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受話器の向こうから 聞こえる涙声
君は誰にはぐれた
都会を舞う君は 黄色いツバメのようだね
心は染めないで
壁掛け式の電話機本体に、送話器が直付けされていて、本体とコードで結ばれた受話器のみを手に持って、耳に当て、本体の送話器に向かって声を出していた電話機を知っている人はいるでしょうか。
知ってても、知らないわ、という人もいるでしょう。(笑)
あえて、追求はしませんから、ご安心を。(笑)
そうそう、知らないわ、という人でも、宮崎駿監督の「となりのトトロ」で、病院からの電報で、サツキが研究室の父親に電話を架けるシーンに登場する、本家の電話機といえば分かるかもしれませんね。
もっとも、この青春音楽館を訪れる人たちの多くは、電話機といえば、この電話機ではなくて、かっての固定電話の定番で、今や骨董品的な趣のある黒電話を想起する人が多いのではないでしょうか。
送話器と受話器が一体化した、この送受話器の形は、会社や家庭、街角の公衆電話などの一般的な電話の電話機の型式として、戦後の経済成長とともに、普及していきました。
そして、普及とともに電話は、ライフスタイルに欠かせぬアイテム、ツールとなって、さまざまなシーンにおいて、電話や受話器、ダイヤルなどの言葉として、多くの楽曲の歌詞に取上げられていきました。
青春音楽館にすでに登場したか、あるいは登場するかも知れない楽曲の歌詞の中に、電話などが登場するものを、マスター(館長) の錆びかけた記憶と、独断と偏見とで、ほんの少し取上げてみましょうか。
こんな夜に あの人の電話
遠くで懐かしさが 話しかける
本当はあの人に手を引かれ
一緒の人生を歩きたかった
「八十八夜」―N.S.P
許してくれなんて 言えない今の俺には
ナイフすてたこの手で
回すダイヤルの音
せめてもう一度 刻みたい声がある
「狂った果実」―アリス
ガラスを飛び去る 公園通り
あなたと座った椅子も濡れてる
さっきの電話であなたの肩の
近くで笑った女は誰なの
「九月の雨」―太田裕美
強く受話器握り締め
帰りたいさ今すぐにでも
それが言えずに 「それじゃまた」
「ふるさと」―松山千春
わかってたよ おいらじゃだめさ
でも二人 生きてきたんだ
とぎれた電話は 生きてゆく
悲しさに泣く 君の声
「裏切りの街角」―甲斐バンド
別れの 電話は 雨の日の午後
受話器の 向うで きみは確かに
雨にうたれ声もたてずに 泣いていた
「加速度」―さだまさし
夜更けの電話 あなたでしょ
話すことなど 何もない
Making good things better
愛は消えたのよ 二度とかけてこないで
疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの
「オリビアを聴きながら」―尾崎亜美
最後の電話 握りしめて
何も話せず ただじっと
あなたの声を聞けば 何もいらない
いのちをのみほして 目をとじる
「帰らざる日々」―アリス
泣きながら電話をかければ
馬鹿な奴だとなだめてくれる
眠りたくない気分の夜は
物語を聞かせてくれる
「しあわせ芝居」―中島みゆき
受話器を握りしめて
夜がまた明けてゆく
ひと言その声を 聞けたら
眠れるはずなのに
「傷心」―浜田省吾
胸にかすかにしみた
低い電話のさよなら
かすり傷のひとつ
残せもしないひと
「飛んでイスタンブール」―庄野真代
季節がいくつもこの部屋の中を
気の毒そうにのぞき込み
通り過ぎていく
戻っておいでとこの電話口で
ささやきかけたらきみは迷惑だろうか
「季節の中に埋もれて」―大塚博堂
お前が去ってくその前に
なぜに電話くれなかったか
やさしすぎるお前のことだから
それが思いやりのつもりだったのか
「祈り」―長渕剛
夜明けまで長電話して
受話器持つ手がしびれたね
耳もとに触れたささやきは
今も忘れない
「君は天然色」―大瀧詠一
土曜でなけりゃ 映画も早い
ホテルのロビーも
いつまでいられるわけはない
帰れるあての あなたの部屋も
受話器をはずしたままね 話し中
「悪女」―中島みゆき
ゆうべ眠れずに 泣いていたんだろう
彼からの電話 待ち続けて
テーブルの向こうで きみは笑うけど
瞳ふちどる 悲しみの影
「もうひとつの土曜日」―浜田省吾
土曜の夜と日曜の
貴方がいつも欲しいから
ダイヤル回して手を止めた
I’m just a woman
Fall in love
「恋に落ちて」―小林明子
