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僕の病室 君のそろえた
青い水差しと 白いカーテン
子供の声に 目覚めれば 陽射し
坊やが窓越しに 笑顔でおはよう
病室のある建物のことを病棟と呼びます。
大きな病院では、区分されて、内科病棟、小児科病棟、外科病棟など、診療科によって分かれます。
もっとも、建物の位置関係から、西病棟とか東病棟とかで呼ばれる場合もあり、またひとつの診療科ではなく、複数の診療科の患者が入る混合病棟は、いわゆる、雑居病棟などと呼ばれる場合もあります。
小学生の頃によく入院していた病院は、総合病院ながら、さほど大きくない民間病院であったために、ほとんどの病室が雑居病棟にありました。
とくに低学年の入院のときは、よく言えば面倒見のよい、悪く言えばお節介なおばあちゃんたちがいる老婦人の病室に入れられていました。(笑)
ぼくの老婆心はここで育まれた…のかな。(笑)
たった今飲んだ薬の数さえ
すぐに忘れてしまう彼女は
しかし
夜中に僕の毛布をなおす事だけは
必ず忘れないでくれた
「療養所(サナトリウム)」―さだまさし
中学生になってからの入院は、大きな公立病院の小児科に、ぼくの病気と関係の深い専門医が医長として赴任してきたので、そこの小児科病棟で、大学一年のときまでお世話になりました。
えっ、大学生になっても、小児科だったのって?
まあ、ぼくのように、純真で素直で可愛い子はなかなか小児科が手放してくれなくて(^^ゞ
…ちゅうのは、もちろん冗談で。(笑)
一般に、子どもは、生後28日までを新生児、1歳未満を乳児、1歳から8歳くらいを小児と区分されますが、病院の小児科で言うところの小児は、とくに定義はないようですが、一般に15歳の中学生くらいまでを対象年齢にしているところが多いようです。
もっとも、初診が中学生になってからだと、大人と一緒の内科などに案内されることも多いようで、その逆に、先天性疾患などで、ずっと小児科で診ている場合には、高校生くらいまでは小児科になります。
ぼくの場合は、今でも、受診科としては小児科であり、主治医はもちろん小児科医、つまり純真で素直で可愛い子はなかなか手放してくれなくて…って、もういいか。(笑)
そんなわけで、結構、大きくなるまで小児科病棟でお世話になっていたので、小児科病棟には詳しいのです。(笑)
えっ、小児科病棟ではなく、小児科の若い女性の看護師さんに詳しいんやろって? (^-^; ドキッ! (笑)
あの子の部屋は 僕の真向い
お見舞の 苺が見える
やがて注射はいやだと泣き声
いずこも同じと 君が笑う
小児科病棟では、性別や内科、外科などの療養内容の違いや重症度の区分のほかに、年齢構成で病室を振り分けるのが一般的だと思います。
まあ5歳の患者と15歳の患者では、同じ小児科患者といっても、かなり扱いが異なりますから、部屋を分けざるを得ませんが、成人病棟では提供されない「おやつ」などは同じようにもらえます。(笑)
「おやつ」をあげないと、きっと年長の子が小さな子の分を巻き上げてしまうからでしょうね。(笑)
中学生の頃に入院したときの話。
もちろん小児科病棟。
あるとき、同室の小学生高学年くらいの男の子に、今日から薬を変えるからねと、新人の女性の看護師さんが説明にきました。
彼女は彼に、医師からの指示どおりに、その薬の副作用として、朝、あそこが立つことがある、ということを説明をしました。
彼は、少し心配そうな顔つきで神妙に説明を聞いていましたが、彼より少し年長のとなりのベッドの男の子は、他人事ですから、彼女に、あそこが立つって、おちんちんが立つってことやなと尋ねます。
まあ小学生ですから、恥ずかしげもなくです。(笑)
彼女はうなづいて、そうよ、でも心配しなくてもいいのよ、すぐにおさまると思うからねと、答えます。
でもな、たぶん、おしっこはしにくいでぇ、上に飛び散りよるんやでぇ、と、年長の子が年下の子に、聞かれてもいないのに、得意げに先輩風吹かして体験を語ります。
年下の子もまだ無邪気なもので、その意味を、病気がちゃうのに同じ薬を飲んだことあるんかと、年上の彼に聞き返します。
