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「青春の影」―チューリップ

   君の心へ続く 長い一本道は
   いつも僕を勇気づけた
   とても とてもけわしく
   細い道だったけど
   今 君を迎えにゆこう

     人の一生は 重荷を負うて 
     遠き道を行くが如し 
     急ぐべからず
                     家康公御遺訓

徳川家康が子孫に残した遺訓とされる有名な言葉ですが、後世の創作であるというのが通説です。

しかし、幼少時代に人質として育ち、幾多の合戦に勝利するも、後塵を拝しながらの生き様からみると、その遺訓とされた言葉に不自然さはありません。

織田信長が掲げた天下布武、それを完成させて天下統一を成し遂げた豊臣秀吉に対して、急がず無理をせずに、ひたすら時が来るのを待ち、その権力を磐石なものとして引き継いだのが徳川家康です。

織田信長49歳、豊臣秀吉61歳、徳川家康75歳、それぞれの享年を思うと、頷けるものがあります。

やはり遠き道だったのでしょう。

しかし、遠き道だったとしても、やはり立ち止まらずに歩いていかなければならないときがあります。

まして、それが人生という遠き道ならば。

     僕の前に道はない
     僕の後ろに道は出来る
     ああ、自然よ
     父よ
     僕を一人立ちにさせた広大な父よ
     僕から目を離さないで守る事をせよ
     常に父の気魄を僕に充たせよ
     この遠い道程のため
     この遠い道程のため
                  「道程」−高村光太郎

国立大学法人東京芸術大学の前身である東京美術学校の彫刻家教授でもあり、著名な彫刻家でもあった高村光雲を父として生まれた高村光太郎は、彫刻家としても名を成しましたが、「智恵子抄」という有名な詩集で、詩人としても名を残しました。

もっとも、高村光太郎は、芸術家にありがちな困窮した生活の中で、妻智恵子が精神を病み、肺結核により先立たれてしまって、また太平洋戦争による空襲によりアトリエが炎上して、多くの著作物を失い、またその戦争中、戦争賛美の詩を書いたことを、戦後、懺悔し、隠遁したことなど、人生の道は、決して、平坦ではなかったろうと思います。

しかしながら、高村光太郎が青森県十和田湖のほとりに立つブロンズ裸婦像「乙女の像」の製作に取り組んだのは、70歳を超えてからです。

高村光太郎がその人生の歩みをとめたのは、妻智恵子の面影を封じたとされる「乙女の像」の除幕式典から2年あまり、享年73歳でした。

   自分の大きな夢を追うことが
   今までの僕の仕事だったけど
   君を幸せにする
   それこそが
   これからの僕の生きるしるし

     この道より我を生かす道なし
     この道を歩く
                    武者小路実篤

これは日本近代文学における大正期の文壇の中心的な存在であった白樺派の代表的な作家である、武者小路実篤の言葉です。

この言葉からは、青春時代の夢に忠実で、一途な不器用な生き方を想像してしまいます。

しかし、「お目出たき人」、「友情」、「愛と死」など彼の代表的な文学作品を読んだことのない人でも、独特の画風と書体で書かれた「仲良きことは美しき哉」「君は君我は我也されど仲良き」「天に星地に花人に愛」という、野菜や花などの絵に書き添えた「画讃」の複製画色紙を、見かけた人も多いでしょう。

大阪などでは、お好み焼き屋か串カツ屋で、ソースまみれで、あるいは場末の飲み屋で、店主の無粋な文字で書かれた「貸して不仲になるよりもいつもニコニコ現金払い」の張り紙の横で散見されることも多いようです。(笑)

ところで、武者小路実篤は、「尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である。」とも言っています。

我は我、我が道を行くと、頑固なこだわりをみせながらも、一方では運命にしたがって、周囲にも柔軟に対応することを求めているようにも思えます。

矛盾しているのでしょうか。

いいえ、そういう生き方しかできない自分にこだわり、非力な自分、不運な自分をなげきつづけても、そうそうに生き方を変えられないものであるのも真実です。

ならば、ともかく、くよくよして、立ち止まっていないで、いまはその道を、歩いていくしかないと思い切ることが大切なのだと思います。

それが唯一の一本道。

やはり、武者小路実篤、享年90歳の人生からの言葉だと思います。

   愛を知ったために 涙がはこばれて
   君のひとみをこぼれた時
   恋のよろこびは
   愛のきびしさへの
   かけはしに すぎないと
   ただ風の中に たたずんで
   君はやがて みつけていった

     歩くから道になる
     歩かなければ草が生える

こう言ったのは、「いちずに一本道 いちずに一ッ事」を成し遂げた書道家であり、心の琴線に触れるような珠玉の言葉を残した相田みつをです。

     長い人生にはなあ
     どんなに避けようとしても
     どうしても通らなければ
     ならぬ道というものがあるんだな
     そんなときはその道を
     黙って歩くことだな
     愚痴や弱音を  吐かないでな
     黙って歩くんだよ
     ただ黙って
     涙なんか見せちゃダメだぜ
     そうしてなあ
     そのときなんだよ   
     人間としての
     いのちの根が ふかくなるのは
                    「道」−相田みつを

