青春音楽館トップページへ

「秋桜」―さだまさし

さすがに「秋桜」を「あきざくら」と読む人はいないでしょうが、この「秋桜(コスモス)」の歌が、さだまさしの作詞・作曲だと知っている人は、そんなに多くはないかもしれません。

まあ、伝説の人、山口百恵のイメージに、ぴったしと似合う歌ですが、さだまさしのオリジナル曲も、違った味わいがあります。
山口百恵と表記しようか迷いましたが、原曲者もアルバムで歌っているので、さだまさしとしました。

  薄紅の秋桜が秋の日の
  何気ない陽溜まりに揺れている

秋桜(コスモス)って、不思議な花です。
日本の在来種ではない花なのに、青く澄み切った日本の秋空の下で、まるで、昔から、そこに咲いていたかのように、風に吹かれて、さやさやと可憐な花をそよがせるコスモス。
コスモスというより、やはり「秋桜」という名前が似合います。

  この頃涙もろくなった母が
  庭先で一つ咳をする

年を取る、最近はエージング(加齢)とも言いますが、ともかく、涙腺が弱くなってくるって言うのは、本当かもしれません。
確かに、涙もろくなったのか、本やテレビなど見ていて、何か感動してしまい、うかつに涙を浮かべることが多くなりました。

でも、そんな自分が嫌いでないのも、やはり年なんでしょうか。

  こんな小春日和の穏やかな日は
  貴方の優しさが浸みてくる
  明日嫁ぐ私に苦労はしても
  笑い話に時が変えるよ心配いらないと笑った

小春日和は、春の季語ではなく、秋の季語と、昔、学校で覚えさせられた記憶があります。
春のように、しかし、春ではない秋の季節のよく晴れた穏かな日。
夏へと向かう春に対して、冬へと向かう秋。
小春日よりは穏かにして、なぜかもの悲しい日和です。

嫁ぐと言う言葉も、すっかり死語になったのかもしれません。
そういえば、やや職権乱用かセクハラ気味に、部下の若い娘にカラオケで、この歌をリクエストで歌ってもらったとき、ルビがなかったので、嫁ぐ(とつぐ)を、稼ぐ(かせぐ)と歌われました。(笑)

もちろん、気づいて、気がつかない振りをしたのは、上司の私の、小春日和のような優しさです。(笑)

  あれこれと思い出をたどったら
  いつの日も一人ではなかったと
  今更乍ら我ままな私に唇噛んでいます

秋桜(コスモス)って、やはり女性のイメージなのかなと思います。
風に吹かれて折れそうなほど、可憐でいながら、生まれ育った土地を離れて、新たな土地で、根付くような力強さがあります。

男性を花にたとえたら、何になるでしょう、タンポポかな。
風に吹かれて、いずこかへ飛んで行き、しかも根付くどころか芽が出るのも奇跡に近いのに、やっと芽を出したとたんに路傍で踏みつけられるタンポポ。(笑)
ちなみに、タンポポは蒲公英と書きます。
(受験国語の学力アップに役立つページでしょ。(笑))

  こんな小春日和の穏やかな日は
  もう少しあなたの子供でいさせて下さい

そして、根付いた秋桜(コスモス)は、やがて、母となり、そこで子供を生み育て、縁側で日向ぼっこをしているであろう故郷の老母を、ふと思い浮べながら、洗濯ものをたたむのです…。

(初稿1999.10 最終改訂2001.7)



秋桜(コスモス)
      作詩/作曲 さだまさし

薄紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜まりに揺れている
この頃涙もろくなった母が
庭先で一つ咳をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話繰り返す
独り言みたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は
貴方の優しさが浸みてくる
明日嫁ぐ私に苦労はしても
笑い話に時が変えるよ心配いらないと笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日も一人ではなかったと
今更乍ら我ままな私に唇噛んでいます
明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし元気でと
何度も何度も繰り返す母
ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子供でいさせて下さい  

1977年(昭和52年)
「青春音楽館」トップページへ