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桃花鳥(とき)が七羽に減ってしまったと
新聞の片隅に
写りの良くない写真を
添えた記事がある
2003年(平成15年)10月10日、一羽の鳥が、大きく翼をはためかせて、飛び立ったかと思うまもなく、狭いケージの扉に頭を打ちつけて…死んだ。
これが、日本産最後の桃花鳥=朱鷺(とき)の「キン」(雌・推定年齢36歳)の最後だった。
これで日本産野生種のトキは、日本の空にふたたび、そのまぼろしの翼をはためかせることなく、全滅した。
トキの体長は約75cm、翼を開いた長さは約160cmで、体形はシラサギ類に似ているが、 脚は短めで、全体的にずんぐりしていて、黒色の嘴は長く湾曲して、後頭部には長い冠羽がある。
桃橙色(いわゆるトキ色)が、全身と翼の下面にほんのりと薄く、そして顔の大部分と脚が鮮やかに濃く、色づいている。
ニッポニア・ニッポンという名の
美しい鳥がたぶん
僕等の生きてるうちに
この世から姿を消してゆく
動物界・脊椎動物門・鳥綱・コウノトリ目・トキ科・トキ属・トキに分類されるトキの学名は、ニッポニア・ニッポン(Nipponia nippon)と言う。
これは、江戸時代の長崎出島のオランダ商館医であったシーボルトが、極東の珍しい鳥として紹介し、トキの標本を持ち帰ったために、日本を代表するような学名がつけられた。
もちろん、トキは、日本書紀にも「桃花鳥」として登場するくらい、古来から、日本に馴染み深い鳥だが、かっては日本全国各地どころか、ロシアや朝鮮半島、中国大陸にも広く生息していた。
ニッポニア・ニッポンが、ニッポンという国で全滅したのは残念だが、現在、世界で唯一、全滅を免れている中国産のトキも、生物学的には同種のトキ、つまりは、こちらも、ニッポニア・ニッポンである。
考えてみれば、鳥には、羽ばたける翼があり、空を自由に飛び交うことができるから、日本海であろうと、イムジン河であろうと、38度線であろうと、鳥たちに飛べる体力がある限り、なにも関係がない。
見えない国境線を、連なる山々の地上に、大海原の海上にひいているのは人間の勝手な所業に過ぎないのだ。
中国でも、トキの全滅が危惧されて、保護飼育されているが、今後緊密な日中間のトキ保護について協力関係を続けて、いつの日か、日本海を、自由に飛び交うトキの姿が見られるといいなと思う。
わかってるそんな事は たぶん
ちいさな出来事 それより
君にはむしろ明日の
僕達の献立の事が気がかり
日本において、トキが急激に数を減らしたのは、銃による狩猟が普及した明治時代になってからで、羽毛と肉を目的とする乱獲が原因だった。
人間の利便性と食欲の餌食となったと言える。
1908年(明治41年)に、トキはようやく「保護鳥」に指定されるものの、保護の具体策を欠いていたため、野生個体の減少は止まらず、大正末期には絶滅したものとみなされた。
しかし、1932年(昭和7年)に棲息しているのが確認され、1934年(昭和9年)には「天然記念物」、そして、戦後の1952年(昭和27年)には、「特別天然記念物」の指定を受け、1960年(昭和35年)には、「国際保護鳥」の指定も受けた。
しかし、エサとなる水辺や湿地の小動物が、農薬や開発により少なくなり、また戦後の農地解放や宅地転用などの要因も加わり、1981 年(昭和56年)には、新潟県佐渡島の5羽を残すところとなり、これを捕獲して、ようやく人工繁殖を試みることになるが、「トキ」すでにおそし、日本のトキは全滅した。
I'm all right I'm all right
それに僕は君を愛してる
それさえ間違わなければ
動物界・脊索動物門・哺乳綱・霊長目・ ヒト科・ ヒト属ヒトに分類されるヒトの学名は、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)と言う。
このヒトという生物は、地球上で、他の動物にない知恵という能力により、大いに繁殖した。
しかし、その繁殖ゆえか知恵ゆえかどうか知らないが、生物学的には極めて稀な場合にしか起こらない、同一種同士が殺しあいを行うという特性があるので、ヒトが他の動物を全滅するまで殺していくことは、自然の摂理なのかもしれない。
でも、やはり、なにか間違っているような気もする。
しかし、間違っていないような気もする。
殺人が日常となって、非日常であった戦争と言う大量殺人も日常となっていき、何が異常で何が正常なのかの判断も怪しくなっていく…。
今若者はみんなAMERICA
それも西海岸に憧れていると
雑誌のグラビアが笑う
そういえば友達はみんな
AMERICA人になってゆく
いつかこの国は無くなるんじゃないかと
問えば君は笑う
ならば、ヒトの世界で、一番強い群れであるのがAMERICAという個体群なんだから、そして、動物界では、強いものが正しいのだから、その正しいAMERICAを世界の中心にすればいい。
そして、できれば、みんながAMERICA人になってしまえば、ひょっとして、地球上のヒトとヒトが殺しあうのも、多少は減るのかも知れない。
そんな夢想にふけるしかないのか。
でも、やはり、なにか間違っているような気もする。
しかし、間違っていないような気もする。
馬鹿だねそんな風に 自然に
変わってく姿こそ それこそ
この国なのよ さもなきゃ初めから
ニッポンなんてなかったのよ
1999年(平成11年)8月、ある法律が施行された。
(国旗)
第一条
