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突然の雷が 酔い心地 春の宵に
このままじゃ夜明けまで 野ざらし ずぶ濡れ
春の雷に 白い花が散り
桜 花吹雪 風に消えて行く
季節の変わり目を感じるものといえば、まずは、気温が上がったり、下がったりすることを思い浮かべますが、近年は、地球温暖化の影響か、その変化が、昔ほどはっきりとしなくなったような気がします。
また、家庭や職場などの冷暖房空調機の普及等が、さらに季節感を喪失させているような気もします。
しかし、そうはいっても、やはり地球の北半球では、総じて、冬は寒くなり、夏は暑くなるものです。
そして、夏の暑さがひと段落するのは、一般に秋のお彼岸の頃までといわれ、また冬の寒さが落ち着くのも、春のお彼岸の頃といわれています。
つまりは、「暑さ寒さも彼岸まで」ということですが、まさに、彼岸の中日が、秋分の日(9月23日頃)や春分の日(3月21日頃)であるというのが、やはり古来からの感覚として、言い得て妙と感心します。
しかし、気温の高低もさることながら、温帯雨林気候に属する日本の場合には、季節の変わり目には、雨や雪が降ることが多いように思います。
降雨や降雪は、上空の大気が不安定になり、雲を発達させるからですが、さらに大気が不安定なときには雷雲が成長して、雷を発生させます。
前触れもなく、突然に、閃光が走り、また、大きな音が鳴り響きわたる雷のことを、これを霹靂(へきれき)と呼びます。
これをたとえて、予期せぬ、衝撃的な大事件が起きることや、人を驚かすような変動が生じることを、晴天の霹靂などとも言います。
季語としては夏を表す雷ですが、夏に限ったものではなく、梅雨明けや、夏の終わりを告げる雷や、そして冬の雷、つまり冬の稲妻もあります。
そして、その冬の終わりを告げる春先の雷が、春雷です。
ともかく、春の雷、春雷が印象深いのは、そろそろ暖かくなり、まもなく花が咲こうかという季節、浮き浮きとした気持ちになるときに、それをあたかも打ち砕くかのように、雷が鳴り響くからでしょうか。
その雷が、春を告げる雷であり、確かに春が来ている、しるしになると、分かっていたとしても、人をして、不安げにさせます。
でも、確かに春雷のあとに、春がやって来ます。
過ぎた日を懐かしみ 肩くんで涙ぐんで
別れたあいつは今 寒くないだろうか
春の雷に 帰るあてもなく
桜 花吹雪 家路たどるふり
世の中は 三日見ぬ間の 桜かな
桜の季節になると、よく耳にする言葉ですね。
よく耳にするので、うっかりすると聞き流してしまいそうですが、これの本来の句は次のとおりです。
世の中は 三日見ぬ間に 桜かな
大島蓼太
さて大島蓼太(りょうた)というのは、松尾芭蕉にあこがれて、芭蕉没後の蕉門俳諧の変節を嘆いて、蕉風復興運動に尽力した江戸時代の俳人です。
しかし、皮肉なことに、彼の残した名句も、人口に膾炙(かいしゃ)するうちに、いつのまにか、「に」が「の」に変節していったのですね。
やはり人智をもってしても、抗(あらが)うことのできないのが時間(とき)の流れなんでしょうか。
助詞の「の」と「に」のたった一字が違うだけなのですが、意味が異なってきます。
つまり「三日見ぬ間の桜かな」では、三日見ない間に、桜は散ってしまったという意味になりますが、「三日見ぬ間に桜かな」では、三日見ない間に、桜が咲いてしまった、という意味になります。
どちらも、世の中の移り変わりの速さを意味するところは同じですが、散るのと、咲くのとでは、かなりニュアンスが異なってきますよね。
散りゆく桜に、なにを思うでしょうか。
咲き誇るような桜に、なにを思い出すでしょうか。
あの日、あいつと見た桜。
あのとき、あの人と眺めた桜。
うれしさに見上げた空に舞う桜。
うつむきがちに歩き踏みしめた桜。
さまざまな事 おもひ出す 桜かな
松尾芭蕉
まあ、もっとも、こんな句もありますけどね。(笑)
散る桜 残る桜も 散る桜
伝 良寛和尚 辞世句
声なき花の姿 人はなにを想うだろう
まして散りゆく姿 この世のさだめを
春の雷に 散るな 今すぐに
桜 花吹雪 命つづくまで
いずれにしろ、いつまでも咲き続ける桜がないように、いつまでも生き続けるいのちもないのです。
いずれにしろ、遅かれ、早かれです。
そして、昨日は昨日、明日は明日、再び戻る今日がないように、過ぎていかない時間(とき)もまた、ないのです。
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
「代悲白頭翁」−劉廷芝
季節がめぐって、また花の季節がやってきて、花が咲いて、花の姿は毎年変わらなくても、その花を見る人の方は、毎年変わっていきます。
祖父母、父母、兄弟、姉妹、夫、妻、我が子、孫、家族、恩師、同級生、先輩、後輩、知人、友人、親友、彼、彼女、恋人などと、縁あってめぐり合った多くの人たちと見た花。
花はあの頃と少しも変わりはしないのに、その花を一緒に見たはずの人は、時がめぐれば、そばにいなくなり、もう一緒に見ることはないでしょう。
春の雷に 散るな 今すぐに
桜 花吹雪 命つづくまで
そして、それが、この世の定めならば、ただ諦めて、嘆き悲しむしかないのでしょうか。
いえ、そうではありません。
残されたものの特権があります。
もう一緒に見ることもない人たちのことを、いつでも自由に思い起こすことができる特権です。
生きているからこその特権です。
思い起こすことに、相手の許可も同意もいりません。
そして、あのときの、悲しみの顔をほほえみの顔に変えて、うめき声を笑い声に変えて、悲涙を嬉し涙に変えて、自由に思い起こすこともできます。
そして、その思い出たちに、あの頃の高鳴る胸の鼓動のような春雷を添えて、まるで一緒に花を見ているような気持ちで、どきどきとして、わくわくとして、春の季節を迎えることができれば…。
雷という字に、草かんむりを冠すれば、蕾です。
春の雷に、若草の冠を添えれば、ほら春の蕾。
その蕾は、沈丁花のような香りがするのでしょうか。
でも、ほら、そう…、もう寒くはないでしょう…。
そうです…、春はそこまで来ていますよ…。
この曲は、ふきのとうの7枚目のアルバム、「人生・春・横断」に収録されていますが、アルバムより先に、シングルで1979年(昭和54年)2月25日に発売されています。
ふきのとうといえば、1974年(昭和49年)の「白い冬」がもっとも有名なんですが、この曲も人気の高い曲で、とくに春雷のとどろくような雷鳴をイメージさせるイントロは印象的です。
作詞作曲の山木さんの母親が病に倒れて、その病気回復を願って作ったというエピソードがあり、その願いもむなしく、この世の定めとはいえ、この曲が出た翌年に母親を亡くされたそうです。
山木康世さんと細坪基佳さんの二人組みのフォークデュオ、ふきのとうの結成から解散までの18年間、決して短い時間ではなかったはずです。
是非とも、もういちど二人で肩組んで、いつかかならず、ふきのとうを再結成してほしいと思うのは、熱心なファンならずとも、思うものですね。
(初稿2007.3 未改訂) |