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どうぞあやまちは 二度とくり返さずに
あなたは必ず しあわせになってください
愛する人と めぐり逢えたら
抱きしめた腕を ゆるめてはいけない
失敗する可能性のあるものは、失敗する。
(If anything can go wrong, it will.)
これは、全米でベストセラーとなり、1993年(平成5年)には、日本でも翻訳されて、ベストセラーになった、「マーフィーの法則 」(Murphy's law )という本の冒頭に出てくる有名な法則です。
しかし、法則と言っても、物理や化学の法則のような、科学的な検証に耐えうる法則ではなくて、むしろ、アイロニー(irony)に富む警句や、シニカル(cynical)な格言といった方がいいのかもしれません。
失敗は成功の元、これもひとつの真理なんですが、失敗は失敗につながり、失敗を繰り返してしまうのも、またひとつの真理です。
もっとも、「マーフィーの法則 」流にアレンジしなくても、日本にも昔から、「二度あることは三度ある」と、あやまちや、よくないことが、必然的に繰り返される傾向にあるということが、ことわざで示されています。
しかし、逆に「三度目の正直」、なんて言葉もありますから、やはり、人生は、ちょっとやそっとで捨てたものじゃない…のかな?。(笑)
でも、まあ、捨てる神あれば拾う神あり、拾われてリサイクルされるのも、また人生なのかもしれません。(笑)
「抱きしめた腕をゆるめてはいけない。」を、「マーフィーの法則 」流にアレンジして言えば、「抱きしめた腕をゆるめてはいけないと思ったときには、すでに抱きしめる対象は失われている。」とでもなるのでしょうか。(笑)
風は移り気 身を任せてはいけないよ
時を越えて変わらないのが愛だよ
みんなみんなあなたが教えてくれた
生きる喜び人を愛する喜び
「時を越えて変わらないのが愛だよというときには、ほとんどの愛の場合、賞味期限は切れている。」と、「マーフィーの法則 」なら、やっぱり、こういうのでしょうか。(笑)
確かに時を越えて変わらない愛というのも、多くは偽善であるか、そうでなければ、慈善です。
いわゆるボランティアかもしれません。(笑)
しかし、愛というものが、人のさまざまな思念や、行動の源となるものであると考えれば、愛はひとつのエネルギーだと考えることができます。
そして、エネルギーだすれば、「マーフィーの法則 」よりも、もっと有名な「物理の法則」を適用した方がいいでしょう。
そう、いわゆる「エネルギー不滅の法則」ですね。
すなわち、エネルギーは形を変えこそすれ、決して無くなることは無いという法則です。
愛というエネルギーは、形はかわろうとも、永遠に残るものであるといえます。
しかし、愛というエネルギーが、憎しみというエネルギーに変わることも、よく知られていることです。
そして、これをコントロールできるのも、また人です。
原子力エネルギーを、原子力発電のような平和利用にしていくのか、大量破壊兵器としていくのか、それをコントロールできるのも、また人です。
ありがとうさよなら 生まれ変われたならば
やっぱりあなたと 愛し合いたいと思う
ひたむきな人と 愛を信じて
生きがいを咲かせ しあわせになりたい
今度生まれてくるとしたなら
やっぱり女に生まれてみたい
だけど二度とへまはしない
貴方になんかつまづかないわ
「恋」 松山千春
生まれ変わっても愛し合いたい、生まれ変わったら、もう巡り会いたくない、一見、全く違ったかたちの愛のすがたのようにも見えます。
しあわせですか
しあわせですかあなた今
何よりそれが何より一番気がかり
生まれ変わっても愛し合いたいというのは、永遠の愛、理想的な愛ともいえますが、不完全燃焼のまま終わったものという捉え方もできます。
生まれ変わったら、もう巡り会いたくないというのは、なにか愛の変節だと捉えることもできますが、完全燃焼したからこそとも、考えることができます。
そして、それは、必ずしも、どちらがしあわせなのか、といえることでではないということです。
しあわせですか
しあわせですかあなた今
何よりそれが何より一番気がかり
でも悲しい恋と笑わないで
倖せの形くらい私に決めさせて
「向い風」 さだまさし
そう、やはり、しあわせについては、人それぞれ、当事者の個人にしか分からないものでしょう。
決して、ひとがとやかくいえるものではない。
しあわせは いつも
じぶんの こころが きめる 相田みつを