でもさよならは まだ
言わずにいいでしょう
向うのステーション・ホテルから
電話をするから
「フェリー埠頭」―さだまさし
忙しくて逢えない
あなたは電話でそう言ってました
私にごめんとすぐにあやまったのは
こんなわけですか
「ロードショー」―古時計
あなたと別れた 雨の夜
公衆電話の 箱の中
ひざをかかえて 泣きました
生きてることは ただそれだけで
哀しいことだと 知りました
「赤ちょうちん」―かぐや姫
電話ボックスで夜が明けるまで
一人で寒さしのいだ冬の日
ただあなたの笑顔が見たくて 一人
馬鹿げた事もしてきた
「雨ふり道玄坂」―ふきのとう
膨らんだ夢はいつか
少女の君を 大人に変えた
どうしても行くというなら
せめてたまには 電話をよこせ
「八月の空へ翔べ」―N.S.P
雨あがりの街 青い風が過ぎる
花屋の店先の赤い電話に立ちどまる
「結婚するって本当ですか」―ダ・カーポ
手紙が無理なら 電話でもいい
“金頼む”の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ
「案山子」―さだまさし
ほんの少しといいながら、あるわ、あるわ、これでもか、これでもかと、おしゃべりマスター(館長)らしく、結構、長電話になりました。(笑)
えっ、ほとんどメロディーをつけて、歌えましたって?
フルコーラスだと、電話代、たまったもんじゃないですね。(笑)
ところで、歌とはいえ、こんなに電話が登場するシーンに出会うと、あるいはもしもだなんて、いまさらながらのこととしても、ついつい、あるいはもしもと、あの日、あの時、今のように、携帯電話というものがあったとしたならば、あの日、あの時、どんな風になっていたかなんて、過去を振り返って思う人も多いのではないでしょうか。
あの日、あの時、家単位の固定電話に、呼び出し音を聞きながら、誰が出るのかと、どきどきしながら受話器を握っていたり、また回転式のダイヤルを回して、ダイヤルが戻る時間の刹那の不安に耐え切れず、思わず受話器を置いてしまったり、なんて、それがひとつのドラマのモチーフやエピソードになることもありましたね。
コミュニケーションツールとして、個人ごとの携帯電話が欠かせぬものとなって、昼夜を分かたず、時を嫌わず、場所を選ばず、ボタンひとつで、相手と一瞬につながるかわりに、あるいは簡単に着信を拒絶して相手と切れることも可能となっています。
でも、受話器の向こうから聞こえる涙声は、携帯電話の時代になっても、いつの時代になっても、人の世が人の世である限り、聞こえるものでしょう。
そして、人の世が人の世である限り、親ツバメが、子ツバメの黄色いくちばしから発せられる鳴き声に、一所懸命にエサを運ぶように、その涙声を気にかけて、声掛けをする人がいることを信じたいものです。
そう、人の世が人の世である限り、その涙声に気づく感性は、人として失いたくない、大切なものですから。
昇るサンライズ 見上げてごらんよ
ひとり素顔に戻って
いつだって 俺は此処にいる
だから朝陽と 出逢い君は
春をゆけ 熱い今日を生きて
夏をゆけ
そしてララバイ
やさしさを知れば わらいあえる
しかし、人の世が人の世である限り、人が人を見失い、人が人と争い、人が人と離れていくことも、少なからずあることです。
親が子を、子が親を、妻が夫を、夫が妻を、恋人が恋人を、友が友を、その姿を互いに見失って、争い離れていくことに、孤独感、喪失感を感じることも、また人の世の常です。
この感情は、暗雲のように心の中に垂れ込んで、漆黒の闇のように、身にまとわり付き、それは、永遠に続きそうな気配と感じるものです。
光あればこそ見える心の色も見えません。
でも、落ち着いてください。
見上げれば、陽は昇っていくことに気がつきます。
そうです…、晴れない空も、朝の来ない夜もありません。
眼前に広がる漆黒の闇の中でも、確実に、陽は昇っていきます。
俺は此処にいるよ。
そんなアピールをしているように、陽は昇っていきます。
ざわめく人波に 消された細い声
君は誰を愛した
素直になれた時 黄色いツバメと気付くよ
すべてを脱ぎすてて
ツバメはスズメ目ツバメ科に属する鳥類で、古くはツバクラメあるいはツバクロと呼ばれ、天敵から身を守るためか、民家の軒先など人が住む環境と同じ場所で繁殖します。
稲作文化の日本では穀物を食べずに害虫を食べてくれる益鳥として、また人の出入りを嫌わず恐れずに営巣することから、家内安全、商売繁盛の印として、大切にされてきた身近な鳥です。
