|
はじっこつまむと 線香花火
ペタンとしゃがんで パチパチ燃やす
このごろの花火は すぐに落ちる
そうぼやいて きみは火をつける
いつごろからでしょうか。
花火がほとんど中国産になってしまったのは。
大阪には、おもちゃの街、松屋町(まっちゃまち)というところがあります。
おもちゃの街といっても、べつに、街全体が、おもちゃで出来ているわけではありません。(笑)
雛人形や五月人形、結納用品、駄菓子などを卸す玩具問屋やお菓子問屋などが集まっていて、ここで商店街などにある町の小さなおもちゃ屋さんが仕入れ、また一般の人に小売もしてくれます。
夏場は花火を扱う店も多くて、女子も参加するキャンプなどで、大量に買うときなどは、わざわざここまで、買いに行ったものです。
青春時代の下心のある楽しいキャンプの夜のためには、どんな手間も惜しみませんでした。(笑)
松屋町で売られている花火も、最近は、ほとんどが安価な中国産になっています。
もちろん中国の安価な労働力で製造された花火の価格に、国産の花火の価格が対抗できるわけもなく、経済のボーダレス化で、いまさら国産に戻るわけにもいかないでしょうね。
もっとも、安価な中国産の花火のおかげで、少人数のグループや家族でも、あまり費用をかけずに、打上げ花火や仕掛け花火などを交えた花火大会が、手軽に楽しめるようになりました。
中国産の線香花火も、以前にくらべれば、かなり改良されて、すぐに火玉が落ちてしまうということも少なくなりましたが、やはり、国産品には劣ります。
もっとも、純国産の手作りの線香花火などは、滅多と手に入れることが出来ませんが、火をつけると、火玉がゆっくりと上ってきて、それから、いわゆる「牡丹」、「松葉」、「柳」と、火花が見事に三段階で綺麗に変化していくのが国産品の特徴でしょうか。
線香花火の繊細さは、ゆく夏を惜しみ、秋の気配をそこはかとなく感じる夏の終わりの頃が似合います。
線香花火に、ゆく夏だけでなく、その夏に逝った人のことも思い出されて、せつない夏の終わり…。
浴衣なんか着たら 気分がでるのにね
湯上がりで うちわを片手だったらね
庭先でたらいにお湯やひなた水を入れて、汗を流す行水(ぎょうずい)という日本の風物詩は、もはや伝説となって、銭湯がえりの湯上りの浴衣姿にうちわなんて光景も、都会でははるかむかしに消えました。
夏まつりなどで、たまに見かける女性の浴衣姿が、かろうじて、風情として残っていますが、茶髪のシュートヘアじゃ、風情も半減すると思うのは、やはり年寄り臭くなってきたからかしらね。(笑)
それも、浴衣、左前に着てるし。(笑)
さすがに、夏まつりで見かける年頃の娘さんの浴衣姿は、親御さんなどのチェックが入るのか、あるいは美容院などで着付けをしてもらうのか、左前は見かけませんが、幼児の浴衣姿などは、まだ親も若いからでしょうか、よく左前を見かけます。
また、旅先などで、旅館やホテルの用意した浴衣でうろついてる若い女の子の浴衣姿にも、予定外に着ることになったためか、結構、左前が多いですよね。
それも胸元が、大きくはだけてたりして、丸見えになってたりして…、こんな場合は、右前であろうと左前であろうと、どっちでも許します。(笑)
えっ、マスター(館長)は、いつもなに見てんのよ!ってか。(笑)
ところで、浴衣や着物は右前に着るのが正しく、いわゆる左前は死装束のときで縁起が悪い、というのは多くの方があたまでは理解していると思います。
しかし、なにぶん、普段は着ないので、ぼくはたまに旅先などで浴衣を着るときは、いつも悩みます。
右前というのは、右腕の方は下にして、左腕を通す方を上にして、つまり、左側が前にくるわけです。
あれ、そしたら、左が前にくるなら、これは左前じゃないのか、なんて悩むのです。(笑)
ちなみに、洋服では男物は右前ですが、女物は左前になっていますが、これは右利きの男性にとっては対面したときに、左前になっている女性の服の方が脱がせやすいから…らしいのですが、ほんとかしら。(笑)
着物の着付けサイトなどで調べてみると、肌に先につく方を前といい、重ねる方は後だから、右が先なら右前で、左が先なら左前、だから和服は右前、つまりは、これが、あたり前田のクラッカー、マスター(館長)は男前、と、こういうことにしときましょ。(笑)
はじっこつまむと 線香花火
僕は燃えかす拾う係りでも
打上げ花火と違って、手持ち花火は、見るだけでなく、自分で手で持ってするからこそ楽しいのでしょうが、そばで見ていても、けっこう、楽しいものです。
自分で花火をしていると、どうしても、手元の花火ばかりをに気をとられて、パチパチしている火花ばかりを見てしまいますが、人がしているのを見ると、花火だけでなく、花火に映し出されたその人の表情や姿もあわせて見ることができます。
こうして、燃えかす拾う係りは、花火の燃えかすだけでなく、いろんなものを拾えるのです。(笑)
風を背にうけ 線香花火
僕はきみの機嫌が 気になるけれど
こうしてる二人は 絵になるわ
そうつぶやき きみは火をつける
線香花火は風が大敵です。
ゆらりゆらりと、ただでさえ揺れている線香花火に風が吹くと、せっかく大きく丸まった火玉がパチパチせずに、ぽとりと落ちたりしてしまいます。
だから風を寄せ付けないように、風を背に受けて、息をこらすようにして、線香花火をします。
そうして、静かな時間が流れていきます。
きみの目の中で光っているんだ
こっちの方が本物よりすてきさ
風を背にうけ 線香花火
僕たちの恋も きれいに燃やそうよ
おそらく、これは心の中の彼のつぶやきでしょう。
花火より、みつめているのは彼女の顔ばかり。
彼女がみつめている花火を、彼女の瞳の中に見つけ、どきっとして、そして、浴衣の襟から見えている彼女のうなじに、どきっとして、風の中に、彼女からほのかにたちのぼる石鹸の香りに、またどきっとして、燃えかす拾う係りも、けっこう、忙しそうです。(笑)
パチパチ光る 線香花火
来年も二人で できるといいのにね
でも、彼は知っている。
そして彼女も気がついている。
しかし、気がつかぬふりをしている。
風が吹いても吹かなくても、線香花火というものは、いつかは消えてしまうこと。
そして、消えない花火は、けっしてないことを。
来年があるのかどうかはわからない…。
そして、おそらく、たぶんは…。
だから、来年ではなく、いまを大切に…。
そして、最後に残った一本の線香花火の火玉が、パチパチと光る前に落ちたとしても、その線香花火は、心の中にいつも輝いているのです…。
N.S.P(ニュー・サディスティック・ピンク)は、1972年(昭和47年)国立一関工業高専の同級生だった、天野滋さん、中村貴之さん、平賀和人さんで結成、1973年(昭和48年)第5回ポピュラーソングコンテストに「あせ」で入賞、「さようなら」でデビューしました。
この曲は「シャツのほころび涙のかけら」というアルバムに収録され、「線香花火」のほかに、「赤い糸の伝説」や「ゆうやけ」など、N.S.Pらしく、天野さんらしい世界が素直に広がっているアルバムでした。
N.S.Pのリーダー、天野滋さんは、2005年(平成17年)7月1日、大腸がんが全身に転移し、脳内出血で、亡くなられました。
享年52歳でした。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
(初稿2005.8 未改訂) |