|
このまえ、手紙を書いたのいつでしたか。
最近、手紙を出した憶えはありますか。
電話やメールはするけど、手紙はね…(^^ゞ、という方が、圧倒的に多いのではないでしょうか。
もっとも、情報技術(IT=Information Technology)の進展、普及に伴って、ライフスタイルも大きく変容した昨今、それが時代の流れですね…って、ひとことで言えば、それまでなんですけどね。
さみしさのつれづれに
手紙をしたためています あなたに
つれづれに…。
この言葉で、誰もが連想する有名な古文。
つれづれなるままに
日ぐらし すずりにむかひて
こころにうつりゆく よしなしごとを
そこはかとなく 書きつくれば
あやしうこそ ものぐるほしけれ
吉田兼好 『徒然草』
つれづれなるままに手紙を認める(したためる)…そんな美しく綺麗な日本語も、やがて忘れ去られていくのでしょうか。
そこはかとなく、なにか、さみしさを感じます。
黒いインクが きれいでしょう
青いびんせんが 悲しいでしょう
筆不精なんて言葉があります。
手紙や文章を書くために、筆を持つことを面倒がること、またその人のことを言います。
もちろん、硯で墨を磨り、毛筆で文(ふみ)をしたためるような時代はもちろんのこと、また、ガラスのインク瓶にペン先をつけながら、カリカリと、刻みつけるように書くような時代も、よく知りません。
でも、ぼくは幸いなことに、カートリッジ式インクの万年筆を使って、便せんで手紙を書いた記憶は持っています。
真新しい便せんとインクの匂い…。
そういう意味では、筆まめだったのかもしれません。
もっとも、筆まめでしたが、フォークギターでマメは作っても、ペンでマメは作りませんでした。
あれ?、ペンで作るのはマメでなく、タコ…(:。)彡やったかな。(笑)
まっ、どっちみち、ペンダコを作っても、たこ焼きには使えませんから、どっちでもいいです。(笑)
中学の入学祝いに買ってもらったパーカーの万年筆。
あんなに大切にして、大事に使っていたのに、いつのまにか、無くしてしまいました。
使っていたインクは黒いインクではなくて、やや心もち青みがかった、ブルーブラックインク。
そして、しなやかながら、やや厚手の紙質で、横に罫線が入った、淡い青い色の便せんで書く手紙。
そんなこだわりで…、…で、誰に出したのかって?
あはっ、(^_^ゞ−☆ 忘れたことにしましょう。(笑)
そして、手漉き和紙の渋みのある便せんや、キャラクター入りの可愛い便せんで書かれた手紙。
そんな返事をもらうのも嬉しいですよね…、…で、誰にもらったのかって?
あはっ、(^_^ゞ−☆ 忘れたことにしましょう。(笑)
あなたの笑い顔を
不思議なことに
今日は覚えていました
十九になった お祝いに
作った歌も忘れたのに
でも、忘れたことにしましょう、というのは、裏返して言えば、まだ覚えている、ということでしょうね…。
そして、ときとして、絶対に忘れるはずもないと思ったことを意外に忘れてしまうことがある反面、また、なんで、こんなことを、いまだに覚えているのかと、不思議に思うこともあります。
記憶というのは、不思議なもので、強烈な印象を与えたものが、必ずしもいつまでも記憶にとどまっているわけでもなく、逆に印象の薄いものが、なぜか長く記憶にとどまっている場合もあります。
そして、その記憶の再生が、ある日、あるとき、思いがけないときに、ふとよみがえるのです。
いつまでも覚えておきたいと思った笑顔の代わりに、思い出せば身を切るように辛くなるような、泣き顔しか思い出せない…。
君のためにと作ったメロディーが、行き先を見失って五線譜からつぎつぎと飛び去っていく…、タイトルだけを形見に残して…。
そんな遠い記憶の中に住んでいる想い出たち。
でも、こんな厄介な想い出たちだからこそ、美しく、哀しく、また、せつないのでしょうね。
遠くで暮すことが
二人に良くないのはわかっていました
恋愛関係の構成要素のひとつに、親和欲求というのがあります。
つまりは、一緒にいたい、という欲求です。