まして、しあわせについて、国家が命じて、指図して、お国のために死に、天皇陛下の為に死んで、神として祀られることが、しあわせだなんて、いえるものではありません。
ひとりひとりは 皆とても優しいのに
何も傷つけ合う事などないのに
やさしさ故に傷ついて
やさしさ故に傷つけて
君は坂道を登ってゆく
僕は坂道を下りてゆく
すれ違い坂は春の名残りに
木蓮の香り降る夕暮れ
「惜春」 さだまさし
みんなみんなしあわせになれたらいいのに
悲しみなんてすべてなくなればいいのに
昭和20年(1945年)8月6日朝、米軍のB-29爆撃機の「エノラ・ゲイ」は、広島に原爆を投下しました。
その爆撃機の元機長ポール・ティベッツ・ジュニアは、ユダヤ人の母親のエノラ・ゲイ・ティベッツにちなんで、「エノラ・ゲイ」と名付けたということです。
広島で14万人以上もの命を奪った原爆投下を、その後も、正当であったと主張する彼もまた、人の子であり、愛機に母親の名前をつけるほど、母親に対する愛慕の情の深い人だったのでしょう。
人、それぞれは、みな優しいのに、ちょっとしたすれ違いで、傷つけあってしまう人の性(さが)。
戦争が悲惨であるのは、その人の性を巧みに利用して、殺し合いをさせることだからなのです。
しあわせですか
しあわせですかあなた今
何よりそれが何より一番気がかり
街角で、あなたはしあわせですか?
そう問いかける人たちが、決してしあわせのように見えないのが、気がかりです。
反戦の署名をお願いしますと、人の進路に立ちふさがって、妨害したことをなじられて、なじり返していることが気がかりです。
しあわせですか?
この問いかけを、素直にできないこと、それが一番気がかりです。
しあわせですか
しあわせですかあなた今
何よりそれが何より一番気がかり
この曲は、1982年(昭和57年)に公開された東宝映画「ひめゆりの塔」の主題歌でした。
昭和20年(1945年)6月に日本で唯一の地上戦が行われた沖縄で、、従軍看護活動を行っていた沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒による「ひめゆり部隊」が、悲惨な最期を遂げたことを慰霊するための慰霊塔が「ひめゆりの塔」です。
正直言って、当時、この映画の主題歌として聞いたときには、なにか違和感がありました。
この「ひめゆりの塔」の公開の二年前に、同じく戦争を扱った東映映画の「二百三高地」の主題歌である「防人の詩」のイメージが強すぎたのでしょうか。
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください
「防人の詩」 さだまさし
冒頭の「あやまちは二度とくり返さずに」というフレーズが、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれている「過ちは繰返しませぬから」の碑文を想起させながら、そのあとに続くストーリー展開が、なにか余りに、平凡なラブソングになっているように感じたからです。
もっと、戦争の悲惨さ、残酷さ、不条理さ、平和の尊さなどを、直接的なメッセージとして、訴えたり、ストーリーとして表現すれば、良かったのではないかと思ったからです。
しかし、年を経て、あらためて、聴きなおして、みつめなおしてみると、やはり、この曲は、これで良かったのかと思うようになりました。
ひとそれぞれのしあわせを奪ってしまうのが、戦争であり、ひとそれぞれのしあわせを追い求めることができるのが、平和です。
個人のそれぞれのしあわせを求め、しあわせを求める個人を尊重し認められる社会が平和な社会です。
国家の論理や、組織の防衛などを優先して、個人のしあわせをないがしろにするような社会は、決して健全な平和な社会といえません。
もっとも、自己を中心において愛を叫ぶだけのような、じぶんだけがしあわせであればいいという風潮も広がっています。
しあわせについて、もちろん、自分自身のしあわせについて、想い致すことは当然です。
そのうえで、相手のしあわせ、そして、みんなのしあわせについても、気がかり、気遣うことの大切さを、このやさしいメロディーラインの歌から感じ取っていただけたら、ぼくも、しあわせです。(笑)
広島、長崎の原爆で亡くなられた方々、そして戦争で亡くなられたすべての方々の冥福をあらためて祈り、ひとそれぞれがしあわせを求めることが許される平和な国際社会への道を祈念していきましょう。
(初稿2004.8 最終改訂2005.1) |