年上の彼は、薬飲まなくても、おちんちん立つことあるんやで、ねぇ、ナースさん、と彼女に同意を求めます。
彼女は、看護師としての職務に忠実に、使命感に燃えて、まじめに、まじめに答えていました。
しかし、まじめになればなるほどに、おちんちんはね、おちんちんがさ、おちんちんがよ、という言葉が、彼女と少年たちのあいだで飛び交いました。
年長の中学生組は、そのやりとりがおかしくて、くすくすと笑いながら聞いていました。
その視線を感じて、彼女は、あとは、あの兄ちゃんたちに聞いてよ、わたし、女の子やから、そんなことよう分からんしと、ぷりぷりしながら、出て行きました。
もちろん、あとで、ぼくたち兄ちゃんたちが、教育的なお話しを続け、フォローをしました。(笑)
公立病院や大学病院など、大きな病院になればなるほど、重症の難治性疾患の小児科患者が集まり、彼らは、ものごころついたときにはベッドにいて白衣に囲まれて、いわゆる病院慣れをしています。
とくに年長組みの患者になると、年少組みの患者を子分のように従えており、夜中に騒いでいて注意されたナースさんへの仕返しに、その子分にスカートめくりをさせたり、ブラジャーのひもをパッチンをさせたり、といったワルさもしました。(笑)
もちろん、子どもの頃からの病気の患者は、遊び盛りを十分に遊んできてませんから、口は達者でも、実質は気弱で、ほんとのワルにはなれません。
とくに年齢も近い病棟実習の看護学生さんなどとは、すぐに親しくなって、仲良くなって、実習の終わる頃や退院間近になると、住所や電話番号を書いてもらうつもりでメモ帳を渡しますが、言い出せずに、話題に出たナイチンゲール誓詞などを書いてもらったりするのが、関の山です。
このあたり、なぜか妙に具体的な話です。(笑)
ナイチンゲール誓詞のナイチンゲールとは、もちろん、看護師を「白衣の天使」と呼ぶ由来にもなり、偉人の伝記としても登場する有名なイギリスの女性看護師、フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)のことです。
彼女が、近代看護学の普及に尽力した功績を讃えて、アメリカの看護学校で、ナイチンゲール誓詞として作成されたものといわれています。
看護師養成学校の戴帽式や卒業式では、キャンドルの光の中で、ナースキャップを与えられ、この誓詞を感動の中で唱和するそうです。
この話、何人のナースさんから聞かされたか。(笑)
そんときだけ、みなさん、ウルウルです。(笑)
ですから、知らないナースさんはいないはずですが、忘れたというナースさんは多いようです。(笑)
われはここに集いたる人々の前に
厳かに神に誓わん。
わが生涯を清く過ごし、わが任務を
忠実に尽くさんことを。
われはすべて毒あるもの、
害あるものを絶ち、
悪しき薬を用いることなく、
また知りつつこれをすすめざるべし。
われはわが力の限り、わが任務の標準を、
高くせんことを努むべし。
わが任務にあたりて、取り扱える人々の
私事のすべて、わが知り得たる一家の
内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。
われは心から医師を助け、
わが手に託されたる人々の
幸のために身を捧げん。
「ナイチンゲール誓詞」
遊び盛りの 歳頃なのにね
あんなに可愛い 坊やなのにね
カルテ抱えた 君は一寸ふくれて
不公平だわとつぶやいた
小児科の入院患者は、もちろん骨折や盲腸など比較的軽症の病気や怪我の子もいますが、先天的に、あるいは小児のうちに発症し、治療法が確立されておらず、その治療が長期間にわたり、いのちに関わるような重篤な疾患の子も多いのです。
また、小児の病気は急変することが多くあります。
小さくて体力や免疫力などがないことと、若くて新陳代謝が活発で悪化するのも早いためでしょうか。
昼間、元気に走り回って、看護師さんに叱られていた子が、夜中に発作を起こしたりして急激に悪化、生死をさまようことになることも珍しいことではありません。
