてください。
戻ってきた場所もまた「ふるさと」となるように…。
松山千春さん、1955年(昭和30年)12月16日生
まれ、北海道足寄郡足寄町出身、血液型O型。
かってオールナイトニッポンなどの深夜ラジオ番組で、同じく北海道出身の中島みゆきさんをゲストに迎えたりして、わきあいあいと楽しくやっていたので、ひょっとして、二人は結婚するのか…なんて、思っていたクチでした。(笑)
「帰郷」、もちろん、故郷へ帰ることですが、松山千春さんのふるさと、足寄町には、旧国鉄特定地方交通線の池北線(ちほくせん)を引き継いだ路線、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が通っており、いまも非電化区間のため、ディーゼル機関車が走っています。
曲のイントロに、そんな機関車の汽笛を意識した音を使ってみましたが、そのように聞こえましたか。
松山千春さんに、ふるさとのことを歌わせたら、やはりさすがだなって思います。
それだけ、ふるさとに対する思い入れや、愛着が人一倍強いのでしょう。
しかし、郷土意識は、我が国において土着利権型政治と結びつきやすく、利用されやすいので、あまり政治の分野と関わって欲しくないと思うばかりです。
この曲は、「空を飛ぶ鳥のように野を駈ける風のように」という、やたらと長〜〜〜いタイトルのアルバムに収録されています。(笑)
もちろん「空を飛ぶ鳥のように野を駈ける風のように」という長〜〜〜いタイトルの曲も、「空を飛ぶ鳥のように野を駈ける風のように」のアルバムに収録されていますが、「空を飛ぶ鳥のように野を駈ける風のように」の曲も、歌詞はリフレインを除けば、やはり、千春さんの髪の毛と同じように短いのです。(笑)
(初稿2004.12 未改訂) |