|
大きく深呼吸をして…、
そして、静かに目を閉じてください…。
目を閉じて…、
さて、あなたは、何が見えましたか。
…懐かしき青春時代の想い出たちでしょうか。
…愛しき人の面影でしょうか。
…それとも、明日の自分の姿でしょうか。
目を閉じて何も見えず
哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より
他に見えるものはなし
いずれにしろ、静かに目を閉じて、いろんなものが見える…、思い浮かべることができる…、そんなときというのは、まだまだ心にゆとりがあって、平穏で、余裕があるときだと思います。
もちろん、目を閉じて、何も見えないときであっても、悲観をせずに、かのアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリの「星の王子さま」に登場するキツネのように、「大切なものは目に見えないんだよ。」という言葉を思い出して、つぶやいてみるのもいいでしょう。
でも、そんな慰めも癒しもひととき…、やはり目を閉じて、何も見えないのは、哀しいものです…。
追い詰められ、足元のぬかるみに身動きできず、絶望のふちにたたずむとき、人は、平常心を失い、目を閉じることさえ怖れおののき、それに耐えて目を閉じたとしても、やはり何も見えないものです。
そして、たまらなくなって、目を開けて見れば、やはり目の前に見えるものは、茫洋たる荒野の風景のみ…。
ああ 砕け散る 宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
人はいかなる星のもとに生まれ育ち、どのような定めのもとで生きていき、そしていかなる星のもとへと帰っていくのでしょうか。
しかし、どんな星のもとであれ、宇宙の幾多の生々流転の生命の中で、人として生まれた不思議、やはり、人として生まれた限りは、人として生きていかなければなりません。
行く末の見えないブラックホールのような暗闇の道を、わずかな光明をたよりに、たとえ、おぼつかない足取りであったとしても…。
呼吸をすれば胸の中
凩は吠き続ける
されど我が胸は熱く
夢を追い続けるなり
人は、好むと好まざるに関わらず、この人の世の中で、息づかいをしながら、生きていかなければなりません。
生きるのが不器用な人が、人の世の中で、吸う息は、ときとして、胸の中を凍らせるほどに、冷たいものがあります。
でも、そんな逆境の中に身を置いたとしても、その胸の中から、吸ったのちに吐かれる息は、白く、熱く、みずからを包み込む温かさがあるはずです。
なんと言っても、胸の中には、やはり熱があります。
自らの夢を追い続ける限り、熱が生まれます…。
たとえ費(つい)えた夢と半ば思っている夢であったとしても…。
ああ さんざめく 名もなき星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ
我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ
人の世の営みは、時代が変わっても、悠久のときを刻みつづけながら、連綿と続いていくものです。
ああ いつの日か 誰かがこの道を
ああ いつの日か 誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ
人生という道は、多くの人との出合い、交わり、支えあいがあるとしても、結局はひとりで行くしかありません。
ときとして、その道すがら、孤独にさいなまれることがあります。
でも、その道は、決して、あなただけが行く道ではないはずです。
多くの人もまた、歩んでいる道だと気がつくとき、少しでも前に向かって、歩き始めることができるのだと思います。
さあ、歩き始めましょう…。
見えない手をつないで…、…おおきに、ありがとう…。
昴(すばる)という星は、清少納言が枕草子の中で「星はすばる」とたたえたほどに、むかしから、多くの人に愛された有名な星です。
統一するという動詞の「統(す)ばる」に由来し、「六連星(むつらぼし)」という異名があるように、実は多くの星の集まりです。
凛とした冬の夜空と言えば、長方形に三つの星が並んだオリオン座が、天空高くに、ひときわ目立ちますが、オリオン座は、このすばるを追いかけるようにして昇ってきます。
中国では、昴宿(ぼうしゅく)と言いますが、世界的には、散開星団プレアデスと呼ばれています。
この歌は、谷村新司さんの大ヒット曲、ヒットしすぎて、かなり世代の上の人がカラオケなどで歌いだしたときは、アリス時代からのファンとしては、なんとも複雑な感情を抱きました。
目を閉じて何も見えないのは、あたりまえやんか、閉じて見えたら、夜、うるさぁ〜て、眠れんやんか…なんて悪態ついて。(笑)
しかし、二十数年の歳月が流れるなか、さまざまな人生経験を曲がりなりにも積んできた今となって、この歌詞の意味が、また違った意味で、受け止めれるようにもなりました。
わたしも含め、名もなき地上の星たちさんへ、この歌を捧げます。
(初稿2003.1 未改訂) |