しかし、そんな小児科患者は、その短い人生のなかにおいて、宿命や試練に向き合って、そんな絶望の中でも、生きようとし、生きているのです。
さて、高校三年生になってまもなくのこと、しばらく調子が良かった油断と反動からか、ぼくは大きく体調を崩して、入院することになりました。
さあ、これから大学受験に向けて頑張ろうとしていた矢先でしたから、バッグには、着替えと辞書と参考書と、あせる気持ちを詰めての入院でした。
もちろん小児科病棟。
同病の中学生の子が先に入院していました。
予定より入院が長びいて勉強の遅れが気になる彼は、毎日、自習していて、分からないところを看護師さんに教えてもらっていましたが、その質問が看護師さんからこちらに回ってきました。
はじめは、看護師さんを介して教えていましたが、看護師さんも忙しく、また成績優秀な中学生の勉強レベルになると看護師さんの学力の方もついていけず、直接に教えることになりました。(笑)
入院患者には、安静度というのがあり、入院直後のぼくは、ベッドから降りられない安静度のため、彼がぼくのベッドサイドに丸いすを持って勉強しに、来てくれました。
その勉強している最中に、二人のところにきて、ちょこちょこと覗き込むような丸坊主の坊やがいました。
少し痩せていましたが、お味噌の宣伝に出てくる小僧さんのように、くりくりとした目の可愛い子でした。
中学生の彼とは顔なじみらしく、なにか話しかけてきましたが、勉強中だからあとでね、と彼にいわれて、うん、またね、と聞き分け良く、去っていきました。
勉強が終わり、中学生の彼がベッドに戻った頃に、彼が童話の本をもって、ぼくの方にやってきました。
あっ、お兄ちゃんなら、あっちだよと指差して教えたものの、彼の目的は、今度はぼくの勉強の番だよ、という感じで、空いた丸いすにちょこんと座りました。
あらら、と思いつつ、中学生の彼を見ると、ノートになにやら熱心に筆記しているのが見えたために、しかたなく、相手をしてやりました。
この年齢差だと、遊ぶというより、すっかりと子守状態となり、食事の時間がきて、ようやく解放されて、食事をしながら中学生の彼に、坊やのことを尋ねました。
坊やは、3歳の頃に発病し、それからほとんど入院生活で、治療の副作用で髪の毛が抜けていること、かなり病状としては悪いということ、身体は小さいけれど、来年は小学校に入る年齢であること、治療費のため昼間働いている母親が夜だけ泊まりに来ることなど。
紙飛行機のメッセージ
坊やから届いたよ
夏が過ぎれば 元気になるから
そしたら二人で キャッチボールしよう
ベッドの上で半身を起こした状態で、イヤホンでラジオ聴きながら、パラパラと参考書をめくっていると、その上に、ひゅっと、紙飛行機が落ちてきました。
驚いて顔をあげると、あの坊やが立っています。
にぃっと、はにかんだような笑顔。
紙飛行機を折り直して、坊やに向けて飛ばすと、そのそばを通り抜けて、廊下の方へ飛んで行き、それを追いかけて出て行きました。
しばらくすると、坊やが戻ってきて、こちらに向けて飛ばそうとしますが、飛ばすのが下手なのと、紙飛行機がよれよれになって、うまく飛ばないようです。
ノートを破って新しい紙飛行機を作ってあげて、飛ばし方を教えていたときに、女性の声がしました。
あら、大きいお兄ちゃんのところにいたのね。
昼間はいないはずの坊やの母親でした。
いつもは消灯間近しか見かけません。
化粧っけがまったくないところをみると仕事を休んだようです。
あっ、お兄ちゃん、ごめんね。
このごろ、よく、あそんでもろうてるんやね。
おおきにね、ありがとうね。
彼女は、坊やに似た優しそうな笑顔で、ぼくにぺこりと頭を下げてお礼を言いました。
そのあと、彼女は険しい表情を坊やに向けました。
今日は検査の日なんやから、うろうろせずに、おとなしくしていなさいって、言われてたでしょ。
どうしていうこと聞かないの。
さあ、もうすぐ検査の時間、部屋に戻りましょ。
有無を言わさぬ厳しい母親の言葉に、坊やは口を尖らせて、首を振って、イヤイヤをします。
わがままいっちゃダメっていってるでしょ。
良くなりたくないの?
