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この「さよならコンサート」は、文字通り、恋人との「さよなら」のコンサートを歌ったものですが、「さよならコンサート」というと、やはり、ふつうは、「解散コンサート」をイメージします。
この曲の作詞・作曲者である、さだまさしさんは、1972年(昭和47年)に、吉田政美さんとのデュオグループ、「グレープ」を結成し、精霊流しなどのヒット曲を出して、1976年(昭和51年)にグレープの解散コンサートをします。
いつもコンサートが始まると
必ず君はそこにいました
さだまさしさんのコンサートトークなどで、お聞きになった方もあると思いますが、グレープのコンサートも、当初は、観客よりスタッフの数の方が多くて、開演直前まで、呼び込み、はてはキャッチバーまがいに、連れ込みをしたそうです。(笑)
そして僕が迎えにゆくのを
悲しい位にじっと待ってたんだね
けれど今日のコンサートは
いつもと違って君は二人連れでした
グレープのマイナーな時代は、残念ながら、あまり知らないのですが、大阪に、ロックキャンデーズという、ややマイナーだった、とあるバンドのことなら、多少は知っています。
同級生のひとりに、そのリーダーの話術が面白いということで、彼らの熱心なファンがいて、そのロックキャンデーズが解散して、新しいグループを結成したので、一緒にコンサートに行かないかと、誘われたことがありました。
チケットを何枚かまとめ買いすると割引の特典つきでした。(笑)
そして、そのデビュー曲「走っておいでよ恋人よ」…なんか、ロックでもフォークでも、また歌謡曲でもなく、良いのか悪いのか、よく分かりませんでしたが、そのバンドに惹かれるものがありました。
こんな別れが来る訳がないと
信じていたのは 僕の思いあがり
次のとき、コンサートチケットの予約電話を入れると、そのグループのべーやんと呼ばれる人が、直接、電話先に出てきました。
驚いたものの、話術は下手で、いろいろと、話し掛けてくれるのですが、ぼくはチンペイと呼ばれる人の声が聞きたかったので、チンペイさんは?と聞くと、今、ウンコしているというので、がっかりして予約だけして、すぐ電話を切りました。(笑)
今日がとうとう来たんだね
さよならコンサート
しかし、このグループは、ほどなく、メジャーになっていきます。
電話番をしていたべーやんこと堀内孝雄さんと、ウンコしていた谷村新司さん、そして、この二人とは、やや異なる方向性を持ったパーカッション担当の矢沢透さんの三人組のバンド。
後楽園球場を埋めつくして、さよならコンサート、解散コンサートを行ったグループ、アリスの初期の頃の話です。
涙でもしも声がかすんでも
今夜だけは笑わないで下さい
コンサートというのは、本当に不思議な魅力と雰囲気があります。
映像や音響の記録情報技術が、どんなに高度化し、再現性が高まろうとも、生(LIVE)での演奏に、勝つことはありません。
それでも僕にはコンサートが待ってる
明日もこうして歌いつづけてゆく
バンドを組んだりして、コンサートをしたことがあるという人は、場末の小さなライブハウスであれ、学校の文化祭のコンサートであれ、スポットライトをあびたコンサートの舞台で、観客の視線が注がれる快感を実感した経験があると思います。
しかし、その経験ゆえに、儚き夢を追いかけて、売れないままに、その人生を埋もれさせていく人も、また多くいます。
クラフトは、この「さよならコンサート」の曲と同じく、さだまさしさんの「僕にまかせてください」という曲でも、ヒットを飛ばしました。
さだまさしさんの作詞作曲では、「鳳仙花」というのもあります。
しかし、クラフトのオリジナルでは、ほとんどマイナーなままに解散しました。
解散したクラフトのメンバー四人のうち、途中から参加した濱田金吾さんは、バイオリンからギターに転向したさださんに似た経歴からか、その後も、岩崎宏美の「摩天楼」などの作曲を手がけ、作曲家、編曲家、プロデューサーとして活動されています。
(初稿2000.11 未改訂) |