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花火といえば、どんな花火を思い浮かべますか。
夜空をキャンバスにして、大輪の菊や牡丹の華麗な花を描くような打ち上げ花火、滝の如くに天から降り敷くような火炎の仕掛け花火など大きな花火大会での花火は、とても印象深いものでしょう。
我が国の花火師職人の伝統的にして前衛的な匠の技は、国際的にも評価が高く、まさに日本の夏を代表するような風物詩となっていますね。
心の中にとどまっている、あの楽しかった夏の日の想い出とともに、いつまでも、残しておきたいものです。
遠花火 開いて消えし 元の闇
寅彦
密集した住宅事情と、少子化の影響で、都会では見かけることが少なくなったとはいえ、まだまだ夏休みの宵には、小さな庭先、どん詰まりの路地裏、あるいは公園の片隅にて、あちらこちらで真夏の夜の夢のささやかな花火大会が開かれています。
そして…、今でも、そんな小さな花火大会の、いつも最後は、線香花火です…。
せんこう花火がほしいんです
海へ行こうと思います
誰かせんこう花火をください
ひとりぼっちの私に
ところで、線香花火といえば、どんな花火を思い浮かべますか。
もちかへし 線香花火の ゆれてをる
高浜虚子
もちろん、赤い火の玉が落ちないように、息をこらして揺らさないようにして、手で持って、いわゆる「松葉」と呼ばれるパチパチと小さな火花が盛んに飛び散るさまは、どんな線香花火でもいっしょです。
吾子がもつ 線香花火 ゆらゆらり
路夢
そして、やがて、「柳」と呼ばれる川面に浮かぶ柳葉のように、あるいは夜の静寂(しじま)の流れ星のように、火花が流れて静かに消えていくのも、どんな線香花火にも共通です。
しかし、関西以西の人は、線香花火というと、藁の先にむき出しで黒色の火薬のかたまりがついてる花火、つまりは、仏前に備える文字通り線香に似たような、線香花火を思い浮かべることでしょう。
大阪出身、現住のマスター(館長)もそうです。
それ以外の地域の人は、赤、黄、緑などの五色くらいに染められた和紙の紙縒(こよ)りの先に、火薬を包み込んだ線香花火を思い浮かべると思います。
前者を「スボ手」の線香花火、後者を「長手」の線香花火というそうです。
「スボ手」の「スボ」は、藁スボのことで、いわゆる「藁しべ長者」の「藁しべ」の九州地方の転訛(なまり)のようで、「スボ」の原産地だったからでしょうか。
きみの線香花火を 持つ手が震える
揺らしちゃ駄目だよ いってるそばから
火玉がぽとりと落ちて ジュッ
「線香花火」―さだまさし
だから、九州長崎出身のさだまさしさんがイメージするのは、白き細けき、はかない指先に持たれた、「スボ手」の線香花火でしょうか。
はじっこつまむと 線香花火
ペタンとしゃがんで パチパチ燃やす
このごろの花火は すぐに落ちる
そうぼやいて きみは火をつける
「線香花火」―N.S.P
東北岩手出身のN.S.Pの天野滋さんは、きっと北の国の短き夏にかいまみる、鮮やかな絞りの浴衣模様に似た、長手の線香花火でしょうか。
そして、九州鹿児島生まれ、中国広島育ちの吉田拓郎さんが手に入れた線香花火は、やはり、お線香に似た「スボ手」の線香花火でしょうか。
もちろん、中国広島といっても、中国産の花火は輸入しなけりゃ手に入らないんでしょうけどね。(笑)
ともかく、複雑に広域化した流通経路、しかも、ほぼ中国製の花火が市場にあふれている現状においては、関東であれ関西であれ、この線香花火の区分は今は昔となっていることでしょう。
しかし、はかなさ、繊細さ、芯の強さ、潔さ、そして華麗さのある線香花火、短き季節の移ろいに似て、儚く消える線香花火って、やはり日本の夏にかかせないものですね。