小学校に行けなくても、いいの?
母親のきつい口調に、坊やは首をうなだれました。
もう半べそをかいてます。
ベッドサイドに立ち尽くして、固まったようにじっとしている坊やの姿を見かねて、ぼくは言いました。
検査に行って、頑張ったらね、明日、もっと大きな紙飛行機を作ったげるよ。
すると坊やは、ちょっと小首を傾げて考えてから、尖った口をぐっと引き締めました。
そして、小さくうなづいて、指きりするために、右手の小指を突き出しました。
細い細い、小さな小さな、指でした。
幼い子どもにとって、検査が、痛くて辛いものであることは、自身の体験でも知っていました。
よっしゃ分かった、約束しような。
大きいの作ったるから、泣かんと頑張っといでや。
母親の手に引かれて、バイバイと手を振りながら、坊やは病室を出て行きました。
見送ったあと、看護師さんに事情を話して、大きな紙を用意してもらい、いつもとは違う折り方で、特大の紙飛行機を折りました。
その紙飛行機の折り方は、ぼくが小学生の頃に入院したときに、向いの雑居病棟の病室に入院していたお兄ちゃんに、そのころ大流行していた加山雄三の歌と一緒に、教えてもらったものです。
約束しよう つなぎあった指を
離さないと
泣かないで君には 僕がいるぜ
涙なんてふいて 笑ってごらん
「夜空の星」−加山雄三
先生と同級生たちが折ってくれた千羽鶴に、病気のいらだちから、やつあたりしたときに、「折る」という字と「祈る」という字を書いて、折り紙は、紙を折ることだけやなく、神に祈ることなんや、せやから、折り鶴は祈り鶴、早く良くなってと、みなで心込めて祈るように折ってくれたのを、粗末に扱ったらあかんでと、そんなことも教えてくれたお兄ちゃんでした。
もっとも、お兄ちゃんといっても、かなり年上で、あるいは、当時、若大将と呼ばれた加山雄三さんの年齢の方に近かったたのかもしれませんが、雑誌の付録についていた鉱石ラジオを惜しげもなくぼくにくれ、これが小学生でありながら、深夜放送で音楽を聞くきっかけにもつながりました。
いつか、坊やもまた、ぼくのことを、そんなお兄ちゃんがいたなと、懐かしく、優しい気持ちで思い出してくれたら、と思いながら紙飛行機を折りました。
返事をのせた 飛行機を折って
とばそうと見たら からっぽの部屋
少し遅めの 矢車草が
狭い花壇で 揺れるばかり
退院してから、はじめての受診日。
調子が良かったのと、学校の試験が続いたりして、二ヶ月近く経っていました。
診察を終えて薬を待つあいだに、退院患者のひとつの約束事として、ぼくは病棟に上がり、詰め所に挨拶して、病室に見舞い客として行きました。
さすがに、入院当時いた子たちも、かなり退院しており、顔ぶれが変わっていました。
知っている顔に声掛けしながら、そうだ、あの坊やはまだいるかな、と、そう思って、奥の方の病室まで行きましたが、坊やの名札がかかっている病室がありません。
あれ、もう退院したのかな…。
えっ…、まさか…、…なことって、あらへんよな。
小児科病棟の詰め所に顔を出すと、顔なじみになった看護師さんがいたので、自分の退院後の生活などを少し話ししてから、坊やのことを尋ねてみました。
部屋を探したけど、分からなかったから。
手術するっていってたけど、もう退院したの?
