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束の間のさみしさ うずめるために
君の歌声を 聞いていた
束の間ってなんでしょう。
床の間は、和風建築で、座敷の床を一段高くして、掛け軸や置物、花などを飾る場所ですよね。
奥の間は、奥にある部屋で、居間はリビングで、寝間は寝室となっていますが、束の間というのは、和風でも洋風でも、どこの家にもなさそうです。(笑)
建築用語辞典によると、束というのは、家の床下で、束石(つかいし)という礎石の上に立てられた家の土台となる短い垂直の柱のことで、指四本の幅が一束(ひとつか)というらしいのです。
指四本の幅の長さから、ごくわずかの短い時間、ほんのちょっとのあいだという意味になったということですが、束の間のことを説明するのに、束の間ではなくて、こんなに長い時間を要しました。(笑)
しかし、束の間のさみしさ…、というからには、ほんのわずかな時間だけ、さみしさを感じるということですから、いつもは、さみしくないのでしょうね。
もっとも、さみしさというのは、さ(砂糖)と、み(みりん)、し(醤油)と、さ(酒)という料理の基本調味料みたいなもので、適量が良く、多すぎると、甘すぎたり、辛すぎたり、また酔っ払ったりもします。(笑)
さみしさとは、不在感を意識することだと思います
あるいは、当然あるものが失われていくと感じる感情である喪失感というものかもしれません。
配偶者や肉親、恋人や親友など、親しかった者との別れの場合や、また夢や希望といった抽象的なものを失った場合にも、不在や喪失を感じます。
そんなときに、さみしさを実感します。
そして、そのさみしさをうずめるものを見つけ、そして、そのさみしさを乗り越えたとき、人は強くなり、そして、やさしくなれるのです。
せまいホールの 壁にもたれて
君の動きを 追いかけていた
飛びちる汗と 煙りの中に
あの頃の俺がいた
ホール(hall)というのは、もともとは大広間や集会場を指し、とくに音楽会のための会場は、コンサートホール(concert hall)と呼ばれています。
大阪では、コンサートは、大阪厚生年金会館大ホール(2400席)や、大阪フェスティバルホール(2700席)、大阪城ホール(可動10500席)など、2000人から10000万人を超えるような大規模なホールが使われます。
しかし、一方では、やはり小さなホールもあって、人ひとりが入るのがやっとくらいのせまいホールもあり、これは専門用語でマンホール(manhole)と言います…というのは、もちろん冗談ですよっ。(笑)
ちなみに、せまいホールといえば、収容人数、つまりはキャパシティの小さなホールで、かって盛況だったライブハウス(和製英語)のようなせまいホールを思い出される方も多いのではないでしょうか。
せまいホールでは、アーティストと観客が一体となりやすく、メジャーデビューを目指すセミプロまたはアマチュアバンドの情熱と、それを支える観客の熱気にあふれます。
まさにアーティストの飛び散る汗が、観客にも降り注ぎ、また観客の視線と声援がアーティストに直に届く臨場感がありました。
本格的なライブハウスだと、スポットライトの照明設備と、その照明を効果的に映えさせる霧のように薄い煙(フォグ)を発生させるスモークマシーンの舞台装置の演出がありましたが、より小さなライブハウスだと、喫煙も自由で、煙草の煙がスモークマシーンの代わりとなっていました。(笑)
オー ジョニー 君は今
オー ジョニー どこにいるのか
ジョニー(Jonny)というのは、英語圏で好まれる男子名の「John」の愛称・ニッネームで、もともと、Johnというのは、聖書の聖人ヨハネに由来するそうです。
だから、日本では、犬の名前をジョンと呼んだり、豆腐屋にジョニーと名づけたりしていますが、そんな気安く使うのがいいのかどうかは悩むところです。
もっとも、英国でのスラング(俗語)としてのジョンは、男性用の避妊具の意味があるということですし、米国でのスラング(俗語)としてのジョンは、さらに、男性自身そのものを指すスラングとなっているらしいので、ジョンでそんなに悩んでいては、大きくなれないのかもしれません。(笑)
これ以上いうと、ママさんが顔に頬紅をつけたようになるので、残念ながら話題を変えましょう。(笑)
ところで、ジョンと名の人名を思いつくままに、列挙すれば、ミュージシャンだけでも、ジョン・レノン、ジョン・コルトレーン、ジョン・デンバー、エルトン・ジョン…、と、結構、いますし、ジョン・F・ケネディ、ジョン・トラボルタ、ジョン・ウェイン、ジョン万次郎…なんてのもいましたね。(笑)
そういえば、ジョニー・デップも、正式には、ジョン・クリストファー・デップ二世(John Christopher Depp II)というらしいです。
