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閉ざされた部屋の窓を
開けてごらんよ
いつまでも そんな風に
塞いでいないで
「月日は百代の過客にして 行きかふ年も また旅人なり」
俳人松尾芭蕉の「奥の細道」の有名な冒頭ですが、芭蕉は、門人の曽良を旅の道連れとして、みちのくに点在する西行や宗祇など旅に生きた先人の跡をしのび、歌枕(歌枕は人に歌心を湧かせる場所、人の魂に揺さぶりをかける何かがある場所)を訪ねます。
いわば、芭蕉の旅は、歌枕を道標(みちしるべ)として、数百年の時空を越えて、たどろうとしたものといえます。
しかし、芭蕉の旅のように、頼りとする旅の道連れも、道標もない、わたしたちの、人生という名の、短いようで長い、旅の途上においては、どうしようもなく、落ち込んで、塞ぎこむことがあります。
とくに、一生懸命に頑張って、生きていこうと努力する人、まじめに責任感・使命感を持って、歩んでいこうとする人ほど、そんな傾向に陥りやすいともいいます。
今さえ良ければいい、自分さえ良ければいい…と、ただ漫然として、享楽的な人生を楽しむ、刹那主義的な人が増えている今日においては、そんな人は、貴重な存在だと思います。
でも、フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンのブロンズ彫刻「考える人」のように、考え込んでばかりいても、なにも解決しません。
閉ざされた空間の澱んだ空気の中で、下を向いて、座って、じっと考え込んでいても、なにも見えてはきません。
下を向いてでも、前を向いて歩いていけば、たまに十円くらいは拾えるかもしれませんし、犬のウンチを踏まずにも済むでしょう。(笑)
そこにはあの日 希望に燃えて
君が見上げた
青い空が 変わらずに
続いている筈だ
だから、どんなに考えても、答えの見出せないことは、しばらく思考を停止して、解決への模索を棚上げにして、ともかく、大きく窓を開けて、大きく深呼吸をして、果てしなく続く、青い空を見ることをおすすめします。
そう、いつかの日にも見た青空…。
その青空のもとに、一筋の道が、続くことを信じて…。
大空を飛び交う鳥たちよ
今よりはるか高くのぼれよ
青春を旅する若者よ
君が歩けば そこに必ず
道はできる…
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のために
この遠い道程のために 高村光太郎の「道程」より
永井龍雲さん、1957年福岡生まれ。
この歌は、1979年の秋頃から、テレビやラジオから、グリコのCMソングとして流れました。
その叙情的な歌詞とともに、透明な、かつ繊細な声は、まさしく、『ひとつぶの青春』にふさわしいものでしたが…。
しかし、1979年10月大阪厚生年金ホールでのリサイタルで、山口百恵さんは、三浦友和さんとの恋人宣言をします。
当時の百恵さんの人気を考えれば、突然の恋人宣言は、週刊誌のスクープへの対応というやむをえない事情があったとしても、衝撃的な話題を提供しました。
そして、グリコのCMが、当然、その前に流れていた、百恵さん、友和さんのツーショットCMに、差し戻すのも、話題性を何より優先するCMとしては、いたしかたなかったでしょう。
明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは 親鸞
グリコのCMとして、この曲がもっと長く流れていたとしたら…。
彼の人生もまた変わっていたかも知れません。
まさしく、彼の人生もまた「道標ない旅」といえるかも知れません。
それでも、彼は塞ぎこむことなく、ラジオのDJや映画評論をしたり、歌曲を提供したりして、いまも、歌いつづけています。
「桜桃忌」や「お遍路」なども、叙情的ないい曲です。
(初稿2002.9 未改訂) |