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心字池にかかる 三つの赤い橋は
一つ目が過去で 二つ目が現在
現在、過去、未来というのは、いうまでもなく、過去世・現在世・未来世、つまりは前世・現世・来世の三世のことです。
えっ?、次元や五右衛門はふくまれないのかって?
…それは、ルパン三世やろ!(笑)
冒頭から、しようもないギャグをかましてみました。
多分、マスターの前世は、うれない大道芸人やったかも。(笑)
ところで、心字池というのは、「心」の字をかたどって造られた神社仏閣などにある日本式庭園の池で、京都の西芳寺や桂離宮の庭園などのものが有名ですが、福岡県太宰府市にある太宰府天満宮の心字池には、太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋がかかっていて、それぞれに三世を表しているといわれます。
三つ目の橋で君が 転びそうになった時
初めて君の手に触れた 僕の指
三つ目の橋で、というと、未来に続く橋…。
その橋で転ぶというのは、吉兆ではありません。
なお、吉兆いうても、高級料亭のことやありません。(笑)
ふたたび、懲りもせず、しようもないギャグをかましてみました。
おそらく、マスターの前世は、うれない漫才師やったかも。(笑)
初めて君の手に触れた…おそらくは、この二人の初デートが、太宰府天満宮だったのでしょう。
あるいは、受験生同士だったのかもしれません。
なんと真面目なカップルでしょうか。
大阪にも、同系列の天満の天神さん、大阪を代表する夏祭り、天神祭りで有名な大阪天満宮がありますが、こちらの方は、界隈に、お好み焼き屋さんや、ラブホなども完備されていますので、デートコースに含まれているというのは理解できるのですが。(笑)
手を合わせた後で 君は御籤を引いて
大吉が出る迄と も一度引き直したね
お御籤というのは、なんども引き直すものではありません。
もっとも、大吉が半分以上の確率で入っていれば、引き直せば、大吉が出る可能性は高くなりますね。
そう言えば、むかし、家が神社で、正月などにたまに宮司をしている人に聞いたことがありますが、初詣のときは、大凶を普段より、わざと多めに入れる神社が多いとのことです。
そうすれば、賽銭や縁起物の売上が伸びるというのです。
なんか神様にランクをつけるのもなんですが、学問の神様よりも、やはり商売の神様の方が上手をいくような気がします。(笑)
登り詰めたらあとは 下るしかないと
下るしかないと気付かなかった
天神様の細道
たしかに、いつまでも無限に登っていくことはありえません。
登り道の次は、必然的に、下り道です。
もっとも、下り道ばかり歩いてきた人に、いゃぁ〜、下り詰めたら、あとは登るしかないよ〜と言っても、なんのなぐさめにもならないものなんですが。(笑)
まあ、細道を通るには、少しダイエットした方がいいという人は、飽食の日本にたくさんいるでしょうけどね。(笑)
裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って
君がひとつ 僕が半分 梅ヶ枝餅を食べた
梅ヶ枝餅は、大宰府の参道で売られている、あずきを、もち米粉の皮に包み、焼いたものです。
菅原道真公が、榎寺(道真の配所)で不遇な生活を送って居られた折り、安楽寺(太宰府天満宮)の門前で老婆が餅を売っており、公の境遇に同情し、時折この餅を持参して、公の無聊(ぶりょう)を慰めたといいます。
公が薨去された際、この餅に梅の枝を添えて送ったという故事にならい梅ヶ枝餅と称されるようになりました。
この餅を食べると病魔を防ぐ特効があるそうです。
…と、インターネット梅ヶ枝餅直販サイトに書いてありました。(笑)
来年も二人で 来れるといいのにねと
僕の声に君は 答えられなかった
恋の予感というのもありますが、やはり失恋の予感というのもあるようです。
二人の出会いがあり、つきあいが始まり、そして続いていく…。
その過去から現在への時間の流れのなかで、二人の未来への希望や展望が見出せないとき、恋は終りを告げてしまいます。
時間という樹の想い出という落葉を
拾い集めるのに夢中だったね君
すでに、現在(いま)が、過去になり、未来が現在になって見えるものが、想い出しかないのなら…時間という樹には、恋という名の花や果実が実らなかったとしかいいようがありません。
あなたがもしも 遠くへ行ってしまったら
私も一夜で飛んでゆくと云った
忘れたのかい 飛梅
忘れたわけではないでしょう。
そのときは、ほんとに飛梅のように、一夜にして飛んでゆこうと思ったことに、嘘や偽りがあったとは思いません。
忘れたわけではないでしょう。
ただ、思い出さなくなったということです。
或の日と同じ様に 今 鳩が舞う
東風吹けば 東風吹かば君は
何処かで想いおこしてくれるだろうか
大宰府は春 いずれにしても春
もはや、もどれない、或の日…。
わかれた人が自分のことを想いおこすことがあるのだろうか…ふとそう想うときがあります。
でも、想いおこしてくれるにしろ、そうでないにしろ…。
いずれにしろ季節は、静かにめぐっていくのです。
この歌詞で本歌取りしている和歌は、次のとおりです。
なお、歌詞の一節にある東風は、ルビは振ってませんが、東風吹けば 東風吹かば は、必ず、東風(ひがしかぜ)吹けば 東風(こち)吹かば 、と読んでください。
こち、こち、と読んだら、コチコチに、緊張しまっさかいね。(笑)
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ 菅原道真
現代語訳
春に東(京都)の風が吹いたら、
においを送ってきなさい梅の花よ。
おまえの主人である私がいなくても、
春を忘れてはいけない。
菅原道真といえば、学問の神様や遣唐使の廃止などで知られますが、幼き頃から頭脳明晰で、若くして文章博士(もんじょうはかせ)となり、宇多天皇に重用され右大臣にまで登り詰めます。
しかし、醍醐天皇のとき、左大臣藤原時平の讒言と謀略にあって、失脚させられ、九州の大宰府に大宰権帥として左遷、そのときに詠んだ和歌とされています。
飛梅は、このとき、一夜にして京都から道真のもとに飛んできた梅とされ、大宰府天満宮では、本殿の向かって右前に、今でも、早春に他の梅に先がけていちばん開花する白梅です。
左遷後、わずか二年にして、59歳で亡くなります。
その没後、皇太子の急逝・宮中への落雷・天候不順などが続き、道真の祟りによるものと怖れられて、朝廷より、最終的に最高位の正一位太政大臣を追贈されて、しかも火雷天神を号として祀られることになります。
そして、現在においても、全国各地に、天神の社、天満宮、北野神社、菅原神社の祭神として祀られているのです。
さだまさしさんの曲に関するエッセイは、難しいです。
それは、さだまさしさん自身が、その曲に関して、レコード(CD)のライナーノーツ(解説)をこまめに書いていて、しかもコンサートトークでもお話しされていることが多いので、どうしても、それに引きづられてしまうからです。
ともかく、今回も、ぼくなりに解釈した「飛梅」です。
ところで、飛梅に実る梅の実って、梅干にしたら、どんな味になるのかしらと、ふと、思ってしまいました。(笑)
(初稿2003.2 未改訂) |