つまりは、ジョニーはどこにいるのか、ってことですが、ジョニーはあちらこちらにいるんですね。(笑)
ジョニーでなくジョニィだったら、伝言してね。(笑)
もちろん伝言は、ルージュで鏡にね。(笑)
時間つぶしの 店の片隅
ふときこえてきた 君の唄
コーヒーカップを 持つ手がふいに
ふるえだしたのが はずかしくて
その昔、喫茶店は、もちろんコーヒーや紅茶などの飲み物を提供する場所でしたが、音楽を聴く場所としての役割も担っていました。
マスター(館長) の青春時代には、歌声喫茶はすでに衰退しており、わずかにジャズ喫茶、音楽(名曲)喫茶というのがその名残をとどめておりました。
これらの店は、主として既存のレコードの曲を、まだ一般家庭には普及していなかった大型の高級ステレオ装置で、客のリクエストに応じて流していました。
少し苦めのコーヒーを飲みながら、自分のリクエストした曲が流れるのを待つゆったりとした時間でした。
その後、有線放送というのが普及し、ふつうの小さな喫茶店でも音楽が流れるようになりました。
ヒット曲などは、ラジオやテレビ番組で取り上げられるほか、有線放送などでも流れました。
だから、メジャーデビューしたばかりのアーティストを、あるいは、これからしようとするアーティストを、応援する人たちは、ラジオ局や有線放送局へリクエストをかけて、流してもらうようにし、その放送を聴いたリスナーがレコード店で購入しました。
レコードやCDのレンタル方式が公式に認められるのは、その後のことです。
一部の地域、地方から徐々に広がって、やがて全国的にヒットした曲などは、このようなプロセスを経たものが多いのです。
子供が出来た 今でさえ
あの頃は忘れない
オー ジョニー 君だけが
オー ジョニー 俺の想い出
番組オーデションでの挫折から、市民ホールのコンサートどまりで卒業してしまったマスター(館長) としては、ライブハウスも観客の立場しか知りません。
しかし、ホールのステージに立ち、スポットライトを浴びて、多くの人の拍手喝采を浴びた経験を、一回でも持ったならば、それがひとつの麻薬的な体験の意味を持つことは、容易に想像できます。
ロックバンドを組み、30歳を過ぎてもアルバイトをしながら、大阪キタにある著名なライブハウスに出演していた中学生時代の同級生がいました。
ぼくに子どもが出来て、紙おむつを買いに行ったときに、偶然、アルバイト中のその彼と会ったきり、その後は音信も途絶えてしまいました。
しかし、その会ったときの別れ際に、「ライブハウスにいちど聴きに来てくれや」と言ったときの彼のキラリとした目の輝きだけは忘れられません。
そのライブハウスのワンドリンク付チャージの料金が、紙おむつ2パック分の値段だったことともに。(笑)
そのライブハウスもいまはありません。
もしも、風の噂でもきくことができたら、花束でも持って駆けつけたいなと思っていますが…。
束の間のさみしさをうずめるために…。
風の噂で きいたけど
君はまだ燃えていると
オー ジョニー それだけが
オー ジョニー ただうれしくて
アリス(ALICE)は、谷村新司さん、堀内孝雄さん、矢沢透さんによるグループです。
カレッジフォークの流れを汲みながら、ロックやシャンソン、歌謡曲や演歌などの、ジャンルにこだわらない新しいサウンドの構築を試みていた気がします。
地元のグループということで、1972年(昭和47年)に「走っておいで恋人よ」でデビューした頃から注目していましたが、メジャーなヒット曲に恵まれず、青少年会館や文化会館などの小さなホールでのコンサートも数多くこなしていたように覚えています。
その後、一時、いわゆる作詞、作曲の提供を受け歌謡曲的なアーティスト路線に転じますが、1975年(昭和50年)に、「今はもうだれも」という曲が初めてヒットします。
しかし、この曲は、関西カレッジフォーク界で有名だったウッディー・ウーというグループのリーダーの佐竹俊郎さんが、1969年(昭和44年)に作ってヒットさせた曲のリバイバルヒットでした。なお、佐竹さんは、2003年、享年56歳で亡くなられています。
そして、ようやく、作詞が谷村新司さん、作曲が堀内孝雄さんというスタイルの「冬の稲妻」が1977年(昭和52年)にヒットして、アリスサウンドのオリジナリティが世に認められることになります。
この「ジョニーの子守唄」という曲は、「冬の稲妻」、「涙の誓い」に続いてリリースされ、堀内孝雄さんの「君のひとみは10000ボルト」をはさみ、名曲「チャンピョン」へと続いていきます。
こう考えたら、チンペイさんたちも、結構、苦労人やったんやなぁ、せやからやねんな〜、って、ナニがせやからやねん!って、つっこまれそう。(笑)
(初稿2007.9 未改訂) |