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時には思い出ゆきの 旅行案内書にまかせ
“あの頃”という名の駅で下りて
“昔通り”を歩く
少年時代、漫画週刊誌の発売日によく駆け込んだ、商店街の入り口にある小さな本屋さんが、いつしか消えてしまってました。
活字離れ、出版不況といわれて久しく、またコンビニエンスストアなどがあちらこちらに出来て、雑誌や売れ筋の品揃えしかできない街角の小さな本屋さんの経営なんかはもう成り立たなくて、代わりにそれを吸収する形で、ターミナルビルなどに大規模な書店が増えました。
人と待ち合わせをするとき、ぼくはよく、そんな大きな本屋さんの前で待ち合わせをします。
ぼくみたいな方向音痴でも、その場所は分かりやすい目印になるし、多少、早めに行って立ち読みしたりして、相手が遅れてきても、苦にならないからです。
そんなとき、よく探すのが、思い出ゆきの旅行案内書(ガイドブック)です…、もちろん、まあ、どんなに品揃えのいい書店にも置いてませんし、取り寄せもしてくれません。(笑)
でも、そんな本があれば、確かにそれを道先案内として、イメージの旅に出れるでしょう。
このご時世ですから、運賃も宿泊費も要らない旅もいいかも。(笑)
人それぞれに、「あの頃」という駅があって、さらに、人それぞれに名づけられた「昔通り」を歩く…。
いつもの喫茶には まだ時の名惜りが少し
地下鉄の駅の前には“62番”のバス
鈴懸並木の古い広場と学生だらけの街
ところで、ここで、この歌の旅が海外だったと気がつきます。(笑)
だって、「地下鉄」は、「ちかてつ」ではなく、「メトロ」と読ませ、また「鈴懸」は「プラタナス」と読ませるから、フランスのパリっぽい雰囲気があります。
じゃ、広場は、凱旋門広場かな、並木道はシャンゼリゼ通りなのかな、じゃ、学生だらけの街って、どこのあたりなんやろ。
と、まあ、行ったことないから、考えても全然分からないけど、でも、日本でも、似たような、そんな場所はありますよね。
強がり、負け惜しみ言う前に、やはり、ガイドブックは、Japanese版にしとくべきでしょうね。(笑)
そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる
澄み切った青い空と白っぽいTシャツ…、雪模様の空と黒っぽいダッフルコート…、はるか遠く、彼方に過ぎ去っていった思い出たちは、セピア色の中に沈んでいるのに、何故か、ひとつのワンシーンだけが、総天然色で鮮やか記憶していることがあります。
もっとも、昨夜の晩飯のメニューすら、忘れるようになった今日この頃ですが。(笑)
“或いは”“もしも”だなんてあなたは嫌ったけど
時を遡る切符があれば欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって…
I wish I were 〜、確か、反実仮想という言語表現法でしたね。
はるか昔の受験英語で習って、唯一覚えてることですが。(笑)
I wish I were a bird
直訳すれば、私は鳥だったことを望む、なんですが…転じて、鳥だったら良かったのになぁ、鳥だったら自由に空を飛べるのになぁ。でも、現実は鳥ではない…。だから自由に飛べない…。
でも、過ぎたことに対して、「あるいは」「もしも」の選択肢を考えてみても、反省の材料にはなっても、何も前に進めない。
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で 選んだ以上精一杯生きる
ひとしきり、振り返った後で、現実に戻らなければならない。
人生をひとつの物語になぞらえることがあります。
そして、その物語の中心人物となるのは、もちろん主人公…すなわち自分であるはずです。
自分の人生の中では
誰もがみな主人公
しかし、時として、そのシナリオは、主人公らしからぬ主人公の振る舞いを、無慈悲にも、主人公に要求する場合があります。
自分という主人公が、歩みし道を振り返ると、果たして自分の人生で自分が、ほんとうに主人公だったのかなって、ふと、そんな気持ちに駆られることも多いような気がします。
それでも、なお…。
私の人生の中では
私が主人公だと
そう言い聞かせて、歩むしかないのです。
(初稿2002.4 未改訂) |