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「きみの朝」―岸田智史

   横たわるきみの顔に
   朝の光が射している
   過去の重さを洗おうとして
   たどりついた深い眠りよ

人間には、24時間を周期として、睡眠や体温、臓器の活動などのリズムを刻んでいる「体内時計」があると言われています。

そして、この時計は、通常は、通勤や通学、あるいは家事、育児などで、朝に定期的に日光を浴びることなどで、自然に調整されているとのことです。

こう考えれば、体内時計は、電池交換も、時刻あわせも不用のソーラー(太陽光発電)式の電波時計みたいなものといえるかも知れません。
とっても、リーズナブルな時計ですね。
もっとも、ネットショッピングやネットオークションで探しても、売ってはいませんが。(笑)

しかし、そんな体内時計も、やはり不規則な生活が続いたり、無理を続けたりすると、狂い始めます。
そして、その狂いにより、不眠症になったり、逆につねに眠い感じがする睡眠障害が起きたりします。

また、そんな睡眠状態を原因として、慢性的な疲労感や倦怠感、思考力や活動意欲の低下、うつ的な精神症状をもたらすといわれています。

したがって、このような場合には、意識的に朝の光を浴びるような活動をするか、それが無理なら、医療機関で人工的な光を浴びるなどして、「体内時計」のリズムを補正すると、改善されるとされています。

ところで、インターネットの中の世界を見渡してみると、ときに睡眠障害や、うつ的な症状に悩んでおられる方が、意外に多いのに驚かされます。

ウェブ上の日記や掲示板などで、眠れない…、落ち込んでいる…、憂鬱になってる、死にたい…、などなどの暗い書き込みを見られた方も多いでしょう。

もちろん、ただ単に、ネット上で、人の気を引くがための書き込みをされている方も多いのですが、実際、深刻な状態の方もおられるようです。

その原因は千差万別でしょう。
複雑な事情や要因がからまっていて、部外者の他人が、とやかくとはいえないことが多いものです。

でも、それはともかくとして、眠れないからといって、インターネットの世界を、夜通し徘徊し続けて、あるいは、所在なげに、ひがな一日中ディスプレイ画面の光しか浴びないような生活をしていては、狂った体内時計は、ますます狂ってしまうことになります。
これでは、症状を重篤化させるだけになります。

こんな場合は、いちどパソコンから離れてみて、そして、インターネットの世界から離れてみて、外に出て、緑の風の中を、日光浴でもしながら、狂った体内時計の補正を試みるのが必要でしょう。

まあ、もちろんこれは、自分への自戒を込めての言葉なんですがね。(笑)

さあ、ともかく全身に、朝の光を浴びて、過去の呪縛から解放されて、深い眠りから、目覚めてください。

   別れようとする魂と
   出会おうとする魂と
   ああ 心より体のほうが
   確かめられるというのか

会うは別れのはじめなりといいます。
出会いは偶然…、そして別れは必然…。

     この日がいつか 来る事なんか
     二人が出会った時に 知っていたはず
                       「旅立ち」―松山千春

     別れはいつもついてくる
     幸せのうしろをついてくる
                       「わかれうた」―中島みゆき

だからといって、そんな別れをはじめから怖れて、出会うことに、臆病になってしまう人がいます。
人と人との交流を持たずに、引きこもってしまうというのも、せっかく人として生まれてきた身にしては、また寂し過ぎますが、もっとも…。

     心も体も開きあい
     そこからはじまるものがある
     それを愛とは言わないけれど
     それを愛とは言えないけれど
                       「秋止符」―アリス

人は、思春期から青春時代の一時期にかけて、きわめて純粋に精神的な恋愛、いわゆるプラトニックな恋愛が、唯一、至上のものとする傾向にあり、心を求めるのは純粋であって、体を求めるのは不純であると考えるものです。
まあ、もっとも、まったく、はなっから考えない人も、いることはいるようですがね。(笑)

そして、そんなストイック(禁欲的)な恋愛は、ときとしては、健全な身体的発育を遂げた男女の間では、自虐的なまでの煩悶を生じさせることにもなります。

それがまた青春時代のあかし、ほろ苦く淡い思い出につながるものなんですが…。

しかし、たとえば禁欲的とされる仏教の世界においても、心と体のことを、色心と名付けて、「色心不二(しきしんふに)」と説きます。

色心不二とは、色心、この二つが互いに関連しあい、二つに分けることが出来ないという意味であり、心と体が、決して、別々にあるものではなく、一体としてあるということを説いてます。

いえ、なにも、皆様におかれましては、すっかりと縁遠くなった恋愛沙汰の色っぽい話に限らなくとも、病は気からという言葉を、色心不二の例として考えていただいても、ええ、結構でございますとも。(笑)

   急ぎ足ふととめて
   ふりかえれば夕焼けが
   この先いくら生きて行くのか
   こんな暮らし仮の姿と

輪廻転生を説く仏教では、過去世、現世、来世の三世にわたり、永遠に続く生命の連続性を説きます。
来世があるとすれば、現世は来世のための仮の姿の所業であると言えます。

