|
長崎の夏の風物詩、精霊流し…。
でも、精霊流しというと、なにか、物寂しげなイメージがあります。
古都京都の近くで育ったぼくにとっては、精霊流しのイメージといえば、「大文字の精霊送り火」と、京の地蔵盆を彩る化野(あだしの)念仏寺の「千灯供養」。
そして、ほんとうは、季節の単なる風物詩扱いにしては、いけないことなんですが、新聞やテレビで報道される、広島の原爆忌に際して、川に流される「灯篭流し」のイメージ。
いずれにしろ、精霊流しは、おごそかにして、しめやかに…行われるものとのイメージを持ってました。
ずいぶんと、前のことですが、長崎出身の義兄の帰省について行って、精霊流しを見せてもらいました。
実際の長崎の精霊流しを見ると、そのイメージは一変します。
去年の貴方の想い出が
テープレコーダーからこぼれてきます
貴方のためにお友達も集まってくれました
長崎では、精霊流しが始まる前に、お墓参りをします。
坂の多い長崎は、やはりお墓も、山の手の段々畑のような墓苑にあって、そこで、故人と有縁の親族や友人たちが集まり、墓前で、飲食をともにします。
墓前で、爆竹やロケット花火をしている一族もいるようです。
そして、夕暮れが近づくと、街の方から、激しい怒涛の波のような音が、山の手の墓苑にまで押し寄せてきます。
不思議に思うまもなく、街に下りると、理由がわかります。
街は、多くの人たちのざわめきの中で、お囃子のように打ち鳴らされる鐘の音、爆竹の音、硝煙のにおい、…まるでお祭りのようです。
メインストリートには、さまざまな精霊船が通ります。
プラ模型のような、お神輿のような、小さなのものもあります。
子供の遺影が飾ってある小さな船に、赤ん坊を抱いた母親が、うつむきがちに寄り添っている姿を見ると、思わず胸が痛みます。
線香花火が見えますか 空の上から
一方、本物の船と変わらぬくらい大きな精霊船があります。
大きな船には、菱形の灯籠と初盆を迎える人の遺影が高く掲げられ、喪主や遺族らしき人が船の先頭を歩きます。
一家、一族以外にも、町内会単位の船も有ります。
船のそばには、そろいの法被を着ている男の人が手伝い、爆竹を鳴らし続け、沿道の地元の人たちも、船に向かって爆竹を投げつけて、打ち上げ花火で送ります。
僕も知らない方から爆竹を貰ったので、参加しましたが、慣れないために、投げる前に自分の手元、足元でパン!、パン!、パチ!、パチ!と鳴って、逃げて、踊るような格好になり、それを見て、みなが遠慮なく、お構いなしに、笑いあいます。
私の小さな弟がなんにも知らずに
はしゃぎ回って
精霊流しが華やかに始まるのです
小さな子供だけでなく、精霊流しは、はしゃぎたくなるほど、お祭りのように、明るく、にぎやかで、華やかでした。
約束通りに貴方の嫌いな
泪は見せずに過ごしましょう
そして黙って船の後をついて行きましょう
船はみなの手で、港まで運ばれて、流されます。
現在は、海の環境問題から、直接は流さずに、大きな船に積みこむだけですが、ともかく、そこで、すべては終わります。
見物していた観光客も、波が引くように帰ったあと…。
あとは、一転して静かな時間が訪れます。
往路とは違って、少数の近親者遺族だけが、鐘を静かに、チン…、チン…、と打ち鳴らしながら、帰路につきます。
鐘の音だけが、静かに響きわたります。
人混みの中を縫うように
静かに時間が通り過ぎます
貴方と私の人生をかばうみたいに
その情景を見て、精霊流しが、なぜ華やかに行われるのか、そして、精霊流しというセレモニーのほんとうの意味が、少し分かったような気がしました。
叙情派フォークの代表選手、さだまさしさんについては、結構、好きなので、また別に書くことにします。
(初稿1999.8 最終改訂2001.8) |