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ひとしきり肩濡らした冬の雨
泥をはねて行きすぎる車
追いかけて喧嘩でもしてみたら
少しぐらい心もまぎれる
ひとしきり冬の雨に肩を濡らすということは、傘も差さずに歩いているのか、または傘が小さくて、傘から肩が出ているのか、もしくは身体がでかくて、その傘からはみ出しているのかもしれません。
でも、いずれにしろ、颯爽とした歩き振りを想像できないのは確かでしょうね。
そのような情けない状況のもとでの歩行中に、車に泥をはねられたからといって、喧嘩を売るために、車を追いかけることができるのでしょうか。
まあ、追いかけることはできても、追いつくができた上に、喧嘩まで仕掛けることができるのでしょうか。
まあ運よく、信号待ちでその車が引っかかっていたとしても、追いついたときには、すでに、ハアハア、ゼイゼイと息を切らしているから、喧嘩の啖呵を切る前に、結果は見えるようで、悲惨でしょうね。
まぎれるどころか、余計に落ち込みそうです。(笑)
まあ、無謀と勇気はときとして、同じ顔をして現れますので、いくばかの経験を積んだ大人さえも、よくはき違えますから、若いときにはなおさらでしょうね。
いずれにしろ、喧嘩はあかんと、ふるえる声で、オカンっぽく口うるさくいってやりましょう。(笑)
狂った果実には 青空は似合わない
家を出たあの時の母のふるえる声は
今でも耳に響いてる 低く高く
果物狩りというのがありますが、やはり、果物狩りといえば、りんご狩りや梨狩りがいいですね。
たわわに実った果実をもぎ取るときに、垣間見える青空が、果実の鮮やかな、あかやみどり、きみどりに映えて、いいコントラストを醸し出します。
大阪でも、近郊では果物狩りが楽しめますが、いちご狩りやみかん狩が多く、いちごなどは露地栽培は少なくて、温室のビニールハウス内ですし、みかんも小山の陽の当たる場所ですが、若い低木が多くて、青空は似合わないです。(笑)
そうそう、ぶどう狩りもできますが、ぶどう棚がテントみたいになって、やはり青空は見づらいし、なによりも、ぶどうの粒粒を食べるのに忙しいです。(笑)
そんな忙しさに親がかまけているちに、子どもがぐれて、家を出て行く…なんてことはないと思いますが、最近は、子どもが家出するんじゃなくて、親が家出させられる、いや生きて、家を出されるならまだしも、金属バットで殴られたり、灯油で焼かれたりして、棺で出されるような物騒な事件も頻発しています。
むかしは、親の家という意識があって、その主(あるじ)たる親に反抗し、立ち向かうには、その家を出ることしか考えなかったような気がしますが、いまは小さな頃から、狭いながらも個室を与えられて、分権的に、自分の城を持っています。
そこで妙に勘違いして、親が主であることを忘れてしまって、勝手気ままに振舞い、そして親はまた親で、子どもが部屋にいる時には、拒否されることを怖れて立ち入らずに、遠慮がちに留守のときにだけ、掃除と称して言い訳混じりに、立ち入るくらいしかしない。
これじゃ、ホテルかレンタルルームです。
いっそのこと、お母さんは、メイドの衣装でも着て、「ご主人様、今夜のお夜食をお持ちしました。」って、子どもに持っていったら、この親のもとにいたら危ないかもと、子どもは自立するかもしれません。(笑)
動物の子育ては、子別れのセレモニーを持って終了しますが、人間の子育ては、子どもの自立をもって終わらなければなりません。
家出の勧めをするわけじゃありませんが、家を出たいというのは、自立するという前向きなことであり、そして自立するということは、親の扶養、庇護から離れて、社会に出て、自活するために、働かなければならないということでもあります。
働きもせず、就学もせず、勝手気ままに、自立もしない若者が増えているそうですが、親が存命中なら親が面倒見ればいいのでしょうが、そのあと、社会が面倒を見ることになるならば、ある意味では、自立支援のための半強制的な就労なども視野に入れて検討するべき時期になっているのかもしれません。
ポケットで折れていたハイライト
おかしくて吸う気にもなれず
かじりかけの林檎をただ思い切り
投げつける都会の闇に
額に汗して働く、労働者の煙草、ハイライト、なんて言葉を知っている人もいるでしょうが、ハイライト (hi-lite) というのは、日本たばこ産業 (JT)がの前身である日本専売公社が1960年(昭和35年)に発売した、国産たばこの銘柄の一つです。
日本の大衆向けたばこの代表的な銘柄であり、「もっと陽の当たる場所」という意味のハイライトが、高度経済成長期の日本の、とりわけ、そのブルーのパッケージが、肉体労働を主とする労働者(ブルーカラー)のイメージと一致して、労働者の煙草などといわれたものです。
その後発売されたホワイトを基調とするパッケージのセブンスター系の煙草よりは安価だったので、金のない学生なども良く吸っていました。
徹夜などして煙草を切らし、灰皿にたまった吸殻の中から、長めを探し出してマッチ棒で突き刺して吸う、いわゆるシケモク吸いをした経験を持つお父さんも多いかもしれませんね。(笑)
いや、マスター(館長)なんぞは、深夜の音楽館更新作業中に煙草を切らしたときは、コンビニまで出かけるのが億劫で、いまだにしております。(笑)
ちなみに、ヘビースモーカーのマスター(館長)は、現在は、マイルドセブンのONEのロングサイズです…っていっておけば、誰か送ってくれるかな。(笑)
おっと、煙草の話しで、かじりかけの林檎の話しを忘れるところでした。(笑)
かじりかけの林檎を、都会の闇に投げつける前に、かじったあとを見ておいてください。
林檎に血がついていたら、歯槽膿漏の疑いがありますので、歯医者さんに御相談ください。(笑)
えっ、じゃ、喰べかけの檸檬はどうするのかって?