退院は退院だけど…。
彼女は辛そうな顔をして答えました。
退院は退院だけど…。
そう言って、目を伏せたことで、理解しました。
退院には、もちろん治癒、軽快、寛解、不変を理由とするものもありますが、いわゆる、薬石効なくして…、を理由とする退院もあります。
そう…、そうつぶやくのが精一杯でした。
大きい兄ちゃん、この字はなんて読むの。
あれ、兄ちゃん、寝ちゃってるのか…、困ったなぁ。
坊やの相手をするのがめんどくさく、なんどか寝たふりをして誤魔化して、やりすごしたことがあったのが、悔やまれました。
あの紙飛行機は、最後まで、病室の窓ガラスに張ってあったそうです。
そして、集中治療病棟に移って、まもなく…。
でも、小さいのに、最後まで頑張ったのよ。
立派でしょ。
えらいでしょう。
目頭を拭った看護師さんへ、ナースコールが鳴ったのをきっかけにして、ぼくは詰め所をあとにし、薬を受け取って、病院を出ました。
病院から出て見上げた空も、病室から見た空とおなじで、悲しく、青く、広がっていました。
空の上にも、小学校はあるのかな。
紙飛行機の作り方、覚えてくれたかな。
そんなことをぼんやりと考えながら…。
受けとる人の 誰もいない
手を離れた 飛行機
君と見送る 梅雨明けの空へ
坊やのもとへと 舞いあがる
ところで、少子高齢化社会の中で、小児科医療が危機的な状況にあるそうです。
小児科医が不足し、小児科医を志す医学生も減少しており、小児科を敬遠するベテランの看護師さんも増えつつあるようです。
小児科診療は時間と手間がかかるわりに、診療報酬や薬価も低いうえに、夜間や休日の診療が連綿と続く過酷な勤務状況が敬遠される背景にあるといわれています。
しかし、小児科医療に携わる個人の資質、善意や篤志に委ねるのではなく、抜本的な小児科医療制度の改善が必要でしょう。
それとともに、はしかの発熱や発疹の軽症例など処置が不要不急の病気にもかかわらず、休日、夜間や救急医療を利用し、いたずらに、小児科医を呼びだし、看護師を走らせることのないように、患者側の親としても平素の子どもの健康管理に注意したいものです。
現役小児科患者からの提案です。(苦笑)
この曲は、グレープ解散後、ソロとなったさだまさしさん初めてのアルバム「帰去来」に収録されています。
さだまさしさんの病院を舞台にした楽曲は、アルバム「夢供養」の「療養所(サナトリウム)」がありますが、それが「やわらかな陽溜りとかなしい静けさの中」にあるとしたら、この「第三病棟」は、少し湿った明るい「梅雨明けの空」にあるような気がします。
トイ・ピアノのかわいらしい音色のイントロ、まるでスキップしているような弾むようなリズム、思わず微笑ましい光景が浮かんできて、ほんとに優しい気持ちにさせてくれる曲です。
そして、コンサートライブでは、さだまさしさん自身が「ピアノ弾き語り」と称して、イントロのトイ・ピアノを弾くなど、明るさを強調するかのように演出しています。
でも、それは、そう…、あたかも、「精霊流しが華やかに始まる」のと、おなじ想いからでしょうか。
夏が過ぎれば元気になるから、坊やはそう言ってたから、きっと予定より早く元気になって、先に退院してしまったんだよね、…なんて、考えられないでしょうか…。
でも、舞い上がった紙飛行機のゆくえは、やはり梅雨明けの空のかなたなのです…。
(初稿2007.6 未改訂) |