不細工に生まれても、男に捨てられても、受験に失敗しても、会社から見捨てられても、妻子に逃げられても、それは現世の仮の姿と…。
そう考えられば…。

でも、ときはたそがれ、急ぎ足をとめて見上げれば、夕焼け小焼けで日が暮れようとするその刹那が、ほんま、せつな、いなぁ。(笑)

   生まれようとする魂と
   老いぼれてゆく魂と
   ああ 人間のはしくれに
   生まれてきたというのに

生まれて、老いてゆき、病にたおれて、死ぬ…。
それが生きとし生けるものの中で、人として生まれたすべての衆生に共通の輪廻転生の業といえるのかもしれません。

もっとも、仏教では必ずしも人間が、人間に生まれ変わっていくことを、約束はしていません。

むしろ、人間のはしくれとして、人身(にんじん)として生まれることが、稀有な宿縁であると説きます。
そして、人間であるからこそ、現世において、善根を積む修行をして、来世の安穏を誓願できるのだと。

仏教の始祖である釈尊の出家の機縁は、人の世にある、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみ、いわゆる、人間の幸不幸を決定付ける「生」「老」「病」「死」の問題に対してどうあるべきかに、真摯に直面したからだとされています。

この「生」「老」「病」「死」の四つの苦しみを四苦といい、「怨憎会苦(おんぞうえく)」、「愛別離苦(あいべつりく)、」「求不得苦(ぐふとっく)」、「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の四苦を加えると、八苦になり、いわゆる四苦八苦の語源になります。

これを長々と説明しますと…、音楽館館長から音楽寺管長になって法話をすることになりますから、頭が自然坊主頭になるまで、やめときましょか。(笑)

   群衆をのみこんだ
   都会の悲しみの渦の中に
   コーヒー一杯分のやさしさを
   そそぎこむぼくの唄よ

…ということで、やはり朝はコーヒーからですね。(笑)

モーニングコーヒーを飲みながら、青春音楽館で、モーニングミュージックを楽しむ、ということがいちばんいいですね。(笑)

…と、言っても、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)からの許諾は受けても、社団法人全日本コーヒー協会からは、まだ許諾を受けてませんが。(笑)

独身の頃、通勤経路の途上にある喫茶店に寄って、定番のトーストとゆで卵が付いたモーニングコーヒーを飲むのが習慣となっていました。

その行きつけの喫茶店で、モーニング〜♪、モーニング〜♪…って、いつも朝っぱらから節をつけて、まだ眠そうなウェートレスのお姉ちゃん相手に注文するバーコード頭のオジサンが必ずいました。(笑)

まあ、そのお姉ちゃんも、そのオジサンに、コーヒー一杯分くらいの愛想笑いは、お義理にも返していた古き良き時代の話です。(笑)

いまや都会は、タリーズコーヒーやスターバッグスコーヒーなどの外資系コーヒーショップが全盛となり、喫茶店のファーストフード店化進んでいます。

スポーツ新聞片手に、オジサンたちが、ダジャレを言ってくつろげるような居場所もなくなりつつあり、オジサンたちは、黙々と都会の片隅のベンチで缶コーヒーを飲んでいるようです。(笑)

   かわろうとする魂と
   よどんでしまう魂と
   ああ 体じゅう輝きながら
   旅立ってゆけ朝に

そう…、明けない夜はない。

いや、むしろ闇が深ければ、深いほどに、夜明けもまた、近いともいいます。

ほら、地平線のかなたが、ほのかに明るくなってきたのが、あなたには見えませんか。

そして、陽はまた昇り、輝く朝がやってきます…。
さあ…、旅立ちの朝に…。

…と、こういう終わりかたをするのが、いつもの、青春音楽館のエッセイパターンですね。(笑)

でも、少し、マスター(館長)も少し飽きてきましたので、今回は特別にパターンを変えましょうか。(笑)
もっとも、これを、蛇足とも言いますが。(笑)

そうですね、年をとると、ほんま、説教臭くなって、しつこく、理屈っぽくなって、あかんのですけど、やはり法話の続きになりますかね。(笑)

インドのヒマラヤという高い山に、一生、巣を作らない鳥がいました。
この鳥は、夜になると、凍えるような寒さに苦しめられて、夜が明けて、朝になったら、今度こそ、巣を作ろう、巣を作ろうと、夜を通して震えて鳴きます。

しかし、朝になって、陽がまた昇ると、ぽかぽかと暖かくなって、寒さに凍えたことも忘れて、巣を作るのも馬鹿らしくなって、昼寝をしたりします。
そして、陽が沈み、また、寒さに苦しむと、明日こそ、巣を作ろう、巣を作ろうと、鳴くことになります。

ご存知の方も多いでしょうが、雪山の寒苦鳥(せっせんのかんくちょう)という、仏教説話です。

決意してもすぐに忘れてしまい、目の前のつかのまの幸せに甘えて、修行を怠りがちな凡夫に対する仏の戒めの比喩として使われます。

もっとも、文字通り、四苦八苦して、人間のあらゆる苦しみを受けてきた者に対して、そのとき苦しんだときのことを忘れずにいなさい、というのも、度し難き衆生にとっては、酷であるような気がします。