まさにそのとおりですね。
避けようにも避けられぬことが人生にはあります。

明ける気配のない漆黒の暗闇に取り残されている気持ちになることがあります。

永遠に降り続くかのような止まぬ雨に打たれて、子犬のように震え続けている心地がするときもあります。

嫌なことが次々と襲いかかるようなことがあります。
逃げ場のないことが往々にしてあります。

そして、そこから逃避する道として、みずから、いのちを絶つという方法を選択する人もいます。

それもひとつの道として選ぶのです。

しかし、こんな考えの人に、相田みつをは、こうも言っています。

     アノネ にんげんはねぇ
     自分の意志で この世に
     産まれてきたわけじゃねんだな
     だからね
     自分の意志で
     勝手に死んではいけねんだよ

そのとおりですね。
勝手に死んだら、まわりから、これがほんまの、往生しまっせ〜って、いわれまんがな。(笑)

「年をとって困ることは、身体が固くなるばかりでなくて、頭が固くなること、心が固くなることです。心が固くなると、感動、感激がなくなります。一生青春を保つためには、心のやわらかさを保つこと。そのためには、具体的に何かに打ち込んでいくことだと思います。学校には卒業がありますが、修業には卒業がありません。一生修業です。一生勉強です。一生勉強と一生青春は、一枚の紙の裏表のようなものだと思います。」

相田みつをは、生前、このように語り、その意味をこめて、「一生感動一生青春」、「一生勉強一生青春」という言葉を好んで使ったいうことです。

享年67歳、そのいちずに一本道を歩んだ相田みつをだからこそ残せた言葉たちですね。

この青春音楽館で、マスター(館長)のつたない文章に、泣いたり、笑ったり、感心したりすることができる人は、まだまだ、頭と心のやわらかさを保っていますから、大丈夫と思います。(笑)

   ただ風に涙をあずけて
   君は女になっていった
   君の家へ続くあの道を
   今 足もとにたしかめて
   今日から君は ただの女
   今日から僕は ただの男

…とっ、あっ、これはラブソングだったんですね。(笑)

そうだよ、これはラブソングなんだから、マスター(館長)、有名人の言葉を引用ばかりして、つらつら知ったかぶって、人生を語ってんじゃないよ、って声も聞こえそうですが。(笑)

でも、たまにはいいじゃないですか。
マスター(館長)も、これを書くにあたっては、また、いろいろと勉強しましたよ。

だから、一生勉強一生青春。

ほら、勉強の成果で、こころもち、肌の張りが戻り、髪の毛が太くなったかもしれません。(笑)

そして、そう、今日から君は、素敵だけれど、ただの女、今日から僕は、イケメンだけど、ただの男。(笑)

そして、男と女の違いはあっても、つまるところは、ともに、にんげんだもの。

おなじ時代に生まれた不思議。
おなじにんげんとして生まれた奇跡。

だから、もすこし、みんなで歩いていきませんか。



チューリップ (TULIP) は、リーダーの財津和夫さん以外は、メンバーが変遷していますが、大ヒットした「心の旅」から「虹とスニーカーの頃」までは、財津和夫さん、姫野達也さん、安部俊幸さん、上田雅利さん、吉田彰さんのメンバーでした。

高校、大学と同級生で一緒にバンド活動をしていた吉田彰さんは、チューリップ脱退後、喫茶店経営へと転身し、その後のチューリップと関わりをもたなくなりました。

復活チューリップには、吉田彰さんの代わりに、宮城伸一郎が参加されており、テレビのCMなどにも、復活チューリップとして参加されています。

この曲は、アップテンポな曲の多いチューリップしては、めずらしくスローテンポのバラード風の曲。

しかも、ゆったりとした中に、力強いラブメッセージが込められ、ラストもハッピーエンドな曲。

しかし、ラブソングというわりに、題名が「青春の影」になっているし、1番の歌詞はともかく、2番の歌詞を勘違いしてしまえば、この曲も、結局、汽車で旅立ったり、洗濯物残して出て行くような、別れの歌だと思っている人も多いとか多くないとか。(笑)

(初稿2007.1 未改訂)


青春の影

作詞/作曲 財津和夫

君の心へ続く 長い一本道は
いつも僕を勇気づけた
とても とてもけわしく
細い道だったけど
今 君を迎えにゆこう
自分の大きな夢を追うことが
今までの僕の仕事だったけど
君を幸せにする
それこそが
これからの僕の生きるしるし

愛を知ったために 涙がはこばれて
君のひとみをこぼれた時
恋のよろこびは
愛のきびしさへの
かけはしに すぎないと
ただ風の中に たたずんで
君はやがて みつけていった
ただ風に涙をあずけて
君は女になっていった
君の家へ続くあの道を
今 足もとにたしかめて
今日から君は ただの女
今日から僕は ただの男

1974年(昭和49年)
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