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「シクラメンのかほり」―小椋佳

ずいぶんと昔の話しですが、葉書リクエストによる投稿者の青春の悩みなどを答えてラジオのトーク番組(関西ローカルかもしれませんが…)があって、そのメインテーマ曲に流れたのが…。
「♪ぼくは〜呼びかけはしな〜い、遠く〜過ぎ去るものに〜♪」…という歌。

番組のDJ(ディスクジョッキー)は、そこそこに売れ出していたアリスの谷村新司さんだったので…、はじめは、てっきり、谷村さんの提供曲かと思いましたが、それが、小椋佳さんの「さらば青春」という歌で、それで小椋佳さんの名前を知りました。

それから、布施明さんが、小椋佳さんの「シクラメンのかほり」を歌って、大ヒットし、一躍、小椋佳さんの名がメジャーになりました。

その頃までは、シンガー・ソング・ライターというのは、その名に違わず、自分で作って自分で歌うという形式が多く、特に歌謡曲は、歌謡曲専門の作詞、作曲家の曲というのが定番でした。

   真綿色したシクラメンほど 清しいものはない
   出逢いの時の君のようです

当時は珍しかったシクラメンも、今では、スーパーなどでも売られていて、あちらこちらで見かけますが、このシクラメンのような「君」のような人は、あまり見かけませんね。(笑)

シクラメンの園芸品種はほとんど、香りがしませんが、最近は、野生種との掛け合わせとバイオテクノロジーの成果により、芳香性シクラメンが開発されて売られるようになりました。

   ためらいがちにかけた言葉に
   驚いたようにふりむく君に
   季節が頬をそめて過ぎてゆきました

詩の中にある比喩の使い方が、ほんとに見事です。
この比喩、直喩かな?、隠喩だったかな?…えっと、どっちがどっちか、すっかり忘れました(^^ゞポリポリ…そうそう、擬人法も使われてますねぇ、まるで国語の入試問題のようです。(笑)

さすがに、東京大学法学部卒業、元第一勧業銀行銀行員という感じがします。
…銀行員は関係ないか。(笑)
まあ、銀行員だけに、この作詞法「マネー」したいですね。(笑)

  木もれ陽あびた君を抱けば
  淋しささえもおきざりにして
  愛がいつのまにか歩き始めました

人と人とが出会った頃というのは、どうして、あんなにもお互いに輝いて見えるのでしょうか。
木陰の薄暗がりのなかで、まるで木もれ陽をあびたように、その人にスポットライトがあたっているように見えるものです。
そう言えば、この現象、フランスの作家、スタンダールは、これを恋愛における「結晶作用」として、有名な彼の恋愛論で述べています。

  疲れを知らない子供のように
  時が二人を追い越してゆく
  呼び戻すことができるなら
  僕は何を惜しむだろう

小椋佳さん…もちろん小椋佳はペンネームであり、この名前の由来は、「佳」の漢字がつく「佳穂里=かほり」さんという女性の名前にあやかったそうです。

もちろん、その女性とは…、この歌のように別れたから…このような詩が書けたと…、思っていたら、現在の小椋佳さんの奥様のお名前でした。(笑)

なお、ここのBGMで使わせてもらっています「シクラメンのかほり」のメロディラインは、実は「小椋バージョン」ではありません。
メロディラインが微妙に違います。
機会があったら、「小椋バージョン」の「シクラメンのかほり」を聴いてみてください。

(初稿1999.10 最終改訂2005.7)



シクラメンのかほり

作曲/作詞 小椋 佳

真綿色したシクラメンほど 清しいものはない
出逢いの時の君のようです
ためらいがちにかけた言葉に
驚いたようにふりむく君に
季節が頬をそめて過ぎてゆきました
うす紅色のシクラメンほど まぶしいものはない
恋する時の君のようです
木もれ陽あびた君を抱けば
淋しささえもおきざりにして
愛がいつのまにか歩き始めました

疲れを知らない子供のように
時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら
僕は何を惜しむだろう

うす紫のシクラメンほど淋しいものはない
後ろ姿の君のようです
暮れまど惑う街の別れ道には
シクラメンのかほりむなしくゆれて
季節が知らん顔して過ぎてゆきました

疲れを知らない子供のように
時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら
僕は何を惜しむだろう

1973年(昭和48年)
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