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「道化師のソネット」―さだまさし

   僕達は小さな舟に
   哀しみという荷物を積んで
   時の流れを下ってゆく 舟人たちのようだね
   君のその小さな手には
   持ちきれない程の哀しみを
   せめて笑顔が救うのなら
   僕は道化師になれるよ

自分の人生というものを考えるときに、はたして、自分は生きてきたのか、あるいは、生かされてきたのか、なんて、ふと、考えこむことがあります。

また、人の信じられぬような不幸なできごとなどを、見聞するにつけ、その人の人生とは、いったいなんだったのか、と思わずにいられません。、

もちろん、このような哲学的、あるいは宗教的とも言うべき大きな命題を、このような短い雑文ごときで扱うのは傲慢のきわみです。

しかし、ただ、この歌詞にあるように、確かに、人は、誰もが時の流れをくだる舟人であり、やがては、生の此岸から、死の彼岸へとわたって、死ぬべきものということが宿命づけられている、ときの旅人という感じがするのは否定しえない真実のような気がします。

   笑ってよ君のために
   笑ってよ僕のために
   きっと誰もが 同じ河のほとりを歩いている

ならば、おなじ旅人として、そして、悠久の時間という流れのなかで、たまたま同じ時代に、同じ時間の流れの中で、生きてきたもの同士として、喜びや哀しみを共有できたとしたら、せめて、それがぼくたちの宿命に対するささやかな抵抗の連帯であり、また救いとなるような気がします。

   僕等は別々の山を それぞれの高さ目指して
   息もつがずに登ってゆく 山びと達のようだね

同じ時間の中でも、人それぞれの目標とするものは異なります。
その目標が、高いのか低いのかは、人それぞれによって異なります。

しかし、大事なのは、やはりその目標達成を目指して、ゆっくりとでも、登っていくことではないでしょうか。
それこそ、人として生きてきた、あかしなのだと思います。

   君のその小さな腕に
   支えきれない程の哀しみを
   せめて笑顔が救うのなら
   僕は道化師になろう

そして、そんな人のために、なにか、ささやかであっても、支えることが、ぼくにできるとしたら…。
その、なにかを探しに、また、旅人になろうと思います。

   笑ってよ君のために
   笑ってよ僕のために
   笑ってよ君のために
   笑ってよ僕のために


「道化師のソネット」は、1980年に一般公開された、さだまさしさん主演の映画「翔べイカロスの翼」の主題歌です。
さださんは、「関白宣言」の大ヒット後に、この地味な独立プロ製作の映画に出演し、この映画のために主題歌を書き下ろします。
「関白宣言」の笑いとユーモアと社会現象の陰で、消されてしまいそうな、さださん自身のアイデンティティー(自己同一性)を主張したものだと、ぼくは思います。

「翔べイカロスの翼」は、キグレサーカスにいた、一人の青年の生と死の実話をもとに作られました。
青春の孤独のなかで、生きる意味、夢を追い求め続け、日本では脇役にすぎなかった道化師(ピエロ)を、サーカスの主役にまで定着させた青年の生き様を描く事により、私たちが忘れかけている「夢を追い求める」ということの大切さを考える機会を与えてくれました。

主題歌「道化師のソネット」は、中世イタリアに発するソネット(十四行詩)の詩法を使った、いつもながらの深みのある歌詞もさることながら、優しくも、力強い響きはもったメロディは、さすが、さださんらしい完成度の高い名曲です。

(初稿2001.3 未改訂)



道化師のソネット

作詩/作曲 さだまさし

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために

僕達は小さな舟に 哀しみという荷物を積んで
時の流れを下ってゆく 舟人たちのようだね
君のその小さな手には 持ちきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になれるよ

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
きっと誰もが 同じ河のほとりを歩いている

僕等は別々の山を それぞれの高さ目指して
息もつがずに登ってゆく 山びと達のようだね
君のその小さな腕に 支えきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になろう

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
いつか真実に 笑いながら話せる日がくるから

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために

1980年(昭和55年)
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