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「北国列車」―風

夜行列車がなぜか好きでした。
早くして死に別れた父親との数少ない旅行の思い出が、夜行列車の旅だったからでしょうか。

父親の膝を枕にして、ガタン・ゴトンというリズムのある線路の音、闇に響きわたる汽笛の音、近づき、そして遠ざかっていく踏切の警笛、それらを子守唄としての夜行列車の旅…。

いや、そんな感傷的なものではなくて、少年時代の後期から思春期にかけて、深夜ラジオにはまって、夜行性動物になっていたからかもしれません。(笑)

青春時代に入り、高校の夏休み、はじめて親友との二人で旅するときに選んだのも夜行列車でした。

もっとも、一泊の宿代を浮かして、早朝から小さな半島にある「岬めぐり」を体験してみたいという、単にミーハーのエコノミーな動機からでしたが。(笑)

しかし、これがのちに大きな影響を与えます。
偶然の風の中で出会った妻の実家が青森でした。
大阪から青森までは、いわゆるブルートレインの寝台特急「日本海」で、14時間余りかかります。

でも、夜行列車好きにとっては、この長旅も楽しみであり、ぜんぜん苦痛にならなかったのです。
しかも、日本海沿いを、北国へ向かう夜行列車…うん、シナリオとしては、出来すぎやったかも。(笑)

   僕が君を追いかけてる
   夢から目覚めた時は
   汽車は夜を走り続け
   朝の駅に着いたところ

夢は潜在意識の現れと言われます。
つまり夢は、わたしたちの心の奥底にあるものが、睡眠中に 映像化されたものであるとされてます。

したがって「僕が君を追いかけている夢」というのは、彼の深層心理の中では、いまだ「君」という彼女への想いが絶ちがたいゆえに、睡眠中の映像化された中で、追いかけているということになります。

夢の中の行為ですから、決して、平成12年11月に施行された「ストーカー行為などの規制などに関する法律」に規定される、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、つきまとい等を行った…という罰条の構成要件に該当するわけではありません。

でも、なんか、法律の文言の方が、かなり、つきまとい行為っぽいかもしれませんね。(笑)

もっとも、夢で追いかけているというのは、逆に言えば、現実では追いかけられなかった…、だから、夢で追いかけた、ということになるのかも知れません。

サイモン&ガーファンクルの数々の名曲に彩られた往年の名画「卒業」のダスティン・ホフマンのように、別れた恋人の教会での挙式の日に、花嫁姿の恋人を抱きかかえて奪い去りたい…という思いに駆られながらも、やはり出来なかった…という、よくあるTVドラマのフラッシュバックのワンシーンを重ね合わせて見ることができるのかも知れません。

   僕の他には あと少しの人を降ろしただけで
   汽車はすぐに まだ暗い朝に 消えて行った

薄暗くなっていく、夕暮れ時は、「たそがれ」どきとも言いますが、夕暮れ時はさびしそう…。
べつに、N.S.Pの天野さんでなくても、誰でも夕暮れ時は、さびしそうに感じますよね。(笑)

語源は、「た」+「そ」+「かれ」で、「誰、彼は?」、つまり、明るく輝いてた日が落ち、暮れかかって、薄暗くなって、誰だか良く分からないようになるからです。

孤独を感じるからでしょうか。

この夕暮れ「たそがれ」どきに対して、「かわたれ」どき、と言う一日の一刻があります。

語源は、「か」+「わ」+「たれ」、「彼は、誰?」という意味で、まだ日が昇りきらない前で、やはり薄暗くて、誰だか良く分からないからです。

やはり、孤独を感じるからでしょうか。

そして、この「かわたれ」どきが、悲しいと歌ったのは、やはり、同じく正やん、こと、伊勢正三さんです。

   夜明けの海が悲しいことを
   あなたから教えられた海岸通
                            「海岸通」―風

もっとも、ぼくも青春時代に、夜明け前が、悲しいことに、気がつきました。
ひょっとして、伊勢さんとぼくは、同じ感性をしていたのかも知れません…。(^^ゞ

そう…、あれは高校時代に、友人と夜行列車で、朝まだ明けやらぬ駅に着いたときに…。
とても、悲しくなったことを、今でも覚えています…。

楽しみにしてた名物の駅の立ち食いそば屋が、余りに早朝のために、まだ開いてなかったのです。(笑)

だって、色気より食い気の高校生の頃でしたから…でも、空腹で、空腹で…ほんとに、悲しかったもんなぁ〜あの日の夜明け前は…。(笑)

ともあれ、白い冬…。
夜の明けきらない薄暗い朝まだきの駅。

凛然とした冷気の中で、吐く息の白さだけが、生きていることを実感させるような、人影もまばらな駅。
そこに降り立ち、見送る汽車。
テールランプの明かりを残して、まるで駅から、逃げ去るように遠ざかっていく汽車。

やはり、悲しいものです。

   おもいきり背伸びをした 薄暗い空に
   君の星座がまだ光ってる

ぼくは6月生まれのかに座です。
…って、誰も聞いてないか。(笑)
かに座の男性は、うお座の女性と、相性が良いようです。
…って、誰も聞いてないか。(笑)
そして、妻はうお座です。
…って、さらに、誰も聞いてないか。(笑)

そして、誰もいなくなった。(笑)

ところで、この雪の降る季節に「君の星座」が見えるということは、冬の星座である、おうし座か、ふたご座が見えたことになります。
そうすると、彼女は4月下旬から6月中旬生まれとなりますが、それが、どうしたと言われたら、どうもしないと答えるしかないのです。(笑)

