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「てんびんばかり」―河島英五

   真実は一つなのか
   何処にでも転がっているのかい
   一体そんなものが あるんだろうか
   何も解らないで僕はいる


芥川龍之介の短編小説に「藪の中」という名作があります。

藪の中で起こった殺人事件に対し、4人の目撃者と3人の当事者の証言があって、それぞれに微妙に食い違っていて、何が真実であり、何が真実でないのかが分かりません。

4人の目撃者は、平安時代の初期に、京都で警察官、検察官の役割を担った検非違使と呼ばれる役人に尋問される形式で、木樵り、旅法師、放免、媼と証言していきます。

次に、3人の当事者、犯人とされる多襄丸、殺された被害者の妻、そして被害者の死霊の自白、告白という形式で証言します。

各証言の内容から、事実を探って真相を究めようとしても、それぞれが事実のような気もするし、それぞれに虚偽があるように思えて、真相がなかなか見えてきません。

この小説が、「真相は藪の中」という言い方の語源にもなったというのもうなづけます。

   何も解らない 何も解らない 何も解らない
   何も解らない 何も解らない
   何も解らないで僕はいる


何が真実で、何が真実ではないのか、その見極めは、必ずできるはずなのです。
なぜならば、真実は、厳然と、唯一存在するはずですから。
そして、ひとつが真実であるとしたら、それ以外のものは、必ず真実ではないはずです。

しかし、困ったことに、目を凝らして、耳を済まして、真実を探ろうとしても、あれも真実、これも真実、どれも真実のように思えてしまいます。

また、困ったことに、疑ってしまえば、あれも真実ではない、これも真実ではない、いずれも真実ではないようにも思えてしまいます。

いったい、真実はどこにあるのでしょうか。

ところで、円錐形という形があります。
見方によれば、円にも見えるし、三角形にも見えてきます。
見る位置、見る角度、そして見る立場というものが、ひとつの対象の見方を変える。

つまりは、どれもが真実で、どれもが真実ではない。
つまりは、疑えば真実ではない、信じてしまえば真実である。

真実とは、案外、そういうものなのかもしれません。

   誤魔化さないで そんな言葉では
   僕は満足できないのです
   てんびんばかりは重たい方に傾くに
   決まっているじゃないかい
   どちらも もう一方より重たいくせに
   どちらへも傾かないなんておかしいよ


てんびんばかりは、確かに重たいほうに傾くはずです。
でも、それはてんびんばかりが、はじめに、水平であることが条件です。

そして、傾くための重さは、その物体に働く重力であるとするならば、一定の条件下では質量と等しくなるものの、異なる条件下においては、同一の質量でも、異なる重力となりますし、またその物体の密度が異なれば、さらにその比較は困難さを増してきます。

地球が回っているというのは、ゆるぎない真実でしょう。
でも、回っているのを見たことはありません。
回っているのを実感したこともないのです。

それでも、やはり、地球は回っているのです。
誤魔化さなくても、ガリレオでなくても、事実は事実なのです。
そして、その事実は、だれがなんといおうと、あなたにとっての事実なのです。



河島英五さんは、1952年(昭和27年)、大阪府東大阪市に生まれ、大阪府立花園高校を卒業後、「ホモ・サピエンス」というグループで活動、のちソロとして、活動し、清酒のCM曲として「酒と泪と男と女」が大ヒットし、代表曲となりました。

この唄は「ホモ・サピエンス」として「人類」というアルバムでリリースされており、のちに、「河島英五とホモ・サピエンス」名義で、A面を「てんびんばかり」、B面を「酒と泪と男と女」としてシングルカットしてリリースされ、その後に「河島英五」名義として、A面とB面を入れ替えてリリースされました。

1979年(昭和54年)のTBS系ドラマ「3年B組金八先生」第1シリーズ第1話の挿入歌として、この唄が使われていたので、聞いたことがある人も多いかもしれません。

ところで、我が国の最高裁判所の大ホールに飾られているギリシャ神話をイメージした正義の女神像は、左手に天秤ばかりを持ち、右手に剣を持って、目を閉じています。

裁判を扱ったテレビドラマなどにもよく登場しますから、ご存知の方も多いと思います。

左手の天秤ばかりは「公平、平等」を表しており、右手の剣は「正義を実現するという強い意思」を、そして目を閉じているのは、見た目に惑わされないという意味らしいです。

中学高校時代の公民の教科書や大学の法学科目で学ぶときに出てくるルドルフ・フォン・イェーリング「権利のための闘争」には、「法の目的は平和であり、それに至る手段は闘争である」、「剣なき秤は法の無力、秤なき剣は単なる暴力」とあります。