      寒さに震えたものほど
      太陽の暖かさを感じる
      人生の悩みをくぐったものほど
      生命の尊さを知 る
ホイットマン(アメリカの詩人)

この言葉は好きで、確かに真理だと思います。

でも、それこそ、震えるほどの寒さ、かかえきれぬ人生の悩みに四苦八苦した記憶は、それから逃れたあとにも、心の奥底に深く残るものです。

下手をすれば、外傷(トラウマ=trauma)となり、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder=外傷後ストレス障害)となって、さらに甚大な症状を引き起こす場合もあります。
だから、一概に苦しかったときのことを忘れるなとは、いえないような気がします。

でも、それを承知の上で、付け加えれば…。

これまでどおりに、よどみの中で、よどんだ魂のままでいれば、確かに楽であり、安らぎも得られるでしょう。
そして、癒されることも、また多いでしょう。

住めば都の言葉どおり、たとえ、そこが狭くて暗い小さな世界であったとしても、自分の体温、体臭に近しい場所は、かけがえのない安息できる癒しの場所であるはずです。

     しあわせは
         いつも じぶんのこころがきめる
                                相田みつを

そう、確かに自分の心が決めればいいこと。
ひとがなんと言おうと、自分で決めればいいこと。
ひとがどう見て、どう言おうが、しあわせのかたちくらい、自分で決めたいものです。
確かに、この言葉も真理です。

でも、それは、ほんとうに、心のそこから揺るぎなく満足しつづけることができるときにかぎります。
心にほんのわずかでも、こだわり、わだかまりがあれば、風にそよぐ葦のよう、揺らいでしまいます。

ごまかしきれないのもじぶんのこころです。

新しい流れができたとき、そんな魂はもはや安息を与えられずに、変革することが求められます。

かわろうとしなければ流されていきます。
流されてしまうのがいいのか、それに抗う(あらがう)のがいいのか、それを決めるのも自分です。

その魂の変革の嵐のなかで、いかに、自分らしさを見失わずに、生きていけるのか。

混沌としたなかに閉塞感のある現在です。
そのことをつねに問いかけていくことが、いま、いちばん必要とされるのではないでしょうか。

さあ、いよいよ朝が来ました…。

   モーニング モーニング きみの朝だよ
   モーニング モーニング きみの朝だよ


岸田智史さん、昭和28年岡山県真庭郡落合町に生まれ、京都教育大教育学部体育学科卒。
1976年(昭和51年)に、「蒼い旅」でデビューしましたが、やや受けで終わり、ヒットしたのは、新人歌手役で出演したTBS系TVドラマ「愛と喝采と」の挿入歌だったこの「きみの朝」です。

「金八先生」の後を受けたドラマ「1年B組新八先生」でも、新田八郎太役でも出演しました。
平成12年(2000年)に、岸田智史さんから岸田敏志さんに改名されていますが、ここでの表記は当時のままにしました。

知る人ぞ知る、知らない人はやはり知らないデビュー曲のかなり暗いですが、谷村新司さん作詞の名曲「蒼い旅」の歌詞を掲載しておきます。


蒼い旅

作詞:谷村 新司
作曲:岸田 智史

寒空に消えてゆく 群れた冬鳥
おまえには解るまい
一人の淋しさを
生きたくて生きてきたわけじゃないのに
死ねなくて生きてきた
ただそれだけなのに

疲れ果てて傷ついた青春の証拠は
目には見えない心の蒼あざ

帰りつくあてのあるつらい旅なら
歩けないこの足をひきずりもしように
戻ることも許されず落ちてゆく時には
海の蒼さに染まってゆきたい

絶え間無く 寄せる波 消える足跡
死ねなくて生きてきた
ただそれだけなのに

(初稿2004.3 未改訂)


きみの朝

作詞 岡本おさみ
作曲 岸田 智史

横たわるきみの顔に
朝の光が射している
過去の重さを洗おうとして
たどりついた深い眠りよ
別れようとする魂と
出会おうとする魂と
ああ 心より体のほうが
確かめられるというのか
モーニング モーニング きみの朝だよ
モーニング モーニング きみの朝だよ

急ぎ足ふととめて
ふりかえれば夕焼けが
この先いくら生きて行くのか
こんな暮らし仮の姿と
生まれようとする魂と
老いぼれてゆく魂と
ああ 人間のはしくれに
生まれてきたというのに
モーニング モーニング きみの朝だよ
モーニング モーニング きみの朝だよ

群衆をのみこんだ
都会の悲しみの渦の中に
コーヒー一杯分のやさしさを
そそぎこむぼくの唄よ
かわろうとする魂と
よどんでしまう魂と
ああ 体じゅう輝きながら
旅立ってゆけ朝に
モーニング モーニング きみの朝だよ
モーニング モーニング きみの朝だよ
モーニング モーニング きみの朝だよ
モーニング モーニング きみの朝だよ

1979年(昭和54年)
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