一般的に女性は占い好きですよね。
とくに誕生日を知るだけで占える星座占いは、手軽なのか、相性や運勢の話題によく上ります。
まあ、ぼくも、星座占いを座興としては話しますが、正座して聞くほどのものではないと思ってます。(笑)

だって、人を誕生日だけで12区分して、ああだ、こうだなんて、とても言えないことだと思います。
まあ、血液型の4区分で、ああだ、こうだというよりは、ましかも知れませんがね。(笑)

さらに、星座占いも、12星座占いから、へびつかい座を加えた13星座占い、さらに、くじら座を含めて、14星座占いまで登場していて、誕生日の星座がずれてきていますから、当てにしてはいけません。

いつも思うことなんですが、占いは、悪い結果になったときの言訳に使えばいいと思います。
うまくいかなかったことを、今さら、どうしようもない容姿や性格などのせいにするのでなく、星座のせいにしてしまえばいいのです。(笑)
悪い星のもとに生まれたせいにすればいいのです。

あんたは悪うない、悪いのはあの星や。(笑)

どんな冬の夜空の静寂の中であっても、星から、わしは悪うないで〜、悪いのはあんたやろが〜、ってクレームを聞くことは、まず、ありませんから。(笑)

もっとも、星のせいにするのは良いんですが、巨人の星に生まれた人は、注意してくださいね。
飛雄馬くんに大リーグボールを投げられても、一徹氏にちゃぶ台をひっくりかえされても、館長は責任、ようとりませんからね。(笑)

   君の生まれたあの星が
   こんなにきれいに輝いて
   君と暮らした東京では
   見たことなかったけれど

最近、冬になると、クリスマスツリーのように木々に電飾をつけたり、ピルの壁面に小さなたくさんの電灯をともしたりするイルミネーションが流行ってますね。

さきがけとなった、神戸のルミナリエは、同じく関西に住むものとして、阪神大震災の犠牲者鎮魂と復興への希望を光に託したものと理解はしてますが…。

しかし、それにしても、あちらこちらの冬の街が、あんなに光り輝いていては、冬の星座、星たちが、ますます都会から遠ざかるような気がします。

都会の冬の寒空に、星の輝き、瞬きがまったく見れなくなっていくのは、もっと寒々とした風景になるということを、すこしは心にとめてほしい気がします。

   君を忘れるため 長い旅に出て
   旅の終わりに この街を選んだ

感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー−Sentimental Journey)という言葉があります。
感傷旅行にはいろいろとあると思いますが、この曲で歌われているように、人と別れ、失恋したときの痛手を癒すために、ということが多いようです。

しかし、実際には、その人、その恋を忘れるためには、長い旅に出るよりも、想い出の旅に出るよりも、手っ取り早くは、新しい出会いが必要でしょうね。(笑)

こんなことを(笑)として書いたら、なんといい加減な館長、ロマンティック・マスターのイメージにそぐわないと、顰蹙(ひんしゅく)を買いそうなんですが、経験則的な事実としては、うなづく方も多いと思います。

   去年の今頃 汽車にのり
   二人で旅した北国の
   あの雪の白さが何故か忘れられずに

もっとも、ひとつの区切りとしての旅なら、こんな長い旅、想い出の旅も、決して悪くありません。
少なくとも、部屋の中で、写真や手紙を眺めては、暗い顔して、ためいきをついているよりは、格段にいいですね。

はじめは惜別の情に流されて、感傷的になり、後悔の念が沸々としてきて、見るものすべてが悲しくなりますが、旅の終わりの頃には、自分を振り返る旅に、いつしかなっていることも多いのです。

あのときの君に逢うには、やはり、あのときの僕にしか、逢えないのだということに気がつきます。
同じ白い季節であるはずなのに、違う季節であることを、めぐる季節に降る雪の白さの中で、やがて気がつくはずです。

そうして、新しい人や恋に出会わなくても、これをきっかけにして、新しい自分に出会えるとしたら、また、こんな旅もいいのかもしれません…。



この曲は、「かぐや姫」が1975年(昭和50年)に解散したあとに、伊勢正三さんと「猫」にいた大久保一久さんとで、「風」というデュオを結成して、「22才の別れ」などをヒットさせたあと、そのセカンドアルバム「時は流れて…」に収録されています。
このアルバムでは、「あの唄はもう唄わないのですか」が、もっともヒットした曲と思いますが、この「北国列車」も、「風」らしい名曲のひとつだと思います。

(初稿2003.12 未改訂)


北国列車

作詞/作曲 伊勢正三

僕が君を追いかけてる
夢から目覚めた時は
汽車は夜を走り続け
朝の駅に着いたところ
君を忘れるため 長い旅に出て
旅の終わりに この街を選んだ
去年の今頃 汽車にのり
二人で旅した北国の
あの雪の白さが何故か 忘れられずに
ルルル・・・

僕の他には あと少しの人を降ろしただけで
汽車はすぐに まだ暗い朝に 消えて行った
おもいきり背伸びをした 薄暗い空に
君の星座がまだ光ってる
君の生まれたあの星が
こんなにきれいに輝いて
君と暮らした東京では
見たことなかったけれど

君を忘れるため 長い旅に出て
旅の終わりに この街を選んだ
去年の今頃 汽車にのり
二人で旅した北国の
あの雪の白さが何故か忘れられずに

1975年(昭和50年)
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