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「秋止符」―アリス

   左ききのあなたの手紙
   右手でなぞって真似てみる

あなたは、手を合わせて、祈るときのように指を組んだときに、いちばん上にくるのは、右手の親指ですか?
それとも、左手の親指が上にきますか?

親指が上にくる方の腕が、きき腕です。
腕を組んだときも、自然に上にくる腕が、きき腕と言われます。
つまり、組んだときに、左ききの人は左指や左腕が、右ききの人は右指や右腕が上にきます。

えっ、あなたは、左の小指が上にくる人ですか?
そんな人は、左ききではなくて、左巻きといいます。(笑)

さて、腕のうごきを支配するのは、司令塔である脳なのですが、ご存知のとおり、脳は左右(右脳・左脳)に分かれており、途中で交差しているため、腕と脳の左右は逆になっています。
つまり、きき腕は、右ききの人は左脳が、左ききの人は右脳が、発達しているからだと言われます。

右脳は、感覚脳とも言われ、感覚、感性が鋭く、雰囲気で行動するパターンに使われ、一方、左脳は、論理脳とも言われ、 論理的な思考や行動パターンに活用されていると言われています。

   いくら書いても埋めつくせない
   白紙の行がそこにある

だから、右ききの人が、左ききの人の文字を真似て書いたしても、そもそも、感覚や思考、行動形態が脳レベルから異なるわけですから…真似のできない、埋めつくせないところが残るのです。

もっとも、右きき、左きき同士でも、溝はできますから、これは脳そのものが白紙になっちゃった…と、考えた方が、気が楽です。(笑)

もっとも、血液型と同じように、右ききだからこうだ、左ききはこうだという決め付けはせずに、話のネタ程度にしましょう。

ちなみに、ぼく自身は、実生活においては、すべて右ききなんですが、この実験をすると、指組みでは左ききとなり、腕組みでは右ききとの判定になりますので、一人で、右きき、左ききとなり…やはり、一筋縄ではいかない、中〜途半端なやつです。(笑)

でも、ぼくの姉が、典型的な左ききで、母親に幼い頃から厳しく矯正された…のに、直っておらず、両手使いしてます。(笑)
左ききは、関西では「ぎっちょ」といわれ、昔は、とくに、女の子は不調法と嫌われ、明治生まれだった祖母は、初孫として生まれた姉の左ききを見て、娘である母親にその矯正を強く命じました。
おかげで、我が母親は、いまだにテレビなどで、左ききのタレントを見つけるのが上手です。(笑)

遺伝学的には、ぼくも、左ききの要因もあるのかもしれません。

   友情なんて呼べるほど
   きれいごとで済むような
   男と女じゃないことなど
   うすうす感じていたけれど

男女の間に友情は成立するか…というのは、ラブストーリーの中における永遠のテーマなんですが、それこそ、愛とはなにか、友情とはなにか…、を突き詰めて、考えてみる必要があります。
それこそ、論理的に左脳を使わないと行けませんので、正真正銘の純粋な右ききの方は、頑張って考えてください。(笑)
まあ、こればかりは、考えても答えは出ないでしょうが…。

   あの夏の日がなかったら
   楽しい日々が続いたのに
   今年の秋はいつもの秋より
   長くなりそうな そんな気がして

夏の日の恋…それこそ、青春時代のひと夏の恋は、真夏の炎天下のように燃えて、燃えて、その思い出も、夏の日の影のように、鮮やかにくっきりと記憶の中に焼き付けられるものです。
そして、夏が去り、日焼けなら、やがて薄れていくものですが…。
おっと、シミ・ソバカスになって残っていたりして。(笑)

そして秋…。

   夢を両手に都会に出て
   何もつかめず帰るけど
   やさしさの扉を開ける鍵は
   眠れない夜がそっと教えた

夢を抱いて、都会(まち)に出て行きます。
しかし、そうそうに、夢が叶うはずもなく、両手いっぱいの夢は、指のすきまから流れ落ちる砂のように、つぎつぎと流れていきます。
結局のところは夢破れて、帰ることになります。
でも、帰れるところがある人は、まだ幸せです。
帰れるところのない人は、相変わらず夢を探して…いや、探しているような振りをして、都会を、さまようしかありません。

   心も体も開きあい
   そこからはじまるものがある
   それを愛とは言わないけれど
   それを愛とは言えないけれど

人は孤独に生まれて、孤独に死ぬ…。
親子であれ、兄弟であれ、恋人であれ、夫婦であれ、愛し合った関係であれ、憎しみあった関係であれ、どんな関係を持った人間同士であったとしても、生まれてくるときも、死ぬるときも、やはりひとりなのです。

でも、ここまで、達観できるようになればいいのでしょうけど、また、一方では、ここまで、悟りの境地に至れば、もはや、お迎えを持つのみという感じもしますが。(笑)

いずれにしろ、人は、生きていく限り、人の肌のぬくもりを求め、そして、ときに傷つけて、そして、ときに傷ついて…それでもまた、人の肌のぬくもりを求めつづけていくものなんでしょう。
まさに、「ヤマアラシのジレンマ」そのものです。(笑)

   春の嵐が来る前に
   暖かい風が吹く前に
   重いコートは脱ぎすてなければ
   歩けないような そんな気がして

いずれにしろ、長い秋…そして、来るべき冬…。
そして、秋以上に、長く厳しい冬…。
しかし…、冬になれば、春遠からじ…。
それを信じて、しばらく重いコートの衿でも立てて、心だけは風邪をひかさないようにしてください。

お節介ながら、女性の方は、足腰から冷えるらしいですから、ババシャツと毛糸のパンツも、この際、穿きましょうか。
えっ、もう愛用してるって? それは失礼しました。(笑)


べーやんこと、堀内孝雄さんがアリスとしてソロをとったこの曲…朴訥に、語りかけるような哀愁ある歌い方は、その後、アリスの活動に終止符を打って、ソロ活動するべーやんの演歌風味の路線を示唆するものとして興味深いですね。
この曲は、いろんな人がカバーして歌ってますが、谷村新司さんのカバーは、アリスとして、また作詞者としての思い入れもあるのか、堀内孝雄さんとは違った味わいがあります。
でも、なんか、重いコートでも、すぐに脱がされそうな感じで、そう、手をつないで、体を開いて…、うん、そこからはじまるんですよ…って、耳元でささやくような…、すけべさが…いいですよ。(笑)

(初稿2002.11 未改訂)


秋止符

作詞 谷村新司
作曲 堀内孝雄

左ききのあなたの手紙
右手でなぞって真似てみる
いくら書いても埋めつくせない
白紙の行がそこにある

友情なんて呼べるほど
きれいごとで済むような
男と女じゃないことなど
うすうす感じていたけれど

あの夏の日がなかったら
楽しい日々が続いたのに
今年の秋はいつもの秋より
長くなりそうな そんな気がして

夢を両手に都会に出て
何もつかめず帰るけど
やさしさの扉を開ける鍵は
眠れない夜がそっと教えた

心も体も開きあい
そこからはじまるものがある
それを愛とは言わないけれど
それを愛とは言えないけれど

あの夏の日がなかったら
楽しい日々が続いたのに
今年の秋はいつもの秋より
長くなりそうな そんな気がして

春の嵐が来る前に
暖かい風が吹く前に
重いコートは脱ぎすてなければ
歩けないような そんな気がして

1979年(昭和54年)
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