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何一つ出来ずに さまよい歩く心を
木枯しは吹き荒れ あざ笑うように
凍えてはいけない 涙してはいけない
ましてここまできて 倒れてはいけない
こがらしと読む「凩」という字があり、「几」の中に「木」が入ります。
「几」は、部首としては、きにょう、つくえきにょうとも言いますが、一般的には、かぜかんむり、あるいは、かぜがまえとも言い、もちろん、かぜは「風」のかぜです。
風にゆかりのある字としては、たこ揚げのたこ「凧」や、あるいは夕凪のなぎ「凪」、そしてこがらしの「凩」の字が思い浮かべると思いますが、風に布巾や巾着の布を意味する「巾」を入れて凧、風が「止」まると書いてなぎ、そして「木」を枯らすような風だから凩というのが字の成り立ちです。
これらは、中国で作られた文字、いわゆる漢字ではないため、国字とも言われています。
では、中国では、凩という字がないのなら、中国語で凩はどう表すのでしょうか。
中国語への翻訳ソフトを使うと、凩は、「寒風」、「秋風」に変換されました。
ここで変換された風という字は、正確には、中国では簡体字を使っているため、風は、「几」の中に「メ」入れたような字で表記されましたが、いずれにしろ、「凩」は、単なる「寒風」や「秋風」とは、ニュアンスが異なりますから、やはりこれは日中の文化の違いなのでしょうか。
ともかく、大袈裟に日本文化と言っても、今は「凩」は和歌や俳句、小説などの文学に使われる例は見られるものの、日常的には、木枯し(こがらし)と書くことが多いような気がします。
すなわち、木枯しとは、晩秋から初冬にかけて吹く冷たい風のことですが、色づいた木々を、さらに吹き枯らすような強い風のことを意味しますから、言いえて妙な言葉です。
気象学的には、10月半ばから11月末にかけて、日本の太平洋側地域において、冬型の西高東低の気圧配置になったとき、北寄りの風で、秒速8メートル以上の風を木枯しと呼ぶそうです。
なお、ニュースや天気予報でよく耳にする、木枯し1号というのは、その年の秋以降に、最初に吹く木枯しのことですが、木枯しが太平洋側で吹く風であるために、関東地方(東京管区気象台)と近畿地方(大阪管区気象台)のみ、最初の木枯しを、木枯し1号が吹いたと発表されるだけで、札幌や仙台、福岡の他の管区気象台では発表されていないそうです。
北海道や東北はそもそもが冷涼な気候風土の土地柄ですし、福岡は日本海側にある土地柄なために、もちろん冷たい風は吹いても、気象の定義では、木枯しではないことになります。
とはいえ、晩秋から初冬の木々を枯らして吹きすさぶ冷たい風は、体感として感じる、あるいは感性として感じるものとして、やはり日本全国いずこであっても、木枯しなんでしょうね。
愛した人もいた 恨み憎んだ人も
それさえも今では 懐かしく思う
忘れたりはしない 思い出は友達
白い息吹きかけ 暖めてあげる
そんな季節の変わり目に吹く木枯しに、時の移ろいを感じるのも日本人の感性でしょうか。
紅葉のように燃え上がる諦め切れぬ想いや、枝にしがみつく枯葉のような一途な断ち切れぬ想いは、
心変わりは人の世の常とは分かっていても、割り切れない想いが残るようです。
恨みつらみも持ち合わせている、神や仏ではない、人ゆえの苦しみでしょう。
しかし、それすら、木枯しは吹き飛ばしてくれそうです。
そして、木枯しが、木々を枯らして、色づいた枯葉たちを吹き飛ばすからこそ、次に来る春に、葉や花となる、葉芽や花芽が出てくることもできるのです。
ポ−ル・ヴェルレーヌが詠んだ、ヴィオロンのため息に舞うような秋の日の枯葉たちの輪舞曲よりも、我が祖国日本の風土には、手風琴(アコーディオン)の響きを含んだ木枯しの調べが似合うのかもしれません。
そんな調べが奏でられる中で、すべては思い出の中に。
吹きかけて、暖めても、すべては白い霧に包まれた思い出の中に。
過ぎて行く者達に しがみつくこともなく
残された空しさにうずもれて
生きてゆくそのうち いい事もあるはず
木枯しに抱かれて 今宵また眠る
生きてゆくそのうち、いい事もあるはず。
禍福は糾える縄の如し、人間万事塞翁が馬、沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり。
過ぎて行った者たちから、託された大切な言葉。
生きてゆくそのうち、いい事もあるはず。
木枯しに抱かれて、今宵また眠りましょう。 生きてゆくそのうち、いい事もあるはず。
明日のために眠りましょう。
そう…、風邪引かないように、温かくしてね…。
松山千春さん、1955年(昭和30年)12月16日、北海道足寄郡足寄町出身、「旅立ち」でデビューし、「時のいたずら」でヒットして、「季節の中で」でその名を不動のものにしました。
この「木枯しに抱かれて」という曲は、1980年(昭和55年)にリリースされた松山千春さんの6枚目のアルバム「木枯しに抱かれて」に収録されています。
このアルバムも大ヒットしましたが、タイトル曲になったこの曲は、やはり地味なためなのか、さほど巷で流れることもなく、松山千春さんファン以外はあまり知られていないかもしれません。
いわゆる松山千春さんらしい、高音部への駆け上がりや長音部の伸びもあまりなく、全体的に平板なメロディラインで、淡々とした印象であり、しかも、四分の三拍子のいわゆるニューミュージックではヒットしにくいといわれているワルツ調であったためかもしれません。
しかし、この曲を、目を閉じて聞いてもらえれば、そのメロディとリズムが、幽かに身体を揺らしながら、そう、生きていくゆくそのうち、いい事もあるはずと、歌詞が心の琴線に静かに共鳴していくことに気がつくことでしょう。
やはり松山千春さんならではの名曲のひとつだと思います。
(初稿2013.11 未改訂)
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