そのため、ツバメの子育てを見る機会も多く、大きな黄色いくちばしのツバメのヒナを見かけることも多いのですが、やがてツバメは一ヶ月足らずで巣立ちしていきます。
このように、鳥が巣をかけ、卵を生み、ヒナがかえると親鳥は懸命にエサを運び、外敵から命がけでひなを守りますが、成長したヒナは、やがて巣立ちをしていくことは、ほんとはよろこばしいことなのに、一方で、空の巣を見て、なにか虚しさを感じることがあるようです。
鳥の世界の話ではなく、人の世の話で、とくに、献身的、犠牲的に、子育てを終えた母親に訪れる虚脱感からくる心とからだの変調を「空の巣症候群(empty-nest syndrome)」と呼びます。
男性にも多い、いわゆる燃え尽き症候群(burnout syndrome)とも似ているような気もしますが、ともあれ、心が折れないように、心の健康の保持や増進について、いつでも心がけたいものです。
話を元に戻して、ツバメは、日本には夏鳥として春先に飛来して繁殖し、越冬のために南方に向かう渡り鳥ですが、ギリシャの哲学者アリストテレスはツバメが冬になるといなくなるのは木の洞か泥の中で冬眠しているからだと考えたように、ツバメが集団で渡っていく姿は見かけなかったのでしょう。
そういえば、アイルランドの小説家、オスカー・ワイルドの子ども向けの短編小説の「幸福な王子」は、金箔の王子像も孤独ならば、南の国に帰れずに、王子の足元で凍死したツバメも孤独でした。
もっとも、凍死を免れる越冬つばめも、やはり、「ヒュルリ ヒュルリララ」と鳴いて、切なく孤独そうですね。
人は孤独のうちに生まれて来る。
恐らくは孤独のうちに死ぬだろう。
僕等が意識していると否とにかかわらず、
人間は常に孤独である。
それは人間の弱さでも何でもない、
言わば生きることの本質的な地盤である。
「愛の試み」−福永武彦
孤独を味わうことで、
人は自分に厳しく、
他人に優しくなれる。
いずれにせよ、人格が磨かれる。
出典不詳−ニーチェ
燃えるサンセット 唄ってごらんよ
遠くあどけない日々を
振り向けば 俺は此処にいる
だから夕陽に 踊り君は
北へゆけ 寒い今日を生きて
西へゆけ
そしてララバイ
淋しさを知れば 愛しあえる
夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
おててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょ
「夕焼け小焼け」−中村雨紅
今のあなたの心の色は何色でしょうか。
どんな色をしているでしょうか。
寒々とした、寒色系ではなく、暖色系の夕焼け小焼けの空の色、黄色やオレンジ色だったら良いですね。
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
相田みつを
そう、心の色は、あなた自身が決めてください。
心の色を塗り替えることは、あなたしかできないのですから。
「心の色」は、中村雅俊さん主演のTBS系ドラマ「われら動物家族」の挿入歌として、1981年(昭和56年)11月25日にリリースされました。
当初の主題歌は、「水割りをください〜」の「メモリーグラス」の堀江淳さんが歌う「ルージュ」だったということですが、あまり記憶にありません。
というか、この「われら動物家族」というドラマも、確か、見ていたような記憶はあるのですが、あまりドラマ内容の記憶はなく、のちにドラマの主題歌となった、この「心の色」の記憶だけがあります。
調べると、兄の突然の死によって、甥姪にあたる七人の子供の世話をすることになった中村雅俊さん演じる独身の動物園飼育係のシートン動物記にような愛と涙のヒューマンドラマだったということです。
「われら青春」以降の青春ドラマの印象が強かったせいでしょうか。
ちなみに、「われら青春の」の主題歌は、いずみたくシンガーズの「帰らざる日のために」 で、挿入歌が中村雅俊さんの「ふれあい」、この「心の色」とともに、中村雅俊さんの大ヒット曲です。
なお、中村雅俊さんと、妻、五十嵐淳子さんとの間に生まれた長男は、芸能界デビューをしていましたが、大麻取締法違反により逮捕、起訴猶予となって、芸能界を引退しました。
マスター(館長) の青春の一時期、教師になるなら、中村雅俊が演じるような教師になりたいなと思ったことがありましたが、太陽学園の熱血教師として生徒の指導にあたった中村雅俊さんも、現実の我が子の教育は、うまく行かなかったんですね。
(初稿2010.7 未改訂) |