その答えは、聖橋から放るなんですが、音楽館に入りびたりの人でこの答えが分からない人は、その前に、やはり、お医者さんに御相談ください。(笑)
記憶の減退と混乱というのも、認知症の初期に見られますから、御注意です。(笑)
許してくれなんて 言えない今の俺には
ナイフすてたこの手で 回すダイヤルの音
せめてもう一度 刻みたい声がある
ダイヤルを回す…なんてフレーズも、おそらく、いまや若者の多くは、なにをイメージするのか、分からないかもしれません。
まあ、いまでも、高齢者世帯では、ダイヤル式の固定式電話を使っている御家庭もありますから、知っている人もいるかもしれませんが。
あのダイヤルを回すときのジーコ、ジーコという音がサッカーを思い出させて…、じゃなくて、あのダイヤルが戻るときの間(ま)が、なんともいえない時間でしたね。
ダイヤルが早く戻って、早くつながれ思ったときもあれば、ダイヤルが戻るあいだに、心が揺れて、手を止めて、受話器を置いてしまった…なんて、情景を思い出す人もいるかもしれませんね。
いまやダイヤル式からプッシュ式へどころか、家庭に一台の固定電話から、個人に一台の携帯電話が主流となって、電話の使い方が、昔とまったく変わってしまいました。
いつでも、どこでも、つながる電話、でも、それでもつながらないときは、より一層、深刻かもしれません。
電話はつながっても、こころがつながらない電話、…電話をかける前の人の心の揺れや、受話器から聞こえる声に思いをめぐらすのは、やはり、いまもむかしも変わらぬものがあるのかもしれません。
そういえば、変わらぬものといえば、最近、マスター(館長)の家では、固定電話を光電話に変えましたが、なぜか通話が明るくなったり、早くなったりしていませんけど、どうしてなの?。(笑)
生まれてきたことを 悔やんでないけれど
幸せに暮らすには 時代は冷たすぎた
中途半端でなけりゃ 生きられない
それが今
時代の寵児ということばがあります。
その時代の風潮に合った才能を発揮して成功し、人々にもてはやされるような人のことです。
時の女神に寵愛された人とでもいいましょうか。
一方では時代の風に翻弄されて、あだ花ひとつさえ咲かせなくて、散っていく人もいます。
生まれるのが早すぎた、または遅すぎた、いずれにしろ、その時代に適合しないと感じることは、決して少なくはないと思います。
ことに青春時代は、経験の浅いゆえに、未成熟なゆえに、そう思うことが多いと思います。
そんな人も、やがて時代に飲み込まれて、建前を受け入れて、さらにうそも平気でつくようになり、真実(ほんとう)は違うのだと思いながらも、仮面をつけて沈黙を続けていかなけりゃならないこともあると思います。
しかし、その沈黙の中で、やはり真実(ほんとう)は違うのだと、思いつづけることが、青春の頃の夢に忠実でありたいと思うがゆえの、ささやかな抵抗のあかしとして、心のすみに置いておきましょうか。
沈黙こそが真実。
そして、そんな自分のすがたが真実。
狂った果実にも 見る夢はあるけれど
どうせ絵空事なら いっそ黙ってしまおう
せめてこの胸が裂けるまで
Silence is truth!
アリスは、1971年(昭和46年)、谷村新司さん(ちんぺい)と、堀内孝雄さん(べーやん)の二人でアリスを結成し、翌年デビュー後、矢沢透さん(きんちゃん)が加入して、3人のアリスとしてスタートしました。
この「狂った果実」は、アリスの後期のアルバム「ALICE [」 に収められていて、すでにアリスサウンドが確立された時期の安定感のある楽曲です。
「狂った果実」というのは、もともと、「太陽の季節」で芥川賞受賞作家となった石原慎太郎さんの小説のひとつ「狂った果実」からの着想と思われます。
映画「太陽の季節」で脇役デビューした、石原慎太郎さんの弟、つまり石原裕次郎さんが、この「狂った果実」の映画で主演して大人気となり、翌年末の映画「嵐を呼ぶ男」の大ヒットで、戦後日本を代表する映画スターとなりました。
マスター(館長)の世代では、おそらく青春映画スターといえば加山雄三さんあたりからで、石原裕次郎さんというのは、テレビの刑事ドラマ「太陽にほえろ」の渋いボス役のイメージの方が強いのですが、ちんぺいさんなどのいわゆる団塊の世代の人にとっては、石原裕次郎さんは、少年時代に見た憧れの銀幕の青春スターそのものだったのでしょうね。
なお、このアリスの曲から着想した根岸吉太郎監督の日活ロマンポルノ映画「狂った果実」もあるそうですが、残念ながら、1981年(昭和56年)の作品で、マスター(館長)もすでに日活ロマンポルノ路線から卒業していたので記憶がありません。(笑)
アリスは、谷村さん、堀内さんが、同じ大阪市出身ということもあって、初期の頃から知っていましたが、2005年(平成17年)の第56回紅白歌合戦では、アリスは再結成して出場し、狂った果実〜遠くで汽笛を聞きながら〜を昔のように熱唱してくれたのは、往年のファンとして、嬉しかったです。
(初稿2006.11 未改訂) |