なにが真実であり、そしてなにを真実として見極め、なにを正しいものとして判断して、どうやってその正義を実現すれば良いのか、正確な天秤ばかりと最強の剣を持たない生身の人間にとって、これはただ、青春時代の一時期の悩みだけでなく、人として生きていく限りは、つきまとう普遍的なテーゼ(命題)なのかもしれません。

閑話休題、ところで、河島英五さんといえば、大阪で 「なにわのモーツァルト」を自称するキダ・タローさんが、ラジオの深夜放送番組「ABCヤングリクエスト」において、アマチュアのバンドやシンガーソングライターに歌わせるコーナー「ミキサー完備 スタジオ貸します」を担当していたときの常連で、当時、マスター(館長)もよく聞いていました。

キダ・タローさんから、音楽の知識やセンス、ダミ声、容姿などから、プロとしてやっていくのは無理やで、やめときや、とかなり辛辣な批評をされていたのを覚えています。

確かに、いつまでも、アマチュアっぽくって、近所の歌好きで、目立ちがりやのくせに恥かしがりやの親しみを感じる気のいい兄ちゃんみたい、というような雰囲気がありました。

河島英五さんは、2001年(平成13年)4月、肝臓疾患のために、急逝されました。
享年48歳の早すぎる旅立ちでした。
ご冥福を祈ります。

                                       (初稿2014.6 未改訂)


てんびんばかり 
                         作詞/作曲 河島英五
真実は一つなのか
何処にでも転がっているのかい
一体そんなものが あるんだろうか
何も解らないで僕はいる

そしてそれがあるとすれば 何処まで行けば
見えてくるんだろう
そしてそれがないものねだりなら 何を頼りに
生きて行けばいいんだろう

何も解らない 何も解らない 何も解らない
何も解らない 何も解らない
何も解らないで僕はいる

家を出て行く息子がいる 引き止めようとする
母親がいる
どちらも愛している どちらも恨んでる
どちらも泣いている

友達が殴られて仕返しをしに行った男がいる
その殴った相手も友達だったので
困ってしまった男がいる

偉い人は僕を叱るけど
その自信は何処からくるんだろう
でももしも僕が偉くなったら
やっぱり僕も誰かを叱るだろう

何人もの人を殺した男がいる
掛替えのない命を奪ってしまった
次はこの男が殺される番だ
掛替えのない命を奪ってしまう

男が殺される 男が殺される 誰も何も言わない
男が殺される 男が殺される みんながそれに
賛成したのです

男はいつでも威張っているけど どんな目で
女を見つめているんだろう
女はいつでも威張らせておくけど
どんな目で男を見つめているんだろう

僕が何気なく呟いた言葉が
君をとっても悲しませてしまった
慰めようと
言葉を掛けたら君は泣き出してしまった

長い間君はとっても辛い思いをしてきたのでしょう
やっと君を幸せにできると思ったのに
君はもういない

毎朝決った時間に起きる人の喜びは
何処にあるんだろう
電信柱に小便ひっかけた野良犬の悲しみは
何処にあるんだろう

うちの仔犬はとても臆病で一人では街を歩けない
首輪を付けると とても自由だ
僕を神様だと思っているんだろう

拳を挙げる人々と 手を合わす人々が
言い争いを続ける間に
ホラ ごらんなさい野良犬の母さんが
かわいい仔犬を生みました

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足できないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないかい
どちらも もう一方より重たいくせに
どちらへも傾かないなんておかしいよ

誤魔化さないで そんな言葉では
僕は満足できないのです
てんびんばかりは重たい方に傾くに
決まっているじゃないかい
どちらも もう一方より重たいくせに
どちらへも傾かないなんておかしいよ

1976年(昭和51年)
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