そして、逆に言えば、一緒にいたい、というこの欲求が満たされないことが、長く続くと、恋愛関係も次第に崩れてしまうことを意味します。
遠く離れてしまえば
愛は終わるといった チューリップ「心の旅」
遠くで想うてくれても
近くの誰かの氷まくらで
熱のやつ下がりよる 山崎ハコ「ごめんしてね」
もっとも、遠距離恋愛という言葉もあるとおり、物理的な距離は遠く離れ、遠くで暮らすようなことがあっても、心理的な距離が離れていなくて、いつも近くに感じ続けていれば、恋愛関係の持続も可能です。
逆に、物理的な距離は近くにいても、いや、一緒に暮らしていたとしても、心理的な距離が遠く離れていけば、もはやそこには、恋愛関係は失われているのです。
しかし、物理的な距離は、交通手段の高速化が進んだとしても、容易には縮まりはしませんが、心理的な距離は、互いの努力や工夫によっては縮めていくことは可能なのです。
もっとも、それが難しいのは言うまでもありません。
くもりガラスの 外は雨
私の気持ちは 書けません
ラブレター(love letter)…、素直に恋心の想いを書き綴り、相手にその想いを伝える手紙…。
万葉の時代から相聞歌(そうもんか)のやりとりをした伝統のある我が国では、ラブレターのことを、恋文(こいぶみ)とも言いますが、さらにたどれば懸想文(けそうぶみ)とも言いました。
文字どおり、想いを懸ける文で、それを、神社などの梅の枝に懸けて、願掛けをしました。
相手に直接渡したり、下駄箱の中に入れるなんて、もってのほかの時代だったのでしょうね。(笑)
ところで、その懸想文が売られています。
カブラのような丸い形の聖護院大根(しょうごいんだいこん)や、ニッキ(肉桂=シナモン)味のする京菓子の聖護院八つ橋などで有名な聖護院を東に入った所にある須賀神社では、2月3日の節分の日に懸想文を売っています。
懸想文を売っているのは、覆面をして、水干(すいかん)と呼ばれる赤い装束に、烏帽子(えぼし)をかぶった懸想文売り。
もっとも、この懸想文は、縁談や商売繁盛などの願を叶える符札で、鏡台や箪笥に入れておくと容姿が美しくなり、着物が増え、良縁にめぐまれるというので、古くより町々の娘や嫁にあらたかなものとして買い求められた縁結びの縁起物のひとつです。
したがって、恋文を代筆したものではないので、あわてて買って、ぼくに送らないように…ってか。(笑)
さみしさだけを 手紙につめて
ふるさとにすむ あなたに送る
あなたにとって 見飽きた文字が
季節の中で うもれてしまう アア
手紙には、やはり手書きの文字が似合います。
達筆でなく、みみずの這ったような悪筆であっても、稚拙な丸文字であったとてしても、その人の個性がにじみ出すものです。
ワープロやメールでも文章は送れます。
そして顔文字などで個性も現れます。
でも、やはり、手書きの文字ような体温を感じるような温かみは、なかなか表現できません。
もちろん、それが、別れにつながる恋文であったとしても、(^_^)/~~ばいば-い!や、またd(^-^)ネ!と即時に送信されるよりも、やはり趣があります。
もっとも、こんな趣は誰も望みませんけどね。(笑)
あざやか色の 春はかげろう
まぶしい夏の 光は強く
秋風の後 雪が追いかけ
季節はめぐり あなたを変える アア……
色褪せた手紙を燃やせるようになるには、やはり幾度かの季節を、めぐらないといけないのかもしれません。
あなたが変ったように、わたしも変わる…、新しい風が吹く前に、自分が変わらなくっちゃいけないと思い続けながら…。
前半の心象風景の穏やかな描写とともに、後半の四季折々を歌いこんだ、見事なリズム感のあるフレーズとともに、せかせるような、たたみかけるような旋律が、なんともせつなさを感じさせます。
「心もよう」は、井上陽水さんが当時の人気女性フォークデュオであるベッツイ&クリスに、提供しようとした曲が、なぜか結局、採用されずに、お蔵入りになり、その歌詞を書き直して、「心もよう」として「氷の世界」というアルバムで自分で歌ったものということです。
名曲ヒットの裏側事情というものは、なかなか興味深いものがありますね。
(初稿2003.11 未改訂) |