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幸せを数えたら 片手にさえ余る
不幸せ数えたら 両手でも足りない
いきなり冒頭の歌い出しから、超重量級の重〜い歌詞です。
この重さになると、いま流行(はやり)の低インシュリンダイエットをしても、多分、効果がないほどの重さですね。(笑)
そこで、今回は、いつもの軽い文系アプローチから、少々重々しく理数系アプローチをして、その効果をみましょう。(笑)
まず、この重〜い歌詞を、数式に置き換えてみると、幸せ<5 不幸せ>10となります。そして、余る、足りない、ということから、その数と等しい場合は含まず、ゆえに、幸せ≦5 不幸せ≧10という式は成立しないことになります。
さらに、これを文章解析してみると、幸せは、5以下の数ではなく、5未満の数であり、不幸せは、10以上の数ではなく、10を超える数であるという事も分かります。
ところで、これは、手の指=5という条件があって、はじめて成立する式であって、この手の指が、カラスやサンショウウオなどのものであったとしたら、3、または4を代入する必要があるでしょう。
さらに、これが、アンパンマンやドラえもんの手の指であったとしたら…、果たしてどんな式になるのか、悩むところです。
まあ、こんなことが、悩みというのならば、これは、幸せのひとつなのかもしれません。(笑)
泣いた夜さえ いつの日か
笑い話に なるものさ
泣くということに関しては、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ。」という有名な学説があります。
心理学の入門書に必ず取り上げられている、いわゆる、ジェームズ=ランゲ説と呼ばれるもので、100年以上も前に提唱された学説であり、近年の精神医学・脳科学の進歩で、否定的に解されるようになってきましたが、実感としては、妙に納得できる学説です。
しかし、学説がどうであれ、ひとは一生に一度くらいは、悲しくて悲しくて、涙がとめどもなく流れ、泣けて泣けてしかたないときがあるのも、厳然たる事実です。
こんなとき、悲しいのではない、泣くから悲しいのだ…、なんて学者ぶった言葉よりも、月並みな表現であっても、やはり、枯れない涙も、明けない夜もないんだから、今夜は思い切り泣きなさい、涙を流しない…一晩中泣き明かした夜でさえも、いつかは時間が思い出に変えてくれるさ、という言葉の方がいいのかもしれません。
SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん
ところで、最近、思い通りに、自分勝手に、気ままに生きている人が、とても多くなったような気がします。それも、人の幸せや不幸せを省みることなく…、さらには、踏みにじってまで…。
人は、それぞれの生まれ育った環境によって、そのしがらみの中で、生きていくしかない…、なかなか思い通りに生きられない…だからこそ…の、この言葉です。
自分を大切にして、自分を失わずに、思い通りに生きるということと、自己を中心にして、尊大傲慢に、思い通りに生きるということは、まったく次元が違うことだと思います。
幸せを話したら 五分あれば足りる
不幸せ話したら 一晩でも足りない
前述した、片手、両手の歌詞と対句になるフレーズです。
数量的な対比、数値化した比較は非常に分かりやすいものです。
しかし、果たして、幸せ、不幸というものは、数として数えるなり、あるいは時間の長さで測るなり、できるものでしょうか。
たったひとつの不幸せが、すべての幸せを打ち砕く事もあり、数多くの不幸せの暗闇の奈落の底で、たたひとつの小さな幸せの光明に、あたたかく包まれることだってあるはずです。
フランダースの犬のネロとパトラッシュの最期は、果たして、不幸せですか、幸せですか。
そして心が 傷ついたなら
泣きながら帰っておいで
僕はおまえの そばにいるよ
幸せを求める旅…そう、それは、あるいは、青い鳥を追い求める旅ということになるのかも知れません。
そう、幸せの青い鳥…、それはどこにいましたか。
分からない人は、メーテルリンクさんに聞いてください。(笑)
禍福はあざなえる縄のごとし…人間万事塞翁が馬。
さて、ばんばひろふみさん、本名は馬場弘文さん。
バンバンというグループで、「いちご白書をもう一度」をヒットさせましたが、これはヒットメーカーの松任谷由美(荒井由美)の提供曲でした。その後、グループ解散後、ソロで歌った自作曲(作曲者の馬場章幸はペンネームらしい(笑))のこの唄がヒットました。
深夜のラジオ番組「セイヤング」で、谷村新司とのコンビで、「天才・秀才・バカコーナー」のDJを聞いた人も多いかも知れませんが、いまも、DJというか、レポーターとして活躍されています。
そうそう、ついでに、♪彼の車にのって真夏の夜を走りつづけた♪…「真夏の出来事」を歌っていた平山みきさんは、彼の奥さんです。
(初稿2002.4 未改訂) |