風が吹いていました
ひとりで歩いていました
死に忘れたトンボが一匹
石ころにつまづきました
ところで、花火というのは、一般に、俳句歳時記では、夏の季語とされていて、ぼくの持っている角川書店版歳時記でも、打ち上げ花火、仕掛け花火、昼花火、遠花火、線香花火、花火線香、手花火などとして、夏の季語にあげられています。
しかし、江戸時代の風雅な遊びとして、冬場に火鉢の中で、手に持って燃やす手花火として、線香花火が用いられたこともあったようです。
もちろん冬の花火は思い出花火…じゃなくて、冬の花火は冬の季語なんでしょうけどね。(笑)
まあ、誰も見向きもしないのね〜♪。(笑)
手花火を いのち継ぐ如 燃やすなり
石田破郷
ともあれ、他の花火はともかく、線香花火については、秋の季語とする季寄せもあるようです。
そして、とんぼや赤とんぼは、秋の季語にいれるのに異論はないでしょう。
赤とんぼ 筑波(つくば)に雲も なかりけり
正岡子規
でも、死に忘れたとんぼ、というならば、あるいは、秋ではなく初冬であるということかもしれません。
もはや飛ぶ力もなく、風にあおられた羽をもてあましながら、よたよたと歩いているとんぼ。
小石すら、よける力もなくて、つまづいてしまうようなとんぼが哀れです。
哀しみがひとひらふたひら
僕の掌に残る
時を失くした哀れ蚊の様
散りそびれた木犀みたいにに
「晩鐘」―さだまさし
とんぼではありませんが、昔の人では、季節外れに、よろよろと弱々しく飛んでいる蚊を、「哀れ蚊」と呼んで、手で打ったり、蚊取り線香を焚いたりせずに、手で払うに留めたのだそうです。
花火大会の大きな派手な打ち上げ花火もいいけど、身近な小さな地味な線香花火も忘れないでいたい。
そうした小さきもの、弱々しきものを愛しむ心は、いつまでも、失いたくないものですね。
なんでもないのに
あー 泣きました
この曲は、吉田拓郎さんの1972年(昭和47年)のメジャーレーベル移籍の第一弾「元気です。」というアルバム」に収録されています。
もちろん、タイトルは、「線香花火」ではなくて、「せんこう花火」なんですが、なんで、漢字ではなく、ヒラガナにしたのかわかりませんが、まさか、当時、「よしだたくろう」さんだったので、「線香」という漢字を度忘れしていた…ではないでしょうね。(笑)
ところで、分からないついでに、作詞は、吉屋信子さんとしましたが、これは、全音楽譜出版社の楽譜で、吉屋信子さんとなっていたからです。
しかし、自由国民社の「新譜ジャーナル」では、古屋信子さんと記載されており、吉田拓郎さんの全曲歌詞集をアップされている私設ファンサイトも古屋信子さんとなっています。
ところが、ネットでは、吉屋信子さんの歌詞に、拓郎さんが曲をつけたというサイトも見つかり、さらに、誤植をテーマにしたサイトでも、古屋信子は、吉屋信子の誤植と断言されていました。
それじゃ、吉屋信子さんだろうと思って、ネットで調べてみると、吉屋信子さんという方は明治29年(1896)新潟県生まれの小説家で、同性愛者(レスビアン)で、女性擁護論を展開した少女小説の先駆者で、主な著作には「地の果まで」「花物語」「鬼火」「徳川の夫人たち」「女人平家」と、結構、有名な作品を残しています。
しかし、 拓郎さんとの接点は不明でした。
そして、最後に、JASRAC(社団法人日本音楽著作権協会)のデータベースを確認してみると、なんとその記載は、作詞者が古沢信子となっています。
こうなりゃ、なんでもないのに、笑わなしゃあない。(笑)
もはや万策尽き、ファンの方でこの真相をご存知の方がおられましたら、お教えください。
(初稿2005.6 未改訂) |