1 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条
1 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二の
とおりとする。
「国旗及び国歌に関する法律」である。
法制化が急がれた背景には、卒業式での君が代斉唱や日の丸掲揚に反対する教職員と文部省・県教育委員会との板ばさみに遭った、広島県立高校の校長が自殺するという事件があった。
しかし、奇妙な法律である。
法の是非はともかく、国旗とはなにか、日の丸とはなにか、国歌とはなにか、君が代とはなにか、それをどう取り扱うのかが、なんら規定されていない。
もちろんそれを規定しようとすれば、賛否両論、さまざまな軋轢(あつれき)を生むからということであろう。
法律さえ作ってしまえば、あとは、既成事実を積み重ねて、なし崩し的に、自然に変わっていくということなんだろうか。
ニホンオオカミも全滅したし、ニホンカワウソも全滅したらしいから、やがて、ニホンジンも、全滅危惧種に加わるのだろうか。
I'm all right I'm all right
そうだねいやな事すべて切り捨てて
こんなに便利な世の中になったし
むかし、都会では自殺する若者が増えているなんて、新聞の片隅に書いてあったけど、都会でも、田舎でも、老いも若きも、自殺するようになったから、10年はひとむかし。
そして、新聞の片隅に、ポツンと小さく出ていたのはリサイタルの記事だったけど、あれもむかし。
つまりは、むかし、桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に書いてあった…。
難しいことは誰かに任せて、テレビでも見よう。
どこかの国で戦さが起きたと
TVのNEWSが言う
子供が実写フィルムを見て
歓声をあげてる
皆他人事みたいな顔で
人が死ぬ場面を見てる
怖いねと振り返れば
番組はもう笑いに変わってた
1963年(昭和38年)11月、「ニホン」と「AMERICA」の間で開始されたテレビの衛生中継で、まもなく飛び込んできたNEWSは、ケネディ大統領暗殺の衝撃的なNEWSだった。
1950年(昭和25年)〜1953年(昭和28年)の朝鮮戦争や、1960年(昭和35年)〜1975年(昭和50年)のベトナム戦争では、航空便による空輸フィルム映像が主だったけれど、1991年(平成3年)の湾岸戦争からは、衛生中継によるリアルタイムの映像になった。
テレビの画面の片隅にある「LIVE」の文字。
そう、数秒前に起こった、人が死ぬ瞬間を見ている。
そう、「LIVE」…なのに、「DEAD」…。
わかってるそんな事は たぶん
ちいさな出来事 それより
僕等はむしろこの狭い
部屋の平和で手一杯だもの
I'm all right I'm all right
そうともそれだけで十分に僕等は忙し過ぎる
「大本営発表、帝国陸海軍ハ、本八日未明、西大平洋ニオイテ、米英軍ト戦闘状態ニ入レリ。」と、 ラジオが、真珠湾攻撃による日米開戦を告げたのが、 1941年(昭和16年)12月8日。
そして、「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。」と、昭和天皇の「終戦ノ詔書」の玉音放送があったのが、1945年(昭和20年)8月15日。
この間、わずか4年足らずだ。
この短い間に、いったい何人のニホンジンが死んだのだろう。
そして、世界では、いったい何人の人間が死んだのだろう。
桃花鳥が七羽に減ってしまったと
新聞の片隅に……
わかってる、そんな事は、たぶんちいさな出来事に過ぎない。
少なくとも、いまの現実の生活(くらし)との関わりにおいては、取るに足らない出来事。
あまり関係のないこと。
だから無関心でもしかたない。
でも、そう思おうとしている反面、どこか心の片隅にあるわだかまり。
反戦だ、平和だと、こぶしを振り上げて、シュプレヒコールのデモの波が消えたあとに、打ち上げられた貝殻のように、残る心のわだかまり、そして、夢の轍。
ともかく、夢の轍にとらわれないように、しかし、やはり夢の轍にこだわって、反戦や平和の心を失わないようにしていきたい。
そう、戦後がいつまでも長く続きますように…。
決して、前夜と呼ばれる時代にしないために…。
この曲は、「夢の轍」という、かなり地味で、「微熱」「償い」などの名曲も収録されているものの、さださんのアルバムとしては、かなり売れなかったといえるアルバムに収録されています。(笑)
しかし、このアルバムの翌年に、「風のおもかげ」というアルバムが出るのですが、この中に、「祈り」という曲があり、この曲と、「前夜(桃花鳥)」を聴けば、さださんの主張が分かると思います。
「祈り」
悲しい蒼さの 広い大空を
小さな鳥が一羽 海を目指してる
鳥を撃たないで 約束の町へ
ひたむきに羽ばたく夢を消さないで
誰もが時の流れに 傷つき疲れ あきらめそして
いつしか生まれた時の 溢れる程の愛を見失う
この町がかつて 燃え尽きた季節に
私達は誓った 繰りかえすまじと
生命を心を 奪い去ってゆく
ちからも言い訳も総て許せない
私は祈る以外に 知恵も力も 持たないけれど
短い花の生命を ささやかなこの愛で染めたい
その後、さださんは、1987年(昭和62年)8月6日、故郷の長崎市で「長崎から広島に向って歌う」を基本コンセプトにして、平和チャリティー・コンサート「夏・長崎から」を開催しています。
さだまさしさんらしい、反戦活動だと思います。
(初稿